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アトリエかわしろ一級建築士事務所

Author:アトリエかわしろ一級建築士事務所
「がま口から建築物まで」
日々の生活につながっている モノづくり・住まいづくりのためのデザイン事務所です。

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04月01日(日)

SAKURA,さくら

お酒を一切たしなまない、しかも朝型生活の僕は、毎朝紅茶をいただくことをささやかな楽しみにしているのですが、今の季節(つまり桜の季節)だけは、フランス製の緑茶をいただくことも少なくないのです。
マリアージュ・フレール が春季限定で販売している緑茶 「SAKURA」 は、ほんのり甘酸っぱい香りのため、普段から緑茶に慣れ親しんでいる日本人の感覚からは、いささか唐突な印象は否めないところです。 何しろ、味は紛れもなく緑茶なのに、香りは紅茶のように甘いのですから…。
そこで僕の場合、紅茶をいただく感覚で、紅茶用のポットを使って独特の香りを楽しむようにしているのですが、この 甘い香りの解釈 に図らずもこころ動かされてしまう。 SAKURA と銘打っているだけに、日本の桜をフランス人の感性で香りに 「翻訳」 したものと説明したらよろしいでしょうか。

本来、桜自体に 香り はないわけですが、異国の人々にとって日本の桜は、彼らとは全く異質の、神秘的な美学のようなものとして、想像を喚起される対象なのではないかと思うのです。 おそらく彼らは、一時的に日本に渡って実物の桜をみたとしても、本質的なものは理解できないと考えたのではないか、朝な夕な、繰り返し繰り返し桜とともに暮らしを営み、「ああ、春が来たな!」 と、しみじみそう感じるようにならなければ理解し得ないのだと。
だから、実在しない 「香り」 を通して、この微妙な感覚を純粋に表現したいと願ったのではないかと想像したくなるのです。 それが何とも甘酸っぱい、何だか切ないような香りとなって表現された。 そしてその香りは マリアージュ・フレール の数多ある香りのなかでも極めて儚い、その香りはポットに二杯目のお湯を注ぐことすら許さない、まるで桜の花のようにはらはらと散ってしまう、繊細な美学が込められているに違いないのです。 これは、日本古来の文化である 「見立て」 そのものではありませんか。

どういうわけか僕は、桜の季節になると決まって 「さくら餅」 を想像してしまうのですが、実のところ、さくら餅がどのようなものなのか、どのようなカタチをしているのかさえも分からないのです。 それでも道端のあの お餅やさん の店先に 「さくら餅あります」 という、ちいさな垂幕が掛けられているのをずっと前から知っている。
それでも何故か、あの歩道に開け放たれた店先を春風のようにすうーっとくぐって、気さくそうな、いかにもご近所の子どもたちの面倒見もよさそうな、いつも笑顔を絶やさない、そんな働き者のおかみさんにひと言、 「さくら餅くださいな」 と声をかけることがどうしてもできない。 「さくら餅なんて興味ないよ」 といった顔して、すたすた店先を通り過ぎる僕がいる。
マリアージュ・フレールの店先はすんなりくぐれるのに、お餅やさんの店先では足がすくんでくぐれない僕は、 「さくら餅って一体どんなものなのだろう?」 と想像するしかない。 「どんなに素晴らしいものなのだろうか」 と、ただただ想像するほかないのです。
それは、もしかしたら子どもの頃、何気なくいただいていた、別段何ともないようなものなのかもしれないけれど、あえて調べることもせず、さくら餅が如何に素晴らしいかを考える。そして願わくば、甘酸っぱい香りの緑茶と一緒にいただきたいものだと…。

SAKURA
 
05月01日(日)

マリアージュ・フレール の紅茶

世の中にはいろいろな方がおられます。 むしろ、それが自然なことなのかもしれません。

たとえば古い日本家屋に暮らしていて、普段は緑茶とか飲んでいるのだけれど、時には床の間に活けた花を愛でながら、あるいは日当たりのよい縁側から庭を眺めながら、ゆったりと紅茶とか飲んで過ごしてみたい。 できれば甘い香りの…。
といった、大変難しいご要望をお持ちの方がもしおられましたら、実は僕もそうなのですが、 マリアージュ・フレール(MARIAGE FRERES) の ヴィヴァルディ(VIVALDI) をおすすめいたします。

ヴィヴァルディ は、カシス、いちご等の赤いフルーツにヴァニラ等をブレンドした、甘い香りの フレーバード・ティー です。
甘い香りの紅茶は マリアージュ・フレール のなかでも、とりわけ多くの銘柄が揃っていますが、何故 「ヴィヴァルディ」 という選択なのか。 それ以前に、古い日本家屋の、あのしっとりとた雰囲気に、甘い香りの紅茶自体がミスマッチなのでは? と、疑問をお感じになられた方も当然おられることでしょう。

ただ甘いだけの香りであれば、やはり、土壁や苔のしっとりとした空気にはそぐわないと、確かに僕も思いますが、それでもゆったりとした時間の流れを共有できる、そんな ゆかしい香り があってもよいのでは。 と、こころの片隅で考え続けていたある日、お店を訪れた折に、上品な制服の方から 「甘い香りがお好きでしたら」 とすすめられ、茶葉の香りを確認して 「これならば」 と確信できたのです。
遠い異国の地(フランス)でブレンドされた、如何にもヴェニスの古風な洋館が似合いそうなこの紅茶は、京都のしっとりとした町家の空気のなかでも、何故だかしっくりと馴染んでしまう。 床の間や障子や籐むしろなどのつくり出す 繊細な趣 が、どうもしっくりと馴染んでしまうから不思議です。

香りについても、紅茶についても、何の専門的知識もありませんから、僕自身に的確な説明のしようもないのですが、少なくとも ヴィヴァルディ についていえることは、 時間を経た空間を好むこと。 適度に空気が潤っている環境がふさわしいこと。 そしてそのなかの香りに、他にはない 「気品」 を確かに感じました。

ヴィヴァルディ
VIVALDI  (MARIAGE FRERES)

 
02月15日(月)

俵屋の石鹸

京都の御池(おいけ)通から一筋下がった姉小路(あねこうじ)通は、こじんまりとした通りで、喧騒を避け好んで歩くのですが、そのような場所にふさわしく、こじんまりとしたギャラリーショップがあります。

ちょうど小さな町家一軒を建て替えたものと思しき建物は、比較的新しいつくりなのですが、町家が並ぶ通りに似つかわしい気品を兼ね備えているように思われました。
通りと建物の間に猫の額ほどの庭が見事にしつらえてあり、ガラス窓の向こう側は陽のあたる通りよりも、ほんのりと薄暗く、やんわりとあかりが灯っているので、外からはどのような作品(製品)があるのか判然としないのですが、思い切って店内に入ると、日々(にちにち)の生活のための品々が並んでおりました。

店内は、程よい加減に照明が配置されており、明るすぎない心地よさがありますし、ガラス越しに振り返った先程の小さな庭が殊のほか、明るい陽の光に包まれているのでした。
店内の明るさが控えめなのは、訪れる客が居心地よいように、気配りがなされているのだな、との思いに至ります。

店名は 「ギャラリー遊形(ゆうけい)」 といい、すぐ近くにある俵屋旅館の宿泊客のためにつくられた品々を、一般の方に販売するショップだったのです。

インテリアに関心のある方は照明器具やディスプレイのための家具の扱い方をみておく事をおすすめいたします。

正直いいますと、最初にお茶碗や急須などを拝見した時、その形態や絵柄に 「随分と余計なことをしているな」 という印象をいだいていました。しかし、二度三度と訪れるうちに、そこにあるちょっとした 遊びの部分 がいかに旅館に宿泊するお客の心を和ませ、心を潤すことができるかという 「もてなしの心」 故のデザインであることを悟りました。
兎角、つくり手は極限にまで形態を研ぎ澄ませようと意識しがちですが、少し距離をおいて視点をかえてみると、異なる世界があったりするものなのだな、などと考えてしまいます。

ところで、僕は俵屋の品々の中で 石鹸 を浴室用として毎日使っています(写真1)。

俵屋の石鹸
(写真1)


適度な加減にエッジの利いた四角いフォルムは、無意味に丸みの付いた巷の石鹸への嫌悪感から開放されますし、手書きの 「俵屋旅館」 のちいさなロゴにはONからOFFに気持ちが切り替わる効果があるようです。
しかし、この石鹸の最大の魅力は 香り にあります。
ローズ、ジャスミン、ラベンダー等の天然香料に、ムスク等の香り、二百余種をブレンドし、完成させたものとのことで、石鹸ひとつにここまで丹精込めるのか と、気の遠くなるような思いです。

毎晩浴室の扉を開ける度に,ちいさな石鹸ひとつが、生活を豊かにする意味の如何に大きいことか。つくり手の志の高さを感じてしまいます。