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アトリエかわしろ一級建築士事務所

Author:アトリエかわしろ一級建築士事務所
「がま口から建築物まで」
日々の生活につながっている モノづくり・住まいづくりのためのデザイン事務所です。

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01月16日(木)

トニーラマのカウボーイブーツ

もし、あなたから 「一体、どんなブーツが丈夫で長持ちするのでしょうか?」 といった質問を藪から棒に受けたとしても、うろたえることも取り乱すこともなく、実に涼しい表情でお答えできるだけの自信が僕にはあります。 そして、迷わずこう答えることでしょう 「それはもう、カウボーイブーツですね」 と。
なぜ、ワークブーツでもコンバットブーツでもなく、カウボーイブーツなのか。 それは、実用を前提にレザーでつくられていること、ヒモやベルトなど調整金具のないこと。 レザーは素材そのものが頑丈で、使い込むほどに馴染んでよい艶がでてきますし、単純な長靴状のブーツでは壊れようがないからです。

トニー・ラマのカウボーイブーツ

テキサスのブーツメーカー 「トニーラマ(Tony Lama)」 のカウボーイブーツを購入したのが1990年でしたから、かれこれ20年以上も前につくられたことになります。
そもそもこのブーツに着目したのは、特にカウボーイに対する憧れがあったというわけではなく、男性が日常的に着用できるロング・ブーツというと他にイメージできなかったことと、今はどうなのか分かりませんが、当時はアメリカのメーカーは質の高い製品をつくっている といった印象があり、長く使えるのではないかと考えたからです。
当時の僕にとっては高価なブーツでしたが、少なくとも革製品を購入するのであれば、少々無理をしてでもよいものを選ぶこと、そしてきちんと手入れをしながら責任を持って使い続けることが大切だと思います。 愛着のわかないモノを、ほんの短期間だけ消費しては捨てるといったことを繰り返すと、この星はゴミだらけになってしまいますし、そのようなことをしても、いつまで経ってもこころは豊かにはならないに決まっているのですから。

カウボーイブーツは実用品の枠を超え、ファッションの一アイテムとして、日本では特に女性たちに好まれているように見受けられます。 これは、すそ口の切れ込みの入った曲線の美しさや、 シャフト と呼ばれる足首から上の筒状の部分に施された色とりどりのステッチ、尖り気味のつま先のシルエットなど、他のブーツとは一線を画すような個性が、おしゃれ心をくすぐるからなのかもしれません。

靴ヒモもジッパーもない、このスリムなカウボーイブーツを一体どうやって履くのかというと、すそ口の両端に頑丈に縫い付けてあるストラップに両手の指を引っ掛けて、つま先を滑り込ませながらぐっと引き上げると、するっと履くことができます。 逆に脱ぐときは、甲のあたりに手を添えつつ足首のところを持って、ちょっとひねるような調子で引き抜くと、すぽっと外れます。
すそ口の切れ込みの曲線は、ストラップを引っ張った際に、レザーが裂けにくい自然なカタチになっていますし、シャフトのステッチは、炎か植物か、それとも翼をイメージしたものかは分かりませんが、とにかく優美なラインを描きつつも、シャフト全体をまんべんなく覆うように、外側の耐候性の高いレザーと、内側の肌触りがよく吸湿性の高いレザーとをしっかり縫い合わせて補強する、という実用上の意味を担っています。 つま先が細く尖っているのは、乗馬の際に あぶみ と呼ばれる金具に素早く足を固定するために といった具合に、すべてはカウボーイの過酷な労働条件に耐えうるために必要なもので、そこに彼らは、おしゃれ心をくすぐるような、装飾的な余地を見出すことも忘れなかったのです。
カウボーイブーツの靴底は、基本的にレザーを使用しますが、僕はオートバイでの使用も考えて、少々重くはなりますが滑りにくいゴム製のものを選んでいます。
ドレスアップのために、主に見た目を優先したエレガントな仕様のものもなかには見受けられますが、あくまで実用を重視した、幾分無骨でもある黒づくめのブーツは、ステッチも同色におさえてあり、かえってそれが普段使いには好都合で、分厚い牛革はとくかく 頑丈 の一言に尽きる品質ですし、少々の雨や雪などものともせず、 片道1時間歩く といった使い方でも音をあげることはありません。 しかも、オートバイのシフトチェンジやエンジンからの熱にも耐え、足首のヘタレもなく、表面に細かいキズや色褪せはあっても、それが履き込んだ味になっいてるなと許せるならば、この先いつまでも付き合えそうな気がする。

かつて愛用していた日本製の編み上げブーツは、革のなめし加工から自社で手がける、なかなか熱心なメーカーのものでした。 そのブーツは履き心地を考えてか、内側のレザーにやや厚みのある、やわらかい素材を使ってありましたが、これが履き続けるうちに、かかとの後ろのところがこすれて磨り減ってゆき、とうとう穴が開いてしまったのでした。 僕の足のかたちや癖もあったのかもしれません。 誰も、そこまで使ってもらえるとは考えていなかったのかもしれません。 けれどもその時、ことレザーという素材に関しては、日本のメーカーの 限界 のようなものを感じてしまったのです。
ところが今こうして、アメリカ南西部で20数年も前につくられ、履き込まれたカウボーイブーツのなかを覗き込んでみると、かかとの当たる部分だけ、外側と内側の2重になったレザーの更に内側に、段差が気にならないくらいの薄いレザーが、やはり優美な曲線を描くようなステッチでさり気なく、しかし入念に縫い付けられていることに気づきます。 そのなんてことないぺらぺらのレザーは、本当に長い間、黙って僕のかかとを受け止め続けてくれていたにもかかわらず、どこにも擦り切れた様子はなかったのです。 そこに僕は国境を越えて、真の 「職人魂」 を見出したように思いました。
 
08月16日(金)

リーバイス501

リーバイスの501(ゴーマルイチ) に初めて出会ったのは、1980年代の終わり頃、カリフォルニア州のとあるショッピングモール内のジーンズショップでのことでした。

リーバイス501

そもそも リーバイス(LEVI STRAUSS & CO.) が生まれたのが、ショッピングモールから左程遠くないサンフランシスコということもあってか、そのショップはリーバイス・オンリーだったのですが、さすがに正面の壁の棚一面に天井近くまでズラリと並べられたジーンズ全てが 501 だったのは驚きでした。
脇の方にも確か、数種類くらい別モデルも置いてはありましたが、あくまでも501から派生したもので、たったひとつのジーンズが圧倒的に壁を埋め尽くす姿にひどく惹きつけられました。

なぜ、そのように大量のジーンズが並んでいたかといいますと、
・同じ 501 でも、色の落ち具合によって何種類かに分類されていること(当時ダメージ加工などはありませんでした)。
・更に、ウエストサイズごとに分類されていること。
・加えて、レングスサイズ(股下の長さ)が細かく用意されていること。
からなのでした。

それまでの僕は 501 というモデルに特別な印象を抱いていて、それは 伝説的で遠いところにあって、敷居が高い といったような、どこか雲の上のような存在だったのです。 しかし、よくよく考えるとこれも当たり前の話なのですが、労働者の激しい仕事に耐えうる実用的な衣類として生まれた 「人々の肌に身近な存在」 であったことに、改めて気付かされたのでした。
これはアメリカの文化そのものであり、庶民の実用品なのだと。

僕は、膨大な棚の中から、一度だけ水洗いされた色落ちの少ない生地の、僕のためのウエストサイズ、レングスサイズを選び出し、大切に抱えて持ち帰りました。
ちなみに当時のアメリカ製のコットン衣料は大変丈夫で品質が高く、その割りに価格が随分と安かったのです。 501 も、日本で製造・販売されている製品の3割弱程度の価格で購入できました。

大切に とはいっても、そこは実用品ですから時にはきびしく、どこまでも普通にはきこなした 僕の501 は、伝統に培われたヨーロッパの衣類に比べると信じられないくらい無骨で、特別身体のラインにフィットするわけでもなく、また他にも格好よいジーンズが幾らでもあるにもかかわらず、コットン独特のしっかりとしたあたたかな肌触りと、その布と肌との隙間の 距離感 が、ちょっと真似のできないくらいに何ともいえず程よい心地よさで、なぜか擦り切れてきてからの風合いと馴染み方が、他のどのジーズの追随をも許さない。 そう、存在さえも気にならない空気のような…。

リーバイス501
 
05月16日(木)

八乙女

以前、 「神祗装束調度工芸品展」 なる作品展を拝見したことがあります。
何でも、平安京がおかれていた京都には、宮廷で執りおこなわれる行事に必要な道具や衣装をつくる専門の工芸が存在していたらしく、現在もなお、神社での祭礼のために、木工、金工、漆工、染織などの伝統工芸の職人さんたちによって、匠の技が継承されているのだそうです。

その会場で僕は、金銅を叩いてつくった ティアラ(※Tiara:女性が正装の際、頭頂部につける装飾品で冠の一種) によく似た、冠状の装身具が展示されていることに気づき、てっきり、西洋の国々のお姫様が身につける装飾品だとばかり思っていた冠が、日本の伝統工芸の世界にも連綿と受け継がれていることを知り、随分と面食らったのでした。
いくつになっても、勉強というものは 「これではいけない!」 とか 「何と無知な!」 と、自覚した時にこそ始めなければいけませんから、まずは 天冠(てんかん) と呼ばれる冠を頂いた、白い絹の衣をまとった2体のモデル(人形です)をスケッチし、この目にしっかりと焼き付けました。 解説版には 「八乙女装束(やおとめのしょうぞく)」 と記載されているだけで、初詣さえ何だか気恥ずかしくて行けない僕にとっては、一体、八乙女がどのような人たちなのかさえも、さっぱり分からないという情けないあり様で、最初はまったくといってよいくらい手探りの状態でした。

ところが、展示会場にいた係りの方もボランティアらしく、実はちっともご存知ではなく、あちこちと問い合わせてもらった末、展示パネルに写っている場所が、どうも 今宮神社らしい ということだけが手がかりとして残りました。 今宮神社といえば、僕の住んでいる地域の氏神様の、すぐお隣の氏神様ですから、世のなか広いようで狭いものです。
いろいろ調べてみると、今宮神社では、5月のはじめから中ごろにかけて 「今宮祭」 という神事がおこなわれていて、巷では 「西陣の祭」 として知られる、由緒ある祭事なのだそうです。 西陣といえば、装束には欠かせない織物の生産地であることはむろん、祭礼に用いられる飾り物のほとんども、錦綾や金襴は 西陣が本場 というくらいですから、この地の祭りを彩る調度品や装束が立派でないはずはありません。
その伝統ある今宮祭で、どうやら 八乙女の舞い が奉納されているようなのです。 近くにいながら、随分と遠回りしてしまいました。 まるで、僕の人生そっくりです。

八乙女

今宮祭は、5月5日の 神幸祭(※しんこうさい:本社から御旅所へ巡幸) にはじまり、途中、 湯立祭(※ゆたてさい:御旅所にて斎行) をはさんで、5月15日に近い日曜日の 還幸祭(※かんこうさい:御旅所から本社へ巡幸) までの約10日間続き、八乙女は、行きと帰り、それぞれの巡幸に先だって舞いを奉納する役目を司るのです。

神幸祭では、重厚で荘厳な本殿前の白砂上を舞台に、8人のちいさな八乙女が、からりとした5月の空の下、雅楽の調べにのせて、ふわりふわりと舞いを披露します。
本殿奥の常緑樹の濃い緑の葉が、風にさわさわそよぐ音さえ興を添え、ひとかけらの闇さえ寄り付かない、この限りなく清浄な舞台に舞う、緋色の袴姿に純白の千早をはおった八乙女の、漆黒の長い髪はきりっと後ろで結わえられ、金色の絵元結(えもとゆい)が蝶のようにひらり輝く。 天冠は、作品展でみたような、技巧を凝らしたそれとは違い、可憐な菊の造花をあしらった控えめな飾りで、かえってそれが、素顔ではない、明らかに顔師の手による白い顔と黒髪によく似合っている。
それなのに、僕は伝統芸能に疎いためか、あるいは初詣すら疎かにするふつつかな性分のためか、それとも隣の氏子だからなのか、どうも こころのなかのスケッチブック に、しっくりと焼きついてくれないのでした。 こんなに晴れ渡った空の下、どこか霧のなかにいるように、ぼんやりとしたこの気持ちは一体何なのでしょうか。

還幸祭は、本社から歩いて10数分くらいの 御旅所 が舞台です。
この場所が輝くのは、一年のうちわずか10日あまり。 そのためか、広い敷地にはかつて、本社と同じように白砂が敷かれ、カエデや松などが木陰をつくっていたに違いないはずなのに、今では駐車場にでもなっているのか、がらんとしたなか、ぽつんぽつんと古びた建物がかろうじて並んでいる。
そのひとつには、八角形平面の、驚くほど重厚できらびやかな神輿が3台も並んで、 「これが西陣の祭か!」 と圧倒されるその隣に、こちらも随分と古びた能舞台に、ちいさな菊の花よっつ。 4人の八乙女がかさかさに乾いた床板の上に緋毛氈敷いて、お雛様のようにちょこんと並んで行儀よく座っていて、少なくとも僕の目には、神輿が絢爛であればあるほど、このちいさな花たちは、ますますその可憐さを際立たせているようにみえるのです。

狩衣に烏帽子姿の奏者たちが脇座から、神幸祭と同じように雅楽を奏で、神幸祭と同じように八乙女が舞いを奉納しているのに、昼でもなお、ほんのり薄暗い、人工照明ひとつない、100年前、200年前と少しも変わらない古風な舞台は、表面はかさかさのぼそぼそで、今にも息絶えそうにもみえるかもしれませんが、分厚い床板も、図太い柱も、中身は決して死んではいない。
一年のうち、ほんの10日でも神輿が上がり、たった数分舞うために、 「まだまだ朽ち果てるわけにはいかないのですよ」 という建物の声が聞こえてくるような気がする。 背後の鏡板に描かれた老松は、さすがに消えかかってはいるけれど、 「まだまだ消えるわけにはいきませんよ」 といっているような気もする ハレの舞台 で、八乙女の幾枚も重ねた小袖の淡い色調も、ふわり羽織った純白の千早も、緋袴から覗く白足袋も、手に持つサカキも、それから黒髪に映える金色の絵元結も、顔師の手による白い顔も、ほの暗いなか、ヒノキの床の上、老松の壁を背にしてはじめて輝いてみえるのです。 ここでは、匠の技巧を凝らした天冠よりも、やはり控えめな菊の花で飾るのがふさわしい。
かさかさの古びた舞台の上に舞う八乙女の姿は、僕の こころのなかのスケッチブック に、しっかりと焼きついていました。 霧ひとつかかることなく、はっきりと…。