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アトリエかわしろ一級建築士事務所

Author:アトリエかわしろ一級建築士事務所
「がま口から建築物まで」
日々の生活につながっている モノづくり・住まいづくりのためのデザイン事務所です。

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12月01日(土)

道草

ひゅーっと北風が吹いて、向かいの小学校の木の葉がはらはらと落ちる。
目にみえない冬の使者の声が聞こえたような気がした、そんなある日の午後のこと。 落ち葉の道をカサコソと、行きつ戻りつ足元みながら帰宅する、一人の小学生をみかけました。
そういえば近頃、ふらふら道草してる子どもも珍しいな。 と、いつも道草ばかりしていた僕は思いました。
また、 そんなことしてるとお母さんに叱られたりするのだろうか。 そうだとすると、やっぱり頭に角が生えてるのかな。 とも思いました。

何とものどかな、それ程高くはない山々の稜線が、海辺へと辿り着くその間際の、ほんのささやかな平地が瓦屋根の街並みをつくる…。
典型的な瀬戸内の町で育った僕は、山の途中に顔を出す小学校からの帰り道、真っ直ぐ帰っても仕方がないものですから、わざわざ舗装された平坦な道を外れて、山際のガケ地や段々畑のなかの、細く曲がりくねった脇道を好んで通っていました。
でこぼこの土の道や斜面には、ひとつとして同じカタチがなく、大木の根が所々、複雑な表情をみせてくたりもするので、実に面白く過ごすことができたのです。 実際、大人になった今でも、かなりはっきりとその様子を思い浮かべることができます。 それほど興味を持ってみていたからなのでしょうね。

当時、学校のなかで教わることといえば、どれもこれも答えが決まっていて、ちっとも クリエイティブ(creative:創造的な) ではなかった。 つまり、極めて退屈だったわけですが、自然と人間と時間との接点である でこぼこ道 は、どれひとつとっても同じではない。 とにかく クリエイティブ だったのです。
それにしても、学校で学ぶと褒められるのに、道草で学んでも褒められないのは一体何故なのでしょうか。 何だか、大切なものを安易に切り捨てているような気がするのですが…。

以前あるデザイン誌に、プロダクトデザイナーの 深沢直人 と、作家の よしもとばなな との対談記事が掲載されていたのですが、そのなかで よしもとばなな が、自身の観察力や洞察力について 「遠くの景色を眺めるより、いつもなんとなく自分の足元ばかりみている」 と話しておられましたが、きっとこの方は大人になっても変わることなく、 大切なもの をみつめ続けているのだな と、率直に感じました。
だから、この間道草してた小学生のお母さん。 どうか我が子を叱らないであげてください。 きっと何か大切なことを学んでいるのですから。 それに、あんまり怒ると頭から角が生えてきますよ。
ちなみに僕がたびたび道草して帰ってきても、母親の頭に角はありませんでした。

道草
「道草」  ペン、水彩

 

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