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アトリエかわしろ一級建築士事務所

Author:アトリエかわしろ一級建築士事務所
「がま口から建築物まで」
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10月01日(水)

千歳緑

仕舞屋(しもたや)と呼ばれる、京の中心部からちょっとはずれた住宅街などで一昔前までは普通に見かけられた、商売を営んでいない(職住一体ではない)勤め人の住まい(町家)でのお話です。

表の通りに面した格子戸をからから開けると、玄関までに畳三帖ほどの、ほんにささやかな空間。
このわずかな 間(ま) のおかげで、空気の質がちょっと変わります。
その端っこの畳一帖にも満たない土の部分は、80余年という長い年月の間にしっとりと苔に覆われ、にょっきりと松の幹が伸びているのでした。
その斜に構えた優美なラインは、さすがに幹の表面はがさがさした表情にこそなってはいますが、しゃなりとした立ち姿は、他ならぬ赤松ならではのチャームポイントです(※ ちなみに赤松の別名は オンナマツ です)
赤松の幹は迫り出した軒の出を辛うじてかわしながらもくねくねと、一階の屋根の上に顔を出したところでようやっと、深呼吸でもするかのように、のびのび枝を広げることができるようなのです。
枝のあちこちには、もこもこと針のような(といっても結構やわらかい)葉が放射状に広がっているものですから、お日様の光を複雑に反射したり、あるいは深い陰影をつくり出したりと、床しい表情をみせてくれます。

凍てつく真冬の寒さのなかでも失うことのない、永劫続くかと思われるほどの奥深い色彩を授かったこの葉の色を、いにしえの人々はいつしか 「千歳緑(ちとせみどり)」 と呼ぶようになり、神聖でおめでたい象徴とみなすようになったのだそうです。
だから、建物と赤松はとても近しい関係にあって、これが建物だけでは堅物みたくどうにもカチカチしていけませんし、松一本だけポツンと立っていても何だか寂しそうで、双方が寄り合って足りないところを補いながらバランスを保ってはじめて、こころ安らぐ住まいが出来上がる。 どちらか一方が欠けても、決して様にならない。
もしかしたら先人たちは、息の長い松の木のように、建物も 長く大切に使い続けてほしい との願いを重ねたのかもしれないな。 などと、この頃ふと思うのです。

猫の額のように限られた敷地のなかで、建物と樹木とのバランスを保つためには、定期的に植木職人さんの手で鋏を入れてもらったり、少々面倒でも手作業で松葉をまびいてもらったりして、人が身なりを整えるのとおんなじように美しい樹形を維持してあげなければなりません。
このような慣習を 「非効率的な行為」 とか 「無駄」 などと言って、経済学者のように見境なく切り捨ててしまう傾向が、近年とみに顕著であるとしたら、たぶん、それは自分の生まれ育った 「土地の文化」 を失ってしまっているというあかし。 何かが荒んでしまっている あらわれ であるようにも感じてしまいます。

けれども、師走の声が聞かれる頃にはきっと、この家の松の木には鋏が入れられていることでしょう。 いつものように。
そして時には酔狂に、いつも捨てていた松葉を今回は幾らかでも取っておいて、この間少し本で読んだ、茶庭などで時折りみられるという 「敷松葉(※霜から地面の苔を保護したり、景色として楽しむために大木の根元などに冬場に松葉を敷く行為)」 を、赤松の根元のささやかな苔の上に重ね、毎朝静かに水が打たれているかもしれません。 鮮やかな 千歳緑 のじゅうたんの上に。

千歳緑(ちとせみどり)
 

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