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アトリエかわしろ一級建築士事務所

Author:アトリエかわしろ一級建築士事務所
「がま口から建築物まで」
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08月01日(水)

夏の子

僕がはじめて小学校に上がった時。 そこは瀬戸内のちいさな町から、坂道を登った小高い山の中ほどにある、本当にささやかな木造の学校だったのですが、それでも、一年生の僕には十分に頼もしく、立派にみえました。
その校舎に至る急な上り坂は、おおきな桜の木に見下ろされるような格好で、はらはらと花びらが舞い落ちる。 あの瀬戸内特有のほんわりしたゆるーい南風と、古びたガラス窓とが、そして教室の窓から顔出すと、桜の木の向こう側に、のんびりした瀬戸内海の無数の島々と、それから太陽に反射してきらきら輝く海が臨めたのです。

校舎からさらに坂道を登ると、そこがぽっかりと丸く開けた運動場で、これまたささやかなものだったのですが、やっぱり桜の大木たちに囲まれていて、上にはただただ空があるばかり。
だから、包まれるような親密感があって、地域の方々が三々五々坂道を登ってきて、運動場の片隅で思い思いに弁当広げてお花見している。 彼らもその昔、ここで学び遊んだに違いありません。 そんななかで僕たちは遊んでいたのです。 もちろん、夏になると、そこらじゅうセミの大合唱でした。
運動場の端っこから一段上がると、わずかばかりの梅畑があって、そこから先は道のない 動物たちの領域 でした。

そういうのが、僕にとっての小学校です。

やがて大人になった僕は、再び小学校への坂道を登りました。 児童たちが夏休みの間、ここの景色を描いておこうと考えたからです。
ところが、校舎は固く冷たいコンクリートの箱になっていて、しかも、かつて幼い僕を迎えてくれた桜の大木たちは随分と減っていましたが、不思議なことに、その後新たに植えられた木は一本もありませんでした。

校長先生に、卒業生であることと、絵を描きたい旨を伝え、念のため、 8月6日の登校日 は児童たちの邪魔にならないよう控えるべきか確認してみました。 これは、広島県内の全ての小学校に共通していたのかもしれませんが、僕が小学生の時は必ず、広島に原子爆弾が投下されたこの日に登校し、みんなで平和について考えていたからです。 実際、僕が学校で学んだことは、瀬戸内特有の環境と平和についてであって、少なくとも教科書(マニュアル)からではありませんでした。
しかし、驚いたことに校長先生は 「8月6日は登校日ではないので構いませんよ」 と、事もなげにいわれたのです。
一体この人は、広島に住んでいながら何を学び教えてきたのだろうかと、あきれて理由を聞く気にもならず、それでも気を持ち直し、運動場に上がってみると、そこには一本の木もなく、少年野球チームの専用グラウンドと化していました。
ほんのわずかのグラウンド拡張のために、僕たちをあたたかな眼差しで見守ってくれた桜の木々は容赦なく伐り倒され、コンクリートの地盤が張り出し、その結果、いびつに変形した崖は 危ないから近寄るな! と隔離され、かわりに周囲は鉄塔にネットが張り巡らされていました。
夏休みとはいえ、子ども一人遊んでいません。 もっとも、そこには樹木の木陰ひとつなく、セミの一匹もいないでしょうが…。

人間と動物たちの棲み処を、さり気なく取り持っていてくれた、運動場の端の梅畑はとうの昔に破壊され、乱暴にも、人間の都合で、コンクリート製のプールが打ち込まれていました。 確かに僕が子どもの頃はプールがなく、泳ぎは達者ではありませんが、それでも 「やっぱり、梅畑のほうが絶対よかったな」 と、僕は思いました。

8月6日の午前8時15分。 誰もいない運動場の隅っこで、僕は目を閉じ祈りをささげた後、かつての、粗末であったかもしれないけれど、ささやかな、木造校舎のある風景を描きました。 そして、もしそこでブランコに乗る少年があなたの目に、幾分悲しそうにお感じになったとしたら、あるいは、それが僕の こころの投影 なのかもしれません。

夏の子
「夏の子」 ペン、水彩

 

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