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アトリエかわしろ一級建築士事務所

Author:アトリエかわしろ一級建築士事務所
「がま口から建築物まで」
日々の生活につながっている モノづくり・住まいづくりのためのデザイン事務所です。

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11月23日(金)

風の教会

その教会への道のりは遠い。 まるで自身のこれまで歩んできた、これから歩まねばならない道のりに重ねるにふさわしい、孤独で、静寂に満ちた、稀有な機会にたとえてみてもよいかもしれません。

神戸市街はもとより瀬戸内海を一望できる六甲山の頂き近く、不規則に隆起する立地に建物を計画しなければならないとしたら、これまでの定石に従って、人為的に平坦な条件に整えてしまえば至極都合がよいわけです。 しかし、それではその場所だけが持つ個性は踏みにじられ、何もかもが帳消しにされてしまいます。
はた目には単純で、そっけないくらいに明快な人工物に対し、そこにあって然るべき意味を見出すのは想像以上に面倒で困難な作事に違いないはずなのに、出来上がった建物からはちっともそのような苦労は感じられないし、断じて悟られてはなりません。
周知のように造成された敷地ではないゆえ、一体どこまでが隣地なのかすら判然としない。 視覚的には途切れることのない広大な自然環境のスケールからすれば、あたかも両の掌にすっぽりと収まるかのような 「風の教会」 と名付けられた、詩的で、それはそれはちいさな建造物は、性質の異なる三つの空間によって構成されております。

人里離れた森のなか という特殊な立地からして、既に俗世間から隔絶されてはいるものの、そもそもがリゾートホテルに付属する ウェディングチャペル として誕生した生い立ちが物語るように、あくまでも常識に支配された、便利で快適なホテル本館からごてごてとまとわりついた一切合切を、きれいさっぱり拭い去るための装置として、教会へと至るためにはまず、長さにして40mあまり続くガラスのトンネル(コロネード)を通過する慣わしになっています。 さしずめ、茶室における露地庭のような存在 とでもお考えいただければよろしいでしょうか。
コロネードの壁面と屋根はすべてすりガラスで覆われているため、外光は適度にろ過され、視界はぼかされて均質な光に包まれながら、非日常の空間へと誘われる という趣向です。

すりガラスによって切り取られた歩む先にちらちら垣間見える、明るい現実世界へとつながる道はやがて潰え、右手に閉ざされたずしりと重い鉄の扉が本来のエントランスになっていて、扉の向こうは一転、コンクリートの壁と屋根によって護られた、ほの暗い極小空間(前室)になっています。
ただ、ここが閉塞的か というと、ちっともそんなことはなくて、意外にヒューマンスケールで、むしろ頼もしくさえ感じられる分厚いコンクリート壁の懐は不思議と心地よく、 くるりん と小気味よい弧を描きながら、眼前には礼拝堂へと続く目には見えない第二の扉 を介して、さながら額縁のなかに収まる一枚の絵画のように美しい空間が、どこまでも静かにたたずんでいらっしゃる。

風の教会

幾人もの確かなつくり手達によって過たず生命が吹き込まれ、コンクリートと、鉄と、ガラスと、石の、どれもこれも冷たく無機的な素材で出来上がった正真正銘20世紀の礼拝空間は、あちらこちらにうがたれたスリット状の開口部から届けられ、時々刻々と表情を変え続ける自然光の表情があまりに雄弁で、かつ皆目予測がつかないため、永遠に潰えることがないのではないか と錯覚してしまう有り様です。
ことに、正面向かって左手にたった一つ開かれた大きな開口部の向こう側で、さものびのびと気持ちよさそに枝葉をひろげる、もはや人の手の行き届かない、お世辞にも整った姿とはいい難い天然自然の樹木の落とす虚構のような影絵が、建築家によって描かれた一本一本の線がブレることなく具現化された空間を背景に、冷酷であればあるほど、厳格であればあるほど、生き生きと輝いて映る夢まぼろしのようなひと時を、一体どれだけの方が想像できたでしょうか。

やがて、現実世界へと戻る時がきて、帰り際、ふと目をやったスリット状の窓外の、幅にして1mにも満たない礼拝堂とコロネードによって切り取られたほんの隙間のような地面が、平坦ではなく、周囲の地形から連続するよう、さり気なく、実に入念に復元されてあることに気づきました。 それは、大地を傷つけコンクリートを打ち込む責任を背負わねばならぬ者達の、この土地に対する無言の礼節であると悟り、人里離れた六甲のちいさな教会が、いつまでも変わらずあり続けてほしいと願わずにはいられませんでした。
 

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