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アトリエかわしろ一級建築士事務所

Author:アトリエかわしろ一級建築士事務所
「がま口から建築物まで」
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07月01日(水)

本野精吾邸

何でもその昔、衣笠村と呼ばれていた衣笠山の麓にひろがるのどかな田園地帯が、やがて住宅地として整備されはじめるようになると、京の市街地から程よい距離にある、あちらこちらに田園の風景が残された情緒あふれる環境ゆえか、京都画壇を代表する、そうそうたる顔ぶれの画家たちが移り住むようになり、ちょっとした芸術家村のような様相を呈していた時期があったそうです。 大正から昭和の途中頃まで、近代日本画の黄金時代を築き上げ、数々の名作が生み出された歴史的場所ということになります。
ちょうど同じ時代、芸術家村に程近い宅地にひとりの建築家が、自身と家族のためのささやかな住まいを建てました。 建築家の名は 本野精吾 、1924年(大正13年)のことです。

本野精吾邸は、日本で実現したモダニズム建築として最初期の作品であるばかりでなく、世界的にも相当すすんでいる、当時最先端の住宅であったと断言しても差し支えないでしょう。 それどころか、90年あまりを経た現代でも設備の内容を除けば全く遜色ない、むしろ勝っているのではないかとすら思えてしまいます。
それほどまでに素晴らしい、驚嘆に値する第一級の近代建築も、メディア受けする作風ではないことが幸い(あるいは災い)してか、普通の人がぱちりと写真に収めてブログか何かに掲載したとしても、ちっともよさが分からない。 住宅の本質と写真うつりのよさとは、そもそも何の関係もなく、もとより本野精吾ご本人も、そういった世渡りには関心のなかった方であったでしょうから、結局、その場に身を置いてみるのが一番なのです。 間違っても、うわべの知識だけで判断してはいけません。

現在、本野邸は(本野精吾の)お孫さんご夫婦によって大切に維持されています。 ご夫婦は敷地内に別棟を建て、そちらにお住まいの様子で、本野邸の建物は住まいとしての使われ方はしていませんが、ほぼ当時の状態を残しながら適切な修繕が施され、よくある記念館的な施設に転用されることもなく、その気になればいつだって現代の暮らしが営めるコンディションにあります。
ちまたでは、原形をとどめないくらいに改修されたり、何ら必要な手入れがなされないまま 「老朽化したから」 と解体される優れた近代建築も少なくないなか、年月を経ることが樹木の年輪のように、使い込まれた独特の風格を醸し出し一層輝いてみえるのは、ご家族の愛情あふれる接し方もさることながら、ごくごく普通の土地に、見栄を張らず、誤魔化さず、住み手の幸せのために本当に必要な機能を、当時最新の技術力でカタチにしたこと。 そして、本野が留学していた20世紀初頭のドイツにおいて、様式一辺倒であった伝統から機能や構造を空間として表現する、近代建築(モダニズム建築)の息吹をいち早く感じ取っていたからかもしれません。

本野精吾邸

敷地はひろくもなく狭くもなく、車一台がようやく通れるくらいの道路に面した、立派なお屋敷から庶民の住宅、お寺までが混在する住宅街で、当時は田園風景がひろがっていたであろう西隣は後年移転してきた立命館大学のキャンパスになっていることもあって、時折学生が行き来する、静かで目立たない場所にあります。
東京の由緒ある家柄に育ち、エリート建築家としての道を約束され、後に大学の先輩でもある武田五一に招かれ京都高等工芸学校(※ 現在の京都工芸繊維大学)の教授に着任、留学経験もある本野にしては存外質素な住環境に、これまた拍子抜けするくらいに簡素極まりない小住宅を、日本の伝統工法でも西欧の様式建築でもない、堅固で実用性に長け、洗練されたモダニズム建築としていち早く実現してしまったわけです。
おそらく、モダニズムというスタイルなど一般社会のなかでは認知されず、日本の建築界でも様式に従うのがまだまだ当たり前の時代でしたから、もし本野がドイツで感じ取った革新的な考え方を実践するとしたら、やはり自邸以外には考えられず、ならば新しい表現を理解しうる芸術家たちが暮らす衣笠山の麓こそが最もふさわしい場所だった。 と、そのように解釈すると、何もかもがすとんと腑に落ちるのです。

まだ世界でもほとんど実現されていなかった斬新な建物は、地域性を無視した無表情な箱とはわけが違う、雨が多い日本の気候に従って水平に庇を張り出し、縁側に替わるテラスが南側の庭に面して設けられているのはむろん、調理や洗濯といった家事動線は完璧な上、部屋同士が有機的につながる空間構成によって、廊下のないコンパクトな住宅となり、ゆえに掃除もしやすいとよいことづくめです。 にもかかわらず、コンパクトな住宅にありがちな窮屈さはとは無縁で、ヒューマン・スケールの心地よさだけが感じられ、西欧の床の間に相当する暖炉ひとつで家じゅう暖まる効率のよさも持ち合わせている… といった具合に、住まいとしての完成度の高さには、なまじ最新設備やコンピュータに頼って無難にパターン化された昨今の設計手法では、到底到達成し得ないでしょう。
外装のコンクリートブロックやレンガにしろ、内装のセメントしっくいや床板張りにしろ、決して高価な材料を惜しげもなく使っているわけではなく、むしろ粗末とさえ思えるくらいなのに、職人がきちんと手をかけることで細部に命が吹き込まれ、時間という試練にも耐え得る。 だから、時間をかけて少しずつ、あったかい、ぬくもりのあるモダニズムへと成長して、たとえ広大な敷地でも立派な建物でなくっても、豊かで満ち足りた暮らしは可能なのだと確信していた(であろう)、本野が残した最高の仕事であると、個人的には評価しています。

これは単なる推測にすぎませんが、現在、のびのびと枝葉を繁らせた、元気な植物たちに覆われた庭は、もともと 芝生主体のすっきりとフラットなイメージ だったのではないかという気が、エントランス脇に当初から植えられていたものと思われるシュロの木をみるたび、そして、すらりと背の高い、去りし日のダンディな本野のポートレイトをみるたび思うのです。
足の長さに自信のあるあなたなら ひょい とひとまたぎできそうな、そのくらい背の低い、飾り気のない門扉の向こうには、明るい芝生のなかにちいさなモダニズム住宅がぴんと水平に軒を出し、真っ直ぐに伸びたアプローチの先にある、控えめなたたずまいのエントランスポーチのレンガにまもられた柱とシュロの木がすっくと垂直に立ち上がっている。 誰がみても、ささやかでありながら、見事に計算された完璧な構図になっていて、これで万事OKのはずなのに、どうも何かが欠けている。 そう直感した(であろう)本野は、いかにも人間に制御された感のある品のよい庭よりも、形式張らない生命力に満ち満ちた庭こそがモダニズムにはふさわしいと判断し、ナンテンやアジサイのような、 世間に気兼ねなし といった面持ちの植物たちで埋めつくしたのではないでしょうか。
それから何十年という長い時間を経、本野の意思を受け継いだご家族の手で大切に維持されてきた本野精吾邸は、10メートルにも満たないエントランスへの道のりですら、胸躍る日常になり得ることを、この場所がそっと教えてくれました。
 

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