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アトリエかわしろ一級建築士事務所

Author:アトリエかわしろ一級建築士事務所
「がま口から建築物まで」
日々の生活につながっている モノづくり・住まいづくりのためのデザイン事務所です。

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12月01日(月)

フラワーキッチン

こんなこと、別に誰も気にしてやしないかもしれないけれど、身近にあふれ返っているモノについて、今更ですがきちんと考えてみたのです。
たとえば、数十年前の人々が夢見た遠い存在が、技術の発達によって今では割合いたるところで使われていたとして、それで確かに暮らしが便利になったとしても、必ずしも僕たちの幸せにはつながっていないのが現実であるなら、はたしてその行為自体に意味があるのでしょうか。
モノをつくることがすなわちゴミを生み出すという、矛盾したおかしな方向へと世のなか突き進みながら、それでも経済が発展したとか景気が上昇したとかいっている偉い人たちはどこかで間違っているような気がして、そう、きっとそこには大切な 何か を見失ってしまったため、結局のところ、あくまでも目安に過ぎない数値にしか頼れなくなっているだけなのかもしれません。
モノづくりにおいて、ついつい無難なところに着地点を見い出そうとしたり、自社の安泰のために手っ取り早く結果を出すことだけを意識して、長い視点でものごとを捉えられなくなってしまうと、肝心の使い手の暮らしのようすなど想像すらできないに違いなく、もはやそこには本当の意味での 幸せ など存在しないはずなのです。 にもかかわらず、誰もそのことに対して疑問にすら感じなかったりするのですからいけません。
そこで、今こそ僕は、つくり手たちが夢見るこころを失わずにいた(であろう)、1970年のお話をしてみたいと思います。

1970年というと、大阪で日本万国博覧会が開催された年。 高速道路から直接アクセスできる広大な万博会場には車のための道と歩行者のための道が立体的に分離され、さらにその上空をモノレールの電車が交錯し、背後には数え切れないくらい多くの国々や企業のパビリオンが建ち並ぶ近未来的な風景は、まさに圧巻のひとことだったのでしょう。
国の威信や企業の命運を背負って建設されたパビリオンは、わずか半年間の短い会期ゆえ、これでもかというくらい来場者の目を引き話題性を狙うかのような巨大さや奇抜さに満ち満ちていて、ただですら人でごった返しているのに、それを増幅するような賑やかな景観をつくり出していた(であろう)なか、 掃き溜めに鶴 の比喩ではないけれど、雑踏に咲く一輪の花のごとくちいさくて目立たないパビリオンが静かな輝きを放っておりました。
当時の三洋電機(※ 現在はパナソニックに吸収合併され、SANYOブランドは消滅。)が出展したパビリオンが サンヨー館 で、どこか日本の伝統的な民家を連想させる大きな屋根が特徴の随分と控えめな物腰ではありますが、まわりが派手であればあるほど、かえってそこはかとない上品さが際立つのは、名だたる大企業が惜しみなく贅をつくすなか、せいぜいその三分の一くらいの予算しか捻出できなかったという社内事情だけではありません。 そこには 「日本のこころ」 をテーマに、単に展示するだけの作品ではなく実用できるモノ。 なおかつその技術やアイデアが人々の記憶に残り、後々活かされるような、そんな長い視点で未来の暮らしを提案するのだという、トップやつくり手たちの強い想いや誇り、それにデザインの持つ力が根底にあったからなのでしょう。

とりわけ、サンヨー館のなかでも白眉といえるのが ファミリーコーナー です。 ファミリーコーナーでは 「第三の自然による健康の家」 をコンセプトに、未来の家庭生活を先取りしたかのような以下の四つの製品が提案、実演されました。
・ 「人間洗濯機(ウルトラ・ソニック・バス)」 : 流線型のカプセルのなかに座っているだけで、マッサージボールや超音波の効果によって快適な入浴が可能となる全自動バス。
・ 「フラワーキッチン」 : ボタン操作ひとつで、調理から配膳、食事、収納までこなす台所の革新的装置。
・ 「万能テレビ」 : 未来における家庭情報センターで、テレビ、ビデオ再生装置、テレビ電話、16mm映写機、電子計算機、電波新聞を、ボタンひとつで画面に呼び出したり切り替えたりすることによって、家庭にいながらにしてビジネスやショッピングが可能となるテレビ。
・ 「健康カプセル」 : 球形のカプセルのなかに、休息と安眠のために必要な全自動機器を内蔵した完全プライベートルーム。 人間工学に基づいて設計されたリクライニングベッドは、どのような姿勢にでも自在に対応できる。
1968年に公開された映画 「2001年宇宙の旅」 に象徴されるように、この時代は近未来や宇宙を想像させるようなデザインが広く認知されるようになり、流線型や球体、曲線を多用した製品が数多く登場しました。 樹脂成形の技術が確立された背景もあるのでしょうが、同時に自由なカタチや色彩を持つ製品を安直な発想でやみくもに生産し続けるという弊害も生み出すという、愚かな行為を誘発する発端になってしまった 罪深い時代 であったともいえるでしょう。
そのようななか、近い将来多くの人々のために、技術やデザインの力で何を成し得るかを考え、誠実に取り組んでいたメーカーが三洋電機であり、1970年にサンヨー館のファミリーコーナーとして実を結んだのではないでしょうか。

ファミリーコーナーで提案された製品は、ごく一部の上層部の人たちだけで企画されたものではなく、トップからの 健康の家 というコンセプトに基づいて工場で働く現場の技術者たちがアイデアを出し合い、近未来に商品化するという前提で五名のデザイナーが計四つの製品にまとめ、それぞれの立場の持ち味を存分に発揮しながら、限られた予算と時間のなか、ただ 人々の幸せのため という目標に向かって情熱の限りをつくしたのだろうと想像するのです。
なかでも、個人的に興味深いのが フラワーキッチン です。

フラワ-キッチン

この頃はまだ、いかに主婦を家事労働の負担から開放するかを、技術の力で少しでも解決しようとするメーカーの使命、というか純粋な姿勢のようなものがひしひしと伝わってきます。 昨今の利益を得る方策として捏造されたにすぎない 「かしこい奥様のための便利でお得な製品」 とは雲泥の差です。

フラワーキッチンは、これまで家のはじっこにあるのが当たり前だった台所を居間の真ん中、一家団欒の中央に据え、食に関するありとあらゆる機能をひとつのカタチにすっきりとパッケージングすることで、伝統家屋でいうところの大黒柱、つまり、一家の 精神的な拠り所 のような存在としての役割を託している点が、特筆に価するといえます(※ 部屋の中央にオープンキッチンを配置するスタイルは、最近徐々に浸透しつつありますが、さすがに冷蔵庫や食器等の収納スペースは壁際に別ユニットで置かれていることを考えると、相当に斬新なアイデアです。)
その場に居ながらにして、スイッチ操作で調理から配膳、食事、食器洗浄、収納までの仕事を自動的にこなしてくれるという発想は、完全なブラックボックスと化した今のIT時代よりも、等身大で機械仕掛けの装置が動いているという分かりやすさが、理屈抜きに人をわくわくさせる相乗効果を生み出します。
博覧会で実演された際に記録された映像によると、ホステス(※ コンパニオンのこと。)が印鑑くらいの大きさのキーのようなものを操作パネルに差し込むと、円形のテーブルに放射状に並んだ六つある円形プレートのひとつがエレベータのように自動的に上昇して、下からは格納されていた食器や調味料、飲み物などがまるで演出された舞台装置のようにすーっと現れ、さらに別のプレートの下には電子レンジが仕込まれているらしく、皿の上にはほかほかに調理された料理があたたかな湯気とともに、これまたす-っと現れてきて、しかも、中央にバラの花が活けられた円形のテーブル自体が大掛かりな舞台装置のように回転しながら手元でぴたりと止まる様子が実演されるのですから、目の当たりにした来館者の誰もが、自分たちの人生の先にある未来というものが、何となく明るくて、何となく幸せな世界につながっていると空想することが許された。
バーチャルなどと感覚が麻痺してしまった擬似的な世界では到底うかがい知ることのできない、手を伸ばせばそこに届きそうな気さえする未来には、いつだって夢があったのですから。

ただ、冷静に考えてみると、フリーザーや冷蔵庫、電子レンジから食器洗浄機まで内蔵し、しかも食器や調味料までの一切を円形テーブルのなかに格納しているとしたら、おのずとそのスペースには限りがあり、お世辞にも十分とはいえないはず。 第一、円形テーブルを食卓として使おうとして椅子を置いたとしても、膝がつかえて勝手が悪いことは明白で、パーティー形式のように立って食事をするのだろうか? と、実用面での問題点を幾らでも挙げ連ねて指摘することなど造作もありません。
そんなこと重々承知の上で、それでも使いこなしてみたい。 住みこなしてみたい。 家の真ん中に一家の大黒柱みたくでんといてほしい。 そう思わせずにはいられない不思議な魅力がフラワーキッチンには確かにあって、日本という国にはこんなにもつくり手の想いと、使い手の幸せを素直にモノとして表現できる人たちがいたのだという新鮮な驚きとともに、いつまでも色褪せることなく、僕たちの記憶のなかで輝き続けることでしょう。
 

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