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アトリエかわしろ一級建築士事務所

Author:アトリエかわしろ一級建築士事務所
「がま口から建築物まで」
日々の生活につながっている モノづくり・住まいづくりのためのデザイン事務所です。

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11月01日(土)

ブラック・スライド・マントラ

その滑り台のことを知ったのは、随分と以前のお話。 イサム・ノグチについての特集記事でみつけた一枚の写真からでした。
黒い御影石でつくられたどっしりとした滑り台に、子どもたちが鈴なりになって遊んでいる様子は、それはそれは素晴らしく美しい光景で、たったひとつの彫刻で、こんなにも素敵な仕事を成し得ている という事実にひどく驚き、こころ打たれたのでした。
実は、それより少し前、イサムの作品を美術館の回顧展で拝見していましたが、館内にうやうやしく展示されていた作品は、どこか 借りてきた猫 のように居心地悪そないでたちで、展示の都合上仕方がないことなのかもしれないけれど、雨風はおろか、直射日光からも隔てられ、もちろん触れることなど到底許されるはずもなく、結局は端から順番に陳列されていたにすぎないのですから、向こうからは何も語りかけてはくれない悲しさ。 そうか、 これは本来イサムが望んだ作品のあり方ではなかったのだ と、あの写真から気づかされたのです。
記事には ブラック・スライド・マントラ(BLACK SLIDE MANTRA) と名づけられた滑り台について、イサムは 「彫刻とは何なのか、おしりの先から少しずつ分かってくる」 と語っていて、小難しい理屈など一切抜きに、こんなにも詩的に芸術を表現する人が、その場所(※ 札幌です)のためにこころを込めてつくった滑り台を、いつかこの目でみ、この手で触れてみたい と、ささやかな夢を抱くようになりました。

これがきっかけでイサムの仕事に興味を持つようになり、いろいろ調べてみると、どうやら彼は子どもの遊び場や遊具について、もともと強い想いを持って取り組んでいたらしいのです。 実現はしませんでしたが、1930年代はじめ頃には既に 「プレイ・マウンテン(Play Mountain : 遊び山)」 と題した、大地を彫刻したかのような遊び場の構想を開始していたそうです(※ プレイ・マウンテンは、イサムの死後、札幌のモエレ沼公園ではじめて実現しました)
こと滑り台については、とりわけ想い入れが強かったとみえて、1960年代から70年代にかけて詳細なデザイン画や模型が作成され、遊具と彫刻作品が融合したかのような、あそびの原点と芸術性の境目を完全に超越した次元に到達していました。 いえ、もとより彼自身が 子どものこころ と 芸術家のこころ を失わなかったから と説明したほうがよいでしょうか。 札幌のブラック・スライド・マントラのアイデアは、その頃に出来上がっていたのです。
実をいうと、この滑り台には血を分けた兄弟がいて、1986年のヴェネチア・ビエンナーレにアメリカ代表として選ばれたイサムが、母の祖国の威信にかけて出品した真っ白い大理石でつくられた滑り台が、兄にあたる 「スライド・マントラ」 で、二年後に父の祖国である日本のために黒い御影石でつくられたのが、弟にあたる 「ブラック・スライド・マントラ」 であったというわけです。

ブラック・スライド・マントラは、1988年に札幌市からの依頼で、市の中心部にある大通公園内に設置するためにつくられた という経緯があり、札幌の雪景色に映えるようにと、黒い石の滑り台がイサムによって提案されました。 公園内での設置場所はあらかじめ決められていたようなのですが、現地に足を運んだイサムが選んだのは、公園の敷地からはみ出した道路の部分だったそうです。
大通公園は、碁盤の目状に規則正しく配された道路によって一定間隔で分断されているのが、どうも彼の気に入らなかったらしく、それは 自分の作品のため というよりも、ただただ純粋に、子どもたちが道路に遮断されず思う存分走り回れる環境をつくりたかった。 そのきっかけが、ブラック・スライド・マントラであったのだと。
残念ながら、その年の末にイサムは84歳で亡くなりましたが、札幌市は彼の意思を誠実に受け止めて、数年後、本当に一部の道路を取りやめ、公園として整備し直し、遺作ともいえる滑り台を設置したのでした。
だから、イサム・ノグチの聖地と呼ばれる香川県の牟礼(むれ)という石工の里にある彼のアトリエ(※ 現在のイサム・ノグチ庭園美術館)よりも、札幌の子どもたちのために、一人の芸術家と自治体が力を合わせて成し遂げた たったひとつの滑り台 をいつか訪ねてみたい。 そのささやかな願いが、十数年かかってようやくかないました。

地下鉄の駅をおりて、東西に細長い大通公園を西に向かって歩き続けると、憧れの黒い滑り台が遥か向こうに、ちょっと尋常ではない存在感で、それでも限りなく静かにたたずんでおりました。 何百年と大地に根を張り続けた大樹のような雰囲気 とでも表現したらよろしいでしょうか。
初恋の人にでも会うような幾分くすぐったい気持ちで近づくと、写真では気づきませんでしたが、丘というほど大層ではないにしても、ゆるやかに盛り上がった芝生のてっぺんにどっしりと据えられたブラック・スライド・マントラは、もう20年以上はここにあるはずなのにぴかぴかに磨かれ輝いていて、そっと触れると、子どもたちのおしりと、この公園を愛するおとなたちの手で大切に扱われていることが理屈抜きに伝わってくるものですから、こんなに美しい場所なら、子どもたちがすぐにでも駆け上がってくるだろうな と思うか思わないかうちに、てーっと3歳くらいの女の子が瞬く間に駆け上がってきました。 やっぱり。

ブラック・スライド・マントラ

そもそも巷にあふれる遊具はどれも、本当に子どものためにつくった というよりも、おとなの都合で誤魔化し誤魔化ししてつくられたにすぎないのではないか? という疑問が前々からありました。 どこか、上から見下しているようなふしがあるからです。 けれども、イサムは遊具たちに対し、誤魔化さず全力で向き合って、しかも 子どもの目線 で彼らと同じ世界を見ようとしていた。 そんなふうに思えて仕方がありません。
少なくとも、大通公園を訪れた時の彼にとって、ここは紛れもなく世界の中心で、その中心にふさわしい滑り台を、天賦の才能とありったけの想いを込めてつくったに違いないのですから。

てーっと誰よりも、おかあさんよりも早く駆け上がってきた女の子はまだ未就学ですから、ある意味遊具らしからぬ、とてつもなく大きなブラック・スライド・マントラ(高さ3.6m、重さ80t)を理屈ではなく、直感で接しようとするはずです。 すると、自分たちとおんなじ目線でつくられているわけですから、丸い穴の向こうに素敵な世界がつながっていることに、すぐさま気づきます。
何といっても、この滑り台の魅力は 「くるくるまわる螺旋の動き」 です。 石のなかは螺旋状の階段になっていて、はじめ暗い階段は登るほどに明るさを増し、途中でぱっ視界が開けます。 そこで、外で待ってくれているおかあさんと目が合って、おかあさんよりもずっとずっと高い場所にいる自分に気づくのです。 「そんな私をみててね」 という気持ちで、てっぺんから滑り降りるのはちょっぴりどきどきする。
けれども、包まれ守られている安心感と、すべすべした手触りから勇気をもらって素直に身をゆだねると、 くるりん と旋回しながら3m近くの高低差を瞬く間に滑り降りる気持ちよさ。 なにせ、つるつるに磨かれた上に子どもたちのおしりが更に磨きをかけ、おまけに急勾配ときていますから、そのへんの 子どもだまし の遊具とはわけが違います。 それでも不思議なことに、3歳の子でも すとん と両足で着地できるのですから、これが楽しくないわけがありません。
もうそうなると、くるくるまわって反対側の丸い入り口へと駆けてゆく 「あそびのスパイラル」 のとりこになっていることでしょう。

かつて写真でみた世界は夢まぼろしではなく、今確かに目の前にあって、この滑り台を子どもたちのおしりが磨き続けている。 イサムから渡された 目にみえないバトン をしっかり受け取って、あそびそのものが、実は 彼と彼らの作品 だったのです。
 

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