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アトリエかわしろ一級建築士事務所

Author:アトリエかわしろ一級建築士事務所
「がま口から建築物まで」
日々の生活につながっている モノづくり・住まいづくりのためのデザイン事務所です。

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01月01日(金)

国立京都国際会館

その建物のことを知ったのは、7歳か8歳くらいだったでしょうか。
家にあった百科事典を眺めていた折に、ギリシャのパルテノン神殿やインドのタージ・マハールといった世界的名建築に混じって、シドニーのオペラハウス等、現代建築の幾つかも紹介されていて、そこに 国立京都国際会館 の写真があったことを、今でも割合はっきりと覚えています。 当時はもちろん、建物に託された想いなど分かるはずもありませんから、ただただコンクリートの かくかくっ としたカタチをぼんやりと眺めていただけで、将来 COP3(※ 1997年の地球温暖化防止京都会議) が開かれ 「京都議定書」 が採択される、歴史上重要な会議場になろうとは想像できませんでしたが。
やがて大人になり、京都に暮らすようになってから、まるでおとぎの国にでも迷い込んだかのような気分で宝ヶ池のまわりを散策することはあっても、また、周囲の山々が どんぐりの背比べ さながらに肩寄せ合いながら、水面にぽこぽこっとした姿を映し出す夢幻のような情景にみとれることはあっても、すぐ目と鼻の先にあるはずの国際会館には 「そういえば、何かあったような…」 といった、そこはかとない意識しか働かないのは一体何故なのでしょうか。 地上6階建て、東西方向の長さが200mはあろうかという堂々たる大規模建造物にもかかわらずです。

第二次大戦からの敗戦を経て、ようやく国際社会への復帰を果たした日本にとっては悲願でもあった国際会議のハレ舞台が、この国ではじめてとなる公開設計競技(いわゆるコンペ方式)によって選ばれた 大谷幸夫 の設計で、京都・宝ヶ池の北の畔に姿を現したのが、かれこれ半世紀近くも前、1966年(昭和41年)のことでした。
愛らしい山々のふところに抱かれた敷地の背後には、遥か東に比叡山、北には北山の峰々が幾重にも連なるという、京都でも指折り(というか最高)の立地条件にあり、美しい自然環境に調和する国際会議場の理想像として、大谷が最初に想い描いたのは 「農家が点在する日本のふるさとの姿」 であったそうです (※ 白川郷の合掌づくり集落のようなイメージです)
それを、代々受け継がれてきた伝統の木構造ではなく、鉄やコンクリートといった現代の材料と当時最新のテクノロジーで、最大2000名まで収容可能な国連クラスの大会議場をはじめ同時通訳に対応する大小幾種類ものフォーマルな会議場と、インフォーマルな雑談の場としても機能するロビーやラウンジスペース、宴会場。 更に、それらをサポートするための控え室や委員会、記者会見のための諸室等、ありとあらゆる条件を満たし、破綻なく整理した上で、古都京都にふさわしい容姿をまとい、自信をもって世界中の訪問客を迎え入れなければならないのです。

設計にあたって大谷幸夫が強く意識したのは、少なくとも ふたつ あるように思われます。 ひとつは、風景としてその土地の特徴を尊重すること。 もうひとつは、建物は人を護る心地よい場所であることです。

国立京都国際会館

通常の四角いカタチをした部屋の構成で、国際会議に求められる諸条件を満たそうとすると、それ相応なボリュームになるために、宝ヶ池を抱く (大谷のいうところの)穏やかな土饅頭のような山々 を建物が圧迫してしまい、この地の景観にはそぐわないだろうと判断したようです。 しかし、会議の性質から座席数はあらかじめ決まっていて、会議場の面積を単純に減らすというわけにはゆきません。
そこで、会議場の(南北側の)壁そのものをやや内側に傾けて 台形状の部屋 とすることで、床の面積はそのままに、立体としてのボリュームを適切に減少させたのです。 この変形空間から自ずと導かれる外観は、懸念されていた山並みとの相性にも優れるという、どこか白川郷の合掌集落にも共通する利点が見い出せるところなどは、注目に値するアイデアといえそうです。
ただし、会議場として求められる規模はかなりのものですから、実際の農家のようにぽつぽつぽつと点在させるだけの敷地的な余裕はありません。 そこで、大小それぞれの会議場を相互の関係を意識しながら幾分ずらして並べたり、大きな空間は少々地中に掘り下げてみたり、ややちいさな空間は2階に、あるいは半階だけ上げ下げして2.5階、1.5階と調整をする等、水平方向だけでなく、垂直方向にも空間を立体的に組み立てて密度を高めるよう、工夫が凝らされました。
どうやらその際に、設計者の都合や管理する側の意見だけでなく、まわりの自然の声にもきちんと耳を傾けて判断されていたらしいのです。
南北方向のカタチは、遥か背後の比叡山の稜線とのバランスから、東西方向のカタチは、すぐそばの土饅頭のような山々と遠く北山の峰々とのバランスから導かれたものに違いなく、もちろん足元にひろがる宝ヶ池にも相談の上で、池の水を引き池泉回遊式の庭園をつくり、新たに植えた庭木でもって建物と周辺とのバランスを保つ修景をおこなう といった配慮まで成されています。
まるで 「新参者ですので、どうぞよろしくお願いします」 と、この地の自然たちに挨拶をするかのように。

傾斜する壁を備えた台形状の空間が、その大きさを変えながら水平・垂直方向へと展開するさまは、複雑なことこの上なしで、設計も工事も並大抵の苦労ではなかったでしょう。 けれども、複雑であるがゆえに、主役である会議場のまわりに生じる 余白 のような部分が、一層魅力的な空間として機能していることも忘れてはなりません。
台形状の会議場が少し間隔をおいてふたつ並ぶと、そのはざ間には 逆台形状の余白 が生まれます。 仮に会議場が3階相当の天井高さをもっているとすれば、余白の部分は3フロアのサポート空間として活用することができて、しかも逆台形ということで、会議場が内側に傾斜した大空間であるならば、隣は逆の外側に傾斜した壁を持つ小空間という、異なる空間体験が味わえるというわけです。 この空間ギャップは、議論に集中しなければならない会議場と、気分転換をしたり緊張感を開放したいロビーや廊下という相反する性質に、心憎いくらいぴったりと当てはまっています。

Room A と呼ばれる会議場は、吹き抜けのメインラウンジをはさんで向かい合う大会議場に次ぐ大空間で、天井高さは9mですから軽く3階分くらいはあります。 にもかかわらず、安定感というか、ちょっと安心するような感覚があるのは、傾斜した壁に 護られている という安心感をその場にいる人に与えているからなのでしょう。 それでも、壁が傾いているなら何でもよいとは限らないはずです。 方法によっては壁の傾斜がその場にいる人を不安にさせ、恐怖におとしいれることだって可能なのですから。
大谷は、台形状のデザインが周囲の山々との相性に優れるだけでなく、構造上も安定し、音響においても妥当であることを確認し(※ 音が適度に拡散するため、会話が聞き取りやすいものと思われます)、加えて日本建築の最も古い形式との類似点があることも承知の上で採用に至ったようです。
たとえ、どれ程大きな空間であっても、人間が使うことを意識して、人間のスケールを逸脱しないようにデザインすれば大丈夫、間違いないのだということを、大谷はこの建物を通して教えてくれているような気がします。

荷重を支える鉄骨の柱や梁には耐火被覆のためにコンクリート製のパネル材が張られていますが、わざわざ表面に職人の手作業による 叩き加工 を施すことで、何でもない工業材に命が宿り、無機質の金属板を多用しているからこそ、部分的に用いた西陣織りの布地や銀もみの和紙が生気を帯びて、下手するとちぐはぐになりかねない様々な個性の集まりが、不思議とひとつにまとまっているなと感じたならば、もうあなた自身がすっかりその空間に溶け込んでしまった証拠なのです。 そういう感覚を 心地よい とでも表現するのでしょう。

国立京都国際会館 Room A

会議を終えて、あるいは途中休憩でRoom Aから一歩ロビーに出れば、そこは会議場の大空間とは裏腹に、せいぜい2.3~2.4m程の天井高さにすぎないことに気づきます。 普通の住宅くらいの天井高さといってもよいでしょう。
これは上のフロアを同時通訳等の運営関係者の作業空間にあてているためで、更にその上には傍聴に訪れる記者たちの専用フロアという具合に、機能や用途に応じてソツなく明確な動線分離が成されており、それが会議場内やメインラウンジの吹き抜け空間から、視覚的な演出装置としての役割も同時に担っているという、合理性と夢が同居していた1960年代そのままの建築に今でも出会うことが可能です。

ロビーを鍵の手に曲がると、Room Aの傾斜壁のちょうど向こう側にあたる、本来なら何てことないはずの廊下状の空間があります。 ここもやはり随分と天井の高さが低く、幅だってそんなに広くはないわけですが、Room Aとは逆方向に傾いた壁がことのほか効いていて、半世紀前の設計なのにどこか近未来的で、ちょっぴりほの暗く、しかも妙に居心地がよいのです。 気の利いたことに、そこには実にいい按配でベンチがしつらえてあり、天井が低いこともあってついつい座りたくなってしまいます。
廊下の突き当りには、畳三帖敷きくらいの ささやかなコーナー が設けられ、この建物のためにデザインされた(であろう)ソファとテーブルがこじんまりと収まって、これまた実に居心地よさそな雰囲気なのです。 こころを込めてつくられた古い家具たちも、それから建物も、きちんと手入れして、丁寧に、大切に使われ続けているから、尚更そんな風に感じるのかもしれません。
こんな場所なら、国籍や文化が違っていても、幾らかでもこころ許して話し合えば、どこかに道は開けるのかも…。 そう考えると、京都議定書がどうして採択されたのか、少しは分かるような気がしませんか。
 

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