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アトリエかわしろ一級建築士事務所

Author:アトリエかわしろ一級建築士事務所
「がま口から建築物まで」
日々の生活につながっている モノづくり・住まいづくりのためのデザイン事務所です。

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04月06日(木)

片岡橋

鴨川の上流、御園橋に程近い上賀茂神社は、以前から好きな場所のひとつで、時折ふらり訪ねては散策しています。
本来は、一の鳥居から二の鳥居へと、白砂敷きの参道を道しるべに堂々歩みをすすめるべきなのでしょうが、どうも僕の場合、子どもの頃から脇道にそれる性質が多分にあるようで、向こうでさわさわと耳をくすぐる、ならの小川の端っこの通用口みたいなところからぐるり分け入ってまでして、せせらぎに沿ったでこぼこ道を選んでしまう。
そこには目立たないけれど、末社のお社たちが行儀よく、木陰にてんてんてん とささやかな居を構えてあって、ふとした拍子にちいさな飾り金具がきらりと輝くさまをみるにつけ、もはやここは神域なのだと気づかされ、曲水の宴のためのせせらぎが役目を終えて、ならの小川に注ぐ手前のちいさな木橋を渡ると、しばし水の流れから離れた深い木立のなか。 そこを抜けると自然、ぽっかりと開けた、神事の舞台となる明るく清浄なひろばへとたどり着きます。

どんなに古色を帯びても、尚モダンな気品を漂わせる土屋(つちのや)のそばは、葵祭に先立ち、十二単姿の斎王代が身を清めるならの小川が幾分川幅を狭めゆるゆると、ひとしお近しい存在に思われる。 ふたたび出合った流れに架かる木橋を渡れば、か細い道は、かつてのでこぼこ道から箒目もまだ新しく、生まれたばかりのような瑞々しい白砂へと姿を変え、すこぶるのどかな水の流れは知らず知らず分岐し、いつしか水音すらも聞こえなくなって…。 そうか、御物忌(おものい)川と名を変えたのだと悟る頃合い、行く手には、なかば木立に遮られながら、朱塗りの太鼓橋のすぐ後ろに、ちいさな桧皮葺きの廊橋が控え目に横顔みせるのでした。

片岡橋

音もなく、おだやかに流れる小川のせせらぎの向こう側には、山の谷間のささやかな土地にふさわしく、朱塗りの楼門がつましくたたずんでいて、対岸へ渡るには、少々遠回りするように 片岡橋 と呼ばれる廊橋をくぐる約束になっております。 それは、片岡橋のそばにある第一摂社の片山御子神社に参拝して、対岸の楼門奥の本殿へと参拝する慣わしがあるからなのでしょう。
本殿の彼方の神山(こうやま)と、周囲の地形と、樹木や、岩や、水の流れのまにまにめいめい配された社殿たちは、当然ながら左右対称でも、一直線でもありません。 最短距離ではない、ぐるり回り道の歩み方こそが、ここ 加茂の社の正しき参拝法 というわけです。

本殿を訪れる方々は、とかく、緑の山々を背景に、朱色がまばゆい楼門とその前に架かる玉橋に目を奪われがちです。 けれども僕は、その奥で幾分伏目がちに横顔みせる片岡橋に、殊更な感慨を抱いてしまいます。
か細い参道から、かろうじて垣間見る片岡橋の素顔は、意外なことに格式高い 唐破風(からはふ)造 だったりします。 唐破風というと、皇室ゆかりの建物に代表される、高貴な身分にある人のための門や玄関などに用いられている印象が個人的にはあり、実際それらのつくりはどれも、技巧を凝らした彫刻や飾り金物があしらわれ、巨大で、遥か見上げるように高々と掲げられているものばかりでした。 だから、唐破風は、正面から堂々のぞめるように配することで効果を発揮するものだと勝手に決め付けていたふしがあります。
にもかかわらず、ふと見上げると目の前にある片岡橋の唐破風は、手を伸ばせば届きそうなくらい思いがけず近くに居て、拒絶することも、威圧することもなく、空気のようにただただそこにあるばかり。

片岡橋

片岡橋は、門でもなければ玄関でもありません。 だから、固く閉ざされた扉はなく、この神域を訪れたいと願うすべての人々に、等しく行き来することが許される。 橋は閉ざすものではなく、つなぐために存在するのですから。
まわりは、本殿は無論、いかなる社殿の屋根もおしなべて優美で、ゆるやかな 反り を備えています。 すぐそばの片山御子神社もまたしかりです。 ふっくらとした山々を背景に、桧皮葺きの持つ反りのラインは、数多ある人工物のなかで、最も調和を成し得ている好事例といっても過言ではありません。 その山々のライン、更にきりりと反りのある屋根のラインを背景に、反った軒先よりもさらに低い位置で、たったひとつ、まろやかな むくりのライン を与えることで、その存在を限りなく抑えようと、いにしえの人々は考えたのでありましょうか。

なぜ唐破風なのか。 それは、この橋を渡ってみるとすぐに分かります。
廊橋のひろさは、間口二間弱、桁行き二間半といったところでしょうか。 川幅が3mにも満たない橋ですから、唐破風屋根の下を通り抜けるのは、ほんの数秒間に過ぎません。 それでも、唐破風特有のふんわりとした天井には、低さゆえ、独特の 包み込まれるような心地よさ があるのです。
その、包み込む感覚を損なわないよう、川の流れに面した開口部は、あえて大人の背丈よりも低くなるように抑えられています。 そうすると、おのずと視線は目線よりも低くなり、よどみなく、音もなく、ゆるゆるとした御物忌川のせせらぎがみえてくる。 水の音は聞こえなくても、目を閉じると、そばの拝殿の鈴がしゃらしゃらと軽やかに耳をくすぐる。 風が頬を撫でるのが分かります。 人も風も水も、鳥も虫も、桜の花びらさえも通り抜けてゆく。
何もかもが停滞せず、あらゆるものがゆるやかに流れてゆく。 これは日本の建築空間の持つ、最も優れた特徴に違いなく、 それが包まれる心地よさをも満たし得ることを、ちいさくて目立たない片岡橋から教わりました。

片岡橋
 

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