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アトリエかわしろ一級建築士事務所

Author:アトリエかわしろ一級建築士事務所
「がま口から建築物まで」
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03月01日(日)

藤井厚二の第四回住宅

旅行中、まだ旅なれぬ人に示唆した自身の経験が役に立ったときの嬉しい気持ちを打ち明け、いつか理想の住まいを建てる人たちのために、これまで旅してきた経験を語るように伝えたい。 そんな意味の素敵な文章を、序文に記した本があります。
大正から昭和のはじめ頃にかけて旅(仕事)していた、建築家 藤井厚二 によって、1928年(昭和3年)に発表された 「日本の住宅」 です。

日本の住宅
「日本の住宅」 藤井厚二 著 (岩波書店) 


「ずいぶん古い話だね」 などと、苦笑なさってはいけません。 一体、どこの国の人が暮らしているのやら、判別不明の住宅が無秩序に林立する現在よりも、遥か90年近くも前に、何もかもが欧米風に近代化されつつあるなか、もっとこの国の気候風土や人情、習慣にぴったりした住宅があるのですよ。 と、科学的な視点とデザイン的な視点の双方から、きちんと丁寧に説明しているのですから。
その説明が、実際に旅してこない人の現実味のない話ならばともかく、自らの経験に基づいて語られている。 つまり、藤井は、第一回住宅、第二回… というように、11年間のうちに四つの住宅(※ すべて自邸です)を設計し、自身と家族たちがそこで暮らしを営むことで、データをとり、改善を繰り返しながら辿り着いた 真の旅人の物語 だったのです。

この本の執筆中に、実は、四つの実験住宅での成果を集大成した 第五回住宅 を建設していました。 その建物を藤井自ら 「聴竹居(ちょうちくきょ)」 と名づけ、彼にとっては最後の自邸となりました。
計五つの実験住宅のうち、現在残されているのは聴竹居だけです。 この瀟洒な住宅は、20世紀、日本の近代建築史を代表する名作のひとつ といっても過言ではない、日本の伝統的な木造の工法に椅子座の様式を溶け込ませつつ、快適な温熱環境と合理的な生活導線をきっちり確保して、しかも、数寄屋的な解釈で、品よくヨーロッパのトレンドを取り込んでいます。
恵まれた境遇と、もって生まれた才能、市井の人々に対する暮らしへの眼差しを失わない謙虚な姿勢。 誰もがうらやむエリート建築家の道を約束されながら、名誉も権威も求めることなく、日々の暮らしの幸福のために惜しみない情熱を注いだ、藤井厚二の代表作が聴竹居であるといえるでしょう。 僕はあえて、天王山の山裾にひっそりとたたずむ聴竹居を、かつて比叡山の山裾に 詩仙堂 を結んだ文人 石川丈山 が、その審美眼に加え、科学者の頭脳をもって20世紀によみがえったようだと表現してみたいのです。
そんな名建築の影にひっそりと身を潜めるように、すっかりセピア色になった 「日本の住宅」 のなかにのみ生き続ける、第四回住宅の一枚きりの平面図と、数枚足らずの写真に、完成度の高い聴竹居とは異なる、どこかダイヤモンドの原石のような輝きを感じてしまいます。

1924年(大正13年)に建設された第四回住宅は、木造平屋建て、述べ床面積は111㎡(※ ちなみに聴竹居は173㎡)。 それほど規模は大きくはない、むしろ小住宅といったほうがよいかもしれません。 その限られたスペースに、藤井夫婦と二人の幼い子ども、藤井の母との五人家族に、女中が一人ないし二人加わって、総勢6~7人がひとつ屋根の下、暮らしを営むことになるわけです。
さらに、藤井には 京都帝国大学教授 という別の一面もありましたから、当然、客足も絶えないはずです。 そのような難題に対する解答は、玄関横にわずか4畳の応接間をつくり、そこから雁行させるように、家族のための居間兼食堂、寝室を流れるようにつないでゆく というものでした。

第四回住宅

まずは、なにはさておき、家族の居場所となる居間と食堂を建物の中心に どん と据え、畳の暮らしが切り離せない母親の居室を、扉で仕切ることなく板張りの床から31cmだけ持ち上げて並べてみると、椅子に座った家族との自然であたたかなやりとりが、手にとるようにみえてきます。 ただ、建物の中心に置かれてしまうと、どうしても通過動線になってしまい落ち着かない という弱点を、造りつけのベンチを組み合わせた窓際のコーナーにしつらえられた居心地のよい食堂と、かっちりとした背もたれに護られた安楽椅子(シングルソファ)とがつくりだす安心感が、それらの問題をすべて帳消しにてくれるはずです。
玄関から直接出入りできる応接間は、たった4畳の広さしかないけれど、やはりコーナーを上手に活用して、半間の腰高の床の間と、座布団の敷かれた造りつけベンチとを きゅっ とまとめ、背もたれの低い格子状のコンパクトな椅子を置くことで、よどみなくつつがなく、視線も空気も軽やかに抜けてゆく。
6畳きりの部屋は、畳敷きの寝室と板敷きの書斎に、ちょっと床に段差をつけて分割するだけで、まるでコクピットのような無駄のなさで、少々狭苦しくさえ思えるこちらの方が、かえって使い勝手がよさそうな気分になるのだから不思議なものです。
伝統的な縁側の考え方を、見事なまでに椅子座の暮らしに昇華させたベランダには、家族だけでなく、親しい知人や学生たちを招き入れたに違いありません。

それらは、ほんとにちっちゃなスペースの集まりにすぎないのに、真ん中の居間兼食堂に引き違い戸とその上のランマで、いつも適度につながっていて、必要に応じて開け閉てすることで、視線も空気も、人の気配すらも自在にコントロールできる、柔軟なつくりを実現しているのでした。
しかも、驚くことには、調理や配膳、掃除など、あらゆる家事仕事に対して、これ以上考えられないというくらい、丁寧で細やかな配慮にあふれているように見受けられるのです。
当時はまだ高価であったはずのガラス窓を、台所の壁一面、天井いっぱいまではめ込んで、コンパクトながら(※ 逆にこちらの方が使いやすい)明るく清潔な水まわりを実現していること。 台所に隣接する女中室も、藤井夫婦や母親、子どもたちの部屋とそんなに変らない環境にあること。 廊下も納戸も、抜かりなくきちんと窓が設けてあって、しかも、掃除具置き場まで用意されていること。 こまごまとした収納スペースが要所要所につくられていること。 トイレの寸法をいじめずにきちんと確保していること(※ 使いやすいだけでなく、掃除もしやすい)。 浴室、浴槽が黴たり湿気たりしないよいうに配慮してあること。
など、お手伝いさんがいるくらいなのだから、藤井自身が家事仕事をするわけではないはずなのに、まるで他人事とは思えないくらいに、そこかしこに細やかな愛情を感じてしまいます。 いまどきの建築家でも、ここまでの設計は難しいのではないでしょうか。

第四回住宅ができあがって、新しい我が家に暮らしはじめた藤井は、居間の真ん中の安楽椅子にどっかと腰下ろして、開け放った応接間と寝室との間から東西に視線が抜け、さらに南のベランダ越しに、どこまでも続く空をみつめ、正面に母の姿を、背後では、台所で立ち働く妻と女中たちの気配を感じ、すぐそばでは、食卓のベンチに並んで、仲良く絵本みる姉妹の姿に微笑みながら、自身の旅を一冊の本にまとめることに決めたのだろう。 と、僕はひとりで想像しています。
 

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