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アトリエかわしろ一級建築士事務所

Author:アトリエかわしろ一級建築士事務所
「がま口から建築物まで」
日々の生活につながっている モノづくり・住まいづくりのためのデザイン事務所です。

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03月01日(金)

千本玉寿軒

道端に停められた大八車には、収穫されたばかりの京野菜たち。 そばでは、野良着姿のお百姓のおばあさんが 「かたちは悪いけれど」 と、幾分申し訳なさそうに。 それでもこの辺りの人たちは、偽りのない大地の恵みをいそいそと買い求めてゆく。
門らしき門もなく、あけっぴろげの大らかな境内(というか、なかば駐車場)の奥に慎ましくたたずむお堂に、ずしりと閻魔様がにらみを利かせる、下町情緒満載の 千本ゑんま堂 に端を発して、京ではお馴染みの川魚店や漬け物屋さんなどがめいめい、睦まじく肩寄せ合って並ぶ西陣の千本通りでは、お年寄りがしゃんと胸張って足取り軽やかに散策できる、真っ当で飾らない、素顔のままの街の姿が、今なお失われることなくあり続けています。
そんな通りを歩いていると、いかにもこの場所にしっくりと馴染んだ、昭和のはじめ頃に建てられたと思しき、一軒のちいさな町家に、図らずも惹きこまれてしまうのです。

千本玉寿軒(せんぼんたまじゅけん) と呼ばれる和菓子屋さんの店構えは、お世辞にも豪華とはいえませんし、贅を尽くした類のものでもありません。 なぜかというと、この土地の大工さんが、この土地の材料でもって、きちんと当たり前につくってあって、しかも、それをきちんと当たり前に使い続けてきた、ただそれだけの一見どこにでもあるような、ありふれたお店だから。 それでも、いささかたりとも魅力を損なわないは、偽りのない、彼らの誠実であったかい人柄が知らず知らずにじみ出ているからなのかもしれません。
さして目立たない、通りに顔出すちいさなガラスのショ-ケースには、やはり目立たない、ちいさなお菓子たちがさり気なく、しかしこころを込めて並べられていて、それが僕の目には、どこか宝石のように輝いて映るのでした。
創業○○年とか、○○ご用達とか、そんな格式ばった老舗にありがちな敷居の高さは、これっぽっちも感じない。 だから僕も、この街のお年寄りの皆さんみたく、足取りも軽やかに、そよ風のように すいーっ とのれんをくぐって、あの懐かしい、幾分重いガラス戸を すーっ と引き開けて、まるで我が家にでも帰ってきたかのようなこころ持ちで、ためらうことも気後れすることもなく、いつもの素直な僕のままで 「ごめんください」 と、声かけることができるのです。

こじんまりとした店内は、時流にとらわれることなく、何もかもがもとのまんまの姿。 大工さんが一枚一枚カンナをあてて、それはそれは丁寧に張り付けた板の間が、いつまでも変らぬ姿でカウンターのあちら側にあって、これはとても照れくさくて声には出せないけれど、願わくば、無心に雑巾がけしてみたい…。 ついふらふらと、そんな気持ちになったとしても致し方のないくらいに理想的なセピア色の空間は、思っていた通り、色とりどりのお菓子たちであふれ返っているわけではなく、そんなに戸惑うことがないくらいの程よい加減で、きちんと行儀よく並んでいたりする。
だから、お菓子たちからも 「どうだ」 とか 「すごいでしょ」 といった、余計な雑念が微塵も感じられない。 誰かからよく思われたいとか、そんなつまらない世界からは、きれいさっぱり身を引いたかのような、春の小川のようにさらさらと清々しい気韻は、やはりどこかお店の方の身のこなしにも、そこはかとなくあらわれるようで、僕のような不器用な来客に対しても、高飛車なところもなく、へりくだった素振りもなく、ただただ素のまま接してくれるかのように察せられるのでした。

そんな気風から、生まれるべくして生まれた宝石のような羊羹は、決して重苦しくもなく、かといって軽薄でもない。 ほんのり透かした神秘のベールの向こうには、まるできらきらと、夜空に散らした星座のようにクリの実がぽつぽつ浮かんで、たなごころに収まるくらい、ちいさな宇宙(そら)を眺めていると、もう何十回、何百回と読んだ 「草枕」 という昔の小説のなかの、夏目漱石の分身でもある旅の画工が愛でた羊羹も、やはりこんなのだったのだろうか。 などと想いをめぐらせながら、そよ風のように すいーっ とのれんくぐるのです。

千本玉寿軒
 

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