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アトリエかわしろ一級建築士事務所

Author:アトリエかわしろ一級建築士事務所
「がま口から建築物まで」
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11月16日(金)

廣誠院

建築家の 白井晟一 は、数寄屋について 「数寄という精神は形式にとらわれないこと」 と教えたそうです。
たぶん、それは 好き勝手する という意味ではなく、その土地のカタチや方位、それに樹木や水の流れから、生まれるべくして生まれたかのような、 無理のない姿 なのではないだろうかと思うのです。 たとえば高瀬川の起点、一之船入に程近い 廣誠院 のような。

普段はあまり開かれることのない、廣誠院の北向きの入り口から奥まったところ、次の間のそのまた奥の書院に足を踏み入れた瞬間、誰もが正面南側にひろがる庭園の景色や、床の間の造作などに釘付けになるなか、なぜか僕一人だけ、反対の方向の障子戸が放たれた欄干の向こう側の、ちいさな茶室からどうしても目を離すことができない。 来る人来る人褒めちぎる、あの床脇の火灯窓も、天然の絞り丸太の床柱も、透かし彫りの欄間にも意識が働かない。 とにかく首がいうことをきいてくれないのでした。

廣誠院

今日の廣誠院は、ちいさなお堂を備えたお寺の姿をしておりますが、そもそもは1892年(明治29年)頃、 伊集院兼常(いじゅういん かねつね) の邸宅として建てられたのだそうです。
兼常は旧薩摩藩士で、若くして藩の普請を任されていたそうですから、建築や造園に対する才覚は相当なものだったのではないでしょうか。 そのせいか、後に実業家として活躍するようになってからは、自らの住まいを自身で手がけるようになります。 きっと魅力ある土地にひとたび立つと、その場所にふさわしい住まいのアイデアが、次から次へと泉のように湧き上がってきて、芸術に対する誠実な欲求に従わざるを得なかったのだろうと想像するのです。
兼常の頭のなかでは、庭も、建物も、なんの区別なくつながっていたに違いありません。 だから、宅地のそばをゆるゆる流れる高瀬川のせせらぎを招き入れて、水の流れと住まいをひとつにまとめてしまうことなど、ごくごく自然な行為で、水面と家の床との間におのずから生まれる高低差も、ここでは面倒な障壁などではなく、ちょっとした手の入れようで山里の趣ある風景にもなり得るのだという、夢のある楽しさに翻訳することもやぶさかではなかった。 だから、茶室の下に水が流れることを雅なこととみなし、ならばいっそ 「ふわり浮かせてみようではないか」 と考え、まようことなく、さらりと実行してみせることができたのでしょう。

茶室はなんてことない、か細い木や竹で組み上げられ、土壁で塗り込められています。 吟味されているとはいえ、当時ではどれもありふれた材料であったはずです。 そこには素材本来の持つ 軽さ があって、それらの良いところを追求することで、強度とのバランスをぎりぎりで保ったある種 軽み のある表現となって、しかも、それを支える柱の位置をあえてずらしてみたり、コーナーを土壁で曲面にしたり、ここぞという箇所に円窓を設けて巧みに構成することで、近代建築の巨匠 ル・コルビュジエ(Le Corbusier) よりも遥か30数年も前に、建築史上では無名に近い兼常がモダンな空間を成し得ていたことに、僕はただただ驚くほかなかった。
だから、このちいさな建物から、どうしても目をそらすことができなかったのです。

よろよろと立ち上がって、お堂から奥へと続く、黒光りする、ほの暗い中廊下からのぞく茶室は、3畳中板入りのささやかな空間なのですが、茶人のみなさんが陥りがちな、いたずらに技巧に先走る過ちや、やかましい形式に縛られることなく、この場所のために、本当に必要なしつらえが施されているだけ。

廣誠院

柱はどれも素直に真っ直ぐで、めいめいが等しく屋根を支えている。 唯一つ、中柱だけはぽきりと折れそうなくらいにか細いのですが、ここはチームプレーでカバーしている。 竹でできた垂木も、蒲(あるいは葦)で編まれた野地板も、一歩間違えれば野暮ったく厭味になりかねないけれど、ここではできる限り軽くして、少しでも柱の負担を抑えたいのだという気持ちが伝わってきて清々しい。 藁すさ入りの土壁はひなびた草庵茶室の雰囲気を演出するはずなのに、ここではなぜか不思議と垢抜けてみえる。 そして何よりも、コーナーの土壁の曲面処理と、掛込み天井や畳とのおさめ方には、どなたも感嘆のため息漏らすことでしょう。
窓はひとつひとつ、なぜこの場所にこの大きさのものが必要なのか、言葉を必要としないくらいに、その意味を分かち合うことができそうな気さえする。 それでも、南中時の太陽高度が低くなるこの季節、ちょうどお昼前くらいのほんの限られた時間帯にだけ、庭の樹々を透かすようにして、ようよう届いた南向きの円窓からの光が、客座の畳の上にカエデの葉影を映し出す光景さえ、点前座から観賞できるようにと、兼常は想い描いていたのでしょうか。
 

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