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アトリエかわしろ一級建築士事務所

Author:アトリエかわしろ一級建築士事務所
「がま口から建築物まで」
日々の生活につながっている モノづくり・住まいづくりのためのデザイン事務所です。

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11月01日(木)

なりたかったカタチ

何年かぶりに三重県のとあるギャラリーを訪ねました。 そこは随分と不便なところで 「はるばる」 とか 「わざわざ」 といった気持ちでもなければ、とても辿り着かない、だから本当に行きたい人だけしか訪れない、モノとヒトとの理想的な出会いの場でもあるのです。
その時は、ある建築家の手がけた家具を中心とした企画展でした。 そもそも、住まいと家具とは切っても切れない関係で、建築家が住まいにあわせて家具をデザインすることは、とっても自然なことなのに、世のなかとにかく何でも分業ですから、建物と家具をそれぞれ、きちんと丁寧に、こころを込めてこつこつつくり続ける人の仕事を目の当たりにする機会など、そうそう滅多にあるものではありません。 だからこそ、はるばる出かけてみるだけの意味があるのです。

古びた工場をオーナー自らの手で改装したささやかな空間に、ずらり並んだ手づくりの家具たちは、ひどく手の込んだつくりや、考えに考えてようやく辿り着いた立派な作品よりも、その昔、地方の幼稚園で使われていた園児のための小椅子を丁寧に復元したものや、それから、 いわさきちひろ の絵本に描かれてあった椅子を実際にかたちにしたものなど、ちっとも目立たない、なんてことない普通のつましい家具たちのほうが、不思議と輝いて僕の目には映りました。
そんななかでも更に目立たない、会場の隅っこの壁際の棚に静かに並んだ、てんでんばらばらのお椀たちの姿が、どういうわけか、素直に 「素敵だな」 と思えるのでした。

僕はうつわ好きでも、まして熱心なコレクターでもありません。 これまで目にしてきた作家たちのうつわはどれも、会場に展示された時の見栄えばかり気にしているようで、住まいや生活のなかにしっくりと馴染んでくれそうもないものばかり。 試しに手に取ると、どこか不自然でいつも幻滅させられるのですから、すっかり うつわ嫌い になってしまっていたのです。
ところが、目の前のお椀たちときたら、木でつくられているのに、どれもこれもごつごつしていて、しかもいびつで不ぞろいで、みる人の目なんかちっとも気にせず、めいめいがなんだか居心地よさそうに並んでいるのです。 一体、どうしてなのでしょうか。

ギャラリーの方の説明によると、輪島に住む一人の 塗師(※ ぬし と読みます。 漆塗りを手がける職人のこと) が、2011年の東日本大震災で傷ついた場所を訪ね歩き、主を失ったうつわの木地を受け継いで持ち帰ったのだそうです。
漆塗りのうつわのベースとなる木地は、もともとが湿気を含んでいるために、そのまま加工してしまうと歪んだり割れたりしてしまいます。 そのため、まず最初に 木地師 と呼ばれる職人の手で、十分に乾燥した木をざっくりとしたうつわの大きさに荒ぐりし、しばらくそのままの状態で自然乾燥させます。 それからお椀などのかたちに加工し、さらに乾燥。 その後きちんとした成形をおこない、塗師の手で入念に下地がつくられ、繰り返し繰り返し漆が塗り重ねれて、ようやくうつわの完成となるのです。
輪島の塗師が持ち帰った木地は、まだまだ最初の 荒ぐり の状態でしたが、大切に保管されていたらしく、十分に乾燥してあったそうです。 今どきの木地師であれば、機械を使ってざっくりとしたうつわのかたちに加工するのでしょうが、その木地はそれなりに時代を経たものらしく、ひとつひとつ、職人がナタを使って荒ぐりしていたために、ごつごつとした風合いを醸し出していたのでした。 なにかの機会でそれを目にした建築家が、どうも、その荒削りな表情を残したまま、お椀として仕上げるアイデアを提案したらしいのです。

ナタでざくざく削ったでこぼこのお椀は、一見したところ乱暴なようですが、機械でカットしたほうが、表面はツルツルのようでも実は繊維はキズだらけで、こちらのほうがよっぽど木材を傷めつけているのが現実で、ナタやカンナのような刃物は、木の繊維に添うように無理なく削っているのために、見た目はごつごつしているようでも意外と滑らかだったりするのです。 手で触ってみると、どちらが心地よいかすぐに分かります。
それなのに世間の人たちは、効率や表面の見た目だけで判断してしまうので、悲しいことに、人間でもモノでも真価をきちんと見極めることができないのです。 そんななかでごつごつした、ちっとも均一でない、木がなりたかった本当のカタチをそのままに、木地師がノミで内側だけを丁寧に刳りぬき、塗師は食べ物を入れるところにだけ、いつものようにきちんと下地をつくって、丹念に、何度も何度も漆を塗り重ねる。 けれどもごつごつした外側だけは、その子の素のままの表情を愛しんで、あえて数回漆をかけるにとどめることを良しとした。 それがこの木のために、一番似合っていると知っていたからに違いありません。

ちっとも気取りのない、ちっぽけでぶきっちょなお椀を両手でそっと手に取ると、たぶんそんなに高価ではない、ブナか何かの(当時は)ありふれた材料に、よく見せたいとか、高く売りたいとか、これっぽっちの邪念もない、一人の職人が、当たり前の生活道具を当たり前につくるために、その木の 「なりたかったカタチ」 にと、さくさく入れたナタの刃跡が、僕の指のカタチに不思議とぴったりフィットして、こんなお椀に、ほかほかのご飯や、きんぴらごぼうを入れて食べると百倍おいしいに違いないと、自信を持っていえるような気がするのです。

なりたかったカタチ
 

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