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アトリエかわしろ一級建築士事務所

Author:アトリエかわしろ一級建築士事務所
「がま口から建築物まで」
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05月01日(木)

母と子の森

京都御苑の端っこの目立たない一角に、僕が 「アレイ」 と(勝手に)呼んでいる場所があります。 アレイ(alley)は、英語で裏道や横丁といったところを指しますが、 樹間の小道 といった意味でも用いられるのです。
東西約0.7km、南北約1.3kmにおよぶ広大な京都御苑をよっぽど熟知していれば別ですが、もし、そうでなかったとしたら、アレイへの入り口をみつけることなどきわめて困難、至難の業に違いありません。 何しろ、公衆トイレ脇の誰も気づかない、何でもないような小道なのですから。

葵祭や時代祭の舞台でもお馴染みの京都御苑は、御所を中心に幅の広い砂利道で整然と区画されるなか、これまた広大な緑地には、綺麗に刈り込まれた芝に、松や桜などが美しい樹形をそのままにすくすくと育ち、のびのびと気持ちよさそうに枝葉をひろげる。 それでもいたずらに視界を遮ることはなく、どこまでも水平に伸びてゆくような独特の爽快感があって、どこでも腰下ろせばたちまちピクニックがしたくなってしまう。 そんな、すみずみまで手入れの行き届いた、あかるくおおらかな公園の情景を、多くの方々がイメージされているかもしれません。
しかし、西側の清和院御門に程近い、公衆トイレ脇の小道(アレイ)に一歩足を踏み入れると、周囲はナラやシイ、エノキといった、どちらかというと地味で目立たない樹々が鬱蒼と生い茂り、地面にはわずかな陽がかろうじて射すか射さぬかといった具合なものですから、昼でもなおほの暗く、その場にふさわしい地味な草花があちらこちら、ひっそりと咲いている。
思うに 「芝生の上でピクニック」 などというのは、人のためにつくり出されたある種 人工的な自然の姿 であって、アレイはそれとは正反対の、お化粧っ気もなく、人目を気にし飾り立てておしゃれなどこれっぽっちもする必要のない、 (人の手の入らない)手付かずの自然の姿 をとどめている場所といえるでしょう。

ここだけの話ですが、アレイは、ちょっとした森のような場所につながっています。
「母と子の森」 という呼び名がいかにもふさわしい、どこか秘密めいた とっておきの場所 は、気兼ねなく、思い思いに育ったに違いない樹々たちが、ちっともきちんとしていない、てんでに居並ぶなか、 世界一ちいさな図書館 と呼んでみても差し支えないかと思われる、そのくらいささやかな 「森の文庫」 が、四方に本棚ひろげて、 来る人拒まず といった風情で、ぽつんとひとりたたずんでいます。
周囲には、この森のルールにあわせるように、思い思いにベンチやテーブルが、やはり 来る人拒まず といった顔して、ぽつぽつぽつと並んでいて、 そのなかには、この森で倒れ一度は命を全うした樹々が、心あるひとたちの手によって丸太のベンチに生まれ変わり、土に還るしばしの間静かに横たわっている。
そんなベンチに腰下ろす僕は決まって、そっと目を閉じ、耳を澄ますのです。 すると、遥か高く、何十メートルも頭上の梢から届くさわさわさわという風の音、鳥の声。 いくら大きく目をみ開いても、鬱蒼とした森に視界は否応にも遮られてしまうけれど、それでもこころの目でみると、視界は水平方向ではなく、どんどん上へ上へと昇ってゆくように感じられます。
森の樹々たちは、陽射しを求めて上へ上へと伸びようとするので、枝や葉は人間よりも遥か頭上にあるのが森本来の姿です。 だから、目だけではみえない遠い場所に、樹と小鳥たちの暮らしを耳で感じる。 そうすると、普段見慣れたはずの空までが、こんなにも高く、豊かな空間であることを、今更ながら教わった気がするのです。
ところが森の外では、そんなこと知る由もない人たちが、高層の建造物をつくろう、つくろう、と世界中で躍起になっているけれど、たぶんそれは、本当の意味で 豊か とはいえないのではないかな。 と、この森に来るたびに考えてしまいます。

母と子の森

母と子の森では、普通の庭園では間違いなく主役クラスの、堂々たる、見事な枝張りをみせるカエデの大木が、もうまるっきり子ども扱いされてしまうくらい、遥かに長い年月を生き続けてきた巨樹たちが人知れず根を下ろして、まるで、そこで暮らしを営むすべての生き物たちを、優しいまなざしで、静かに見守ってくれているかのようです。
僕は 「母と子」 という意味を、人間の 母子 というよりも、あえておかあさんのような眼差しの巨樹たちと、人間も含めたちいさな生命たちとの関係なのかな。 などと解釈してみたりします。
だから、もし誰かが、ちまちまとした人間関係に悩み、苦しんでいるとしたら、僕は、この ひみつの場所 に足を運んでみることをすすめてみたい気がするのです。

京都御苑は、ちょっと見渡したところ、平坦な土地に樹々が育っている といった印象があります。 実際ここは市街地の中心部。 平安建都時からの度重なる火災によって、御所は当初の位置から移動してはおりますが、1200年あまり前から都として栄え、御所の周辺は、つい百数十年前まで、宮家や200ほどの公家屋敷が軒を連ねていたわけです。
だからでしょうか。 一見すると平坦なようであっても、よくみると、ところどころ地面がこんもりと盛り上がって、そんなところには決まって、イチョウやケヤキ、ムクノキなどの母なる大樹がどっしりと根を張っていることに気づきます。
たぶんそれは、1869年(明治2年)の東京遷都によって、明治天皇とともに公家たちが長年住み慣れたこの地を離れ、やがて主を失ったお屋敷は、取り壊されて美しい公園となりましたが、その際、屋敷内に残された庭園の築山や樹木を壊すには忍びないと、支障のない限り残された名残なのではないだろうか。 そうに違いないと想像しています。
つまり、母と子の森の巨樹たちの幾つかは、今となっては夢のような、どこかおっとりとした、いにしえの、みやびな都人(みやこびと)たちの暮らしを見知っているのではないだろうかと…。
 

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