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アトリエかわしろ一級建築士事務所

Author:アトリエかわしろ一級建築士事務所
「がま口から建築物まで」
日々の生活につながっている モノづくり・住まいづくりのためのデザイン事務所です。

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08月01日(木)

嵐電御室駅

京都市北西部、ちょうどおわんをぺたんと伏せたような、ほんわかした衣笠山のすぐそばに 「きぬかけの路」 と呼ばれる、全長2.5kmくらいの道があります。
それは、二車線の車道に少々歩きにくい狭い歩道がくっついた、どこにでもありそうな、ごくごくありふれた道なのです。 ただちょっと特別なのは、その道に沿って、金閣寺、竜安寺、仁和寺といった、京を代表する名所が点在しているところでしょうか。 ちなみに僕は、広大な敷地を所有するそれらの寺院を 「きぬかけの路 BIG3(※三山といった意味合いです)」 と、勝手に呼ばせていただいております。

BIG3を訪ねそぞろ歩く人々にまぎれて、僕もてくてくと きぬかけの路 を歩くことがあります。 ただ僕の場合、金閣寺はなんだか気恥ずかしくて通り過ぎ、竜安寺は禅の何たるかもさっぱり分からず遠慮して、仁和寺では堂々とした仁王門に圧倒されて怖じ気づき、結局は素通りしてしまうのですが。
「それでは一体、あなたはどこへ行くのですか?」 と問われれば、たぶん僕は 「御室駅に行くのです」 と、割合はっきり答えることができるだろうと思うのです。
御室(おむろ)駅は、 嵐電(らんでん) 北野線のなかのひとつです(現在は 御室仁和寺駅 と改名されていますが)。 嵐電は、100年あまりの歴史がある、寺院や住宅地のなかを縫うようにして一両きりの電車がとことこ走る、しかも隣の駅まで一分くらいで着いてしまう、のんびりした、気取りのない、ひなびた風情のちいさな路線です。 関東にお住まいの方は、鎌倉の 江ノ電 を想像していただくと感じが近いかもしれません。

きぬかけの路をてくてく歩いて嵐電御室駅を訪ねる僕は、べつにそこから電車に乗って、嵐山や嵯峨野あたりを散策するでもなく、まして、四条あたりへ繰り出そうというわけでもない。 ただ、駅舎とそのまわりの飾らない住宅地の雰囲気、背後の古墳が点在するらしい、こんもりとした丘の緑(※何でもその昔、兼好法師が草庵を結んだ場所なのだそうです)がこじんまりとまとまっていて、しばらくその場に身を置くだけで、なんだか安心するのです。 だから少なくとも僕にとっては、著名な寺院よりも、精神性の高い石庭よりも、かけがえのない場所のような気がするのでした。

嵐電の駅舎はどれも、始発駅を除いては、待合室も切符売り場もない、ホームに雨しのぎの屋根が掛かった程度のささやかなつくりで、ホームどうしをつなぐ専用の連絡通路さえもなく、横っちょの構内踏切を自動車と一緒に渡って移動する。 普段はけたたましいだけの警報音も、ここでは音量ひかえめで、さほど耳障りに感じないから不思議なものです。
そんな可愛らしい駅舎が、曲がりくねった線路のところどころにぽつぽつ並んで、周囲の住宅にすっかり溶け込んでしまっている。 とにかく、とってもヒューマン・スケールなのです。
なかでも御室駅は、昔なつかしい木造の駅舎で、一ヶ所きりのちっぽけな改札口からは、正面のゆるやかな上り坂のそのまた向こうに遠く、仁和寺の仁王門がすっぽりと具合よく収まって、このくらいの距離をおいて眺めるお寺は、さすがに仁王像の威圧感もなくなって、気付けばただ一幅の風景として接し、いつもの自分でいられる 素のままの僕 がそこにいる。

嵐電御室駅

ところでこの駅舎、どうも少々変わっているのです。
木造といっても、板張りの、ちょっぴり洋風のしゃれた建物というわけではなく、柱や梁をそのままあらわに土壁で塗りこめた、いわゆる 「真壁づくり」 の伝統的な工法でつくられた和風建築です。 ところが、正面の屋根には 破風(はふ) と呼ばれる切妻の三角部があって、そこに 縣魚(げぎょ) と呼ばれる彫刻を施した飾り板(※水を示唆し、火災除けの意味がある)が取り付けられていたり、普通は柱の上に梁が載るところを、間に 肘木(ひじき) と呼ばれる受け材をいれてあったり…。 といった具合に、あきらかに寺院建築で用いられる特殊な工法がそこここに見受けられるのです。
このような寺院建築の工法は、一般住宅よりも遥かに巨大な、お堂や、庫裏や、山門に用いられてこそ、本来の機能を発揮するのですが、あいにく駅舎は、住宅よりも更にちいさい、小屋に細長い雨よけの庇がくっついた程度のささやかな規模なものですから、なにやらへんてこなプロポーションで、でも、べつにそれが けしからん! というわけではなく、結構手をかけてきちんとつくってあって、それなのに、せっかくの木部には普通のペンキが塗りたくられて、けれどもやっぱりそれも、べつに嫌な気が起こるわけでもなく、どこか憎めない存在。
不器用で不恰好な人が、ただただ一途に、懸命に生きている姿をあざ笑う人がいないように、完全無欠な人間よりも、どこか弱点のある人にこころ許せるような建物。 とでも説明すると、お分かりいただけるでしょうか。

嵐電御室駅

そこで、僕は勝手に ひとつの仮説 をたててみることにしました。
仁和寺の仁王門の延長線上、お寺の参道的な位置にあり、かつ、拝観者も多く利用する玄関口にあたる駅舎を建てるにあたって、仁和寺に仕える宮大工棟梁に相談があったのではないか。 ただ、お寺に仕える棟梁の身としては、民間の普請に携わるというわけにもいかない。 そこで、要領は左程よくはないけれど、人一倍熱心な、若い修行中の宮大工に 「お前がやってみろ」 と…。
駅舎の経験などない若い大工は、それでもお寺に来られる人たちのために、そして、門前町にあたるこの土地の人々のちいさな幸せのためにと、お堂を建てる時といささかも変わらぬ気持ちで、自身の持ちうる技術と情熱を注いで、この仕事を成し遂げたのではないだろうかと…。

御室駅のまん前の、猫の額ほどのささやかな空地には、近所の子どもたちがボール持ち出して、無心に遊ぶ姿がみられます。 仁和寺のひろい境内では、とてもとてもそんなことはできないけれど、この駅舎のそばなら、なんだか許されるような気がする。
若いお父さんに連れられて、まだ足元おぼつかない幼い兄弟が、仲むつまじく駅の改札をくぐる姿もみられます。 親子水入らずで食事にでも行くのでしょうか。 このような、日々のささやかなお出かけが、彼らにとってどれ程大切な思い出となることか。
手と手つないで電車を待つこの町の人たちに、ちょっとへんてこな駅舎がしっくりと溶け込んで、まるで映画のワンシーンのように、僕のこころにしっかりと焼きつくのでした。

嵐電御室駅
 

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