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アトリエかわしろ一級建築士事務所

Author:アトリエかわしろ一級建築士事務所
「がま口から建築物まで」
日々の生活につながっている モノづくり・住まいづくりのためのデザイン事務所です。

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02月25日(日)

丼池繊維会館

「都市の角地に建つ建物たるものかくあるべし」 との気概がひしひしと伝わってくる、ひどく生真面目でどこか武士道にも通じるような近代建築が、1920年代から30年代の大阪には芽生えていたとみえて、伏見ビルしかり、芝川ビルしかり、大阪ガスビルしかり。 いずれも新しい時代の波に触発され出現したかと思しき、くるりんと流麗な丸みをおびたコーナーを生まれながらに持ち合わせています。
かつて町人文化の華開いた船場エリア。 繊維問屋が軒を連ねる角地に人知れず、ひっそりとうずもれていた丼池繊維会館が近年、永年にわたってごてごてとまとわりついていた鋼鉄の仮面からすっかり解き放たれ、往時を彷彿とさせる軽やかな素顔でもって、 こんなところにも丸いコーナーがあったのか!と、近代建築ファンの目をくぎ付けにすることまず間違いなしです。

自由というのは、実のところ傍から見るほど楽ではない。 それでも、(ギリシャ神話のパンドラの箱ではないけれど)その片隅には必ずきらきらとした夢や希望があったはずです。
どこか堅苦しいクラシックからつるりと無表情なモダンへと移行する、瞬きするくらい、ほんのわずかな時空の狭間で、豊かな経済力と、確かな審美眼と、新たな文化をすんなり受け入れる度量を持ち合わせた町衆と、連綿と受け継がれてきた高度な技量を有する数多の職人衆が、めぐり会うべくしてめぐり会った稀有な時代に創造された、無名の、けれども宝石のような輝きを放つ建造物が90数年後、まわりまわって脚光を浴び、きちんと手を加え次代へと継承される。 今はそんな転換期にあるのでしょう。

世界の最先端を具現化するに足る、滋味豊かな土壌に恵まれた1920年代の大阪は、現代ほど情報があふれ返っているわけではありません。
何だかぼんやりとした空想世界を試行錯誤するような、曖昧で不確定な境遇がかえって個性や想像力をはぐくみ、ひとくちに 角の丸い建物 といっても、ひとつとして同じ表情にはならなかった事例が雄弁に物語るように、もともとが銀行建築として生を受けた丼池繊維会館も、平滑なタイルとぼこでこした左官仕事という、常識からすれば相いれない要素を、さらりと難なく共存させています。
今みてもどこやら近未来的な風格を漂わせているくらいですから、当時はさぞかし銀行らしからぬ斬新な容姿だったものと推察されます。

繊維産業がこの上なく発展した戦後復興期のこと。 そもそも主を失って久しい銀行建築を近隣の旦那衆らが買い取り、サロンや福利厚生施設として再生したのが丼池繊維会館のはじまりなのだそうです。
その頃撮影されたセピア色の外観写真を拝見するに、背筋のしゃんとした 20世紀のモダン侍 とでも評せばよいのか。 どうやら地下室までも備えているらしく、足元に明り取りをあつらえたやや腰高な石積みの上に三層分、平滑なタイルを纏った外壁がコーナーだけ堅固な壁の厚み分、奥ゆかしくセットバックしてからくるりんと優雅に弧を描く。 強度を損なわないよう慎重に、かつ規則正しく穿たれた窓は1階のみアーチ状とし、端っこに押しやられた階段室のところだけさり気なくアーチの位置を違えてあります。
知性と気品を持ち合わせた頂に、王冠というよりも貴婦人が身に着けるティアラを彷彿とさせる軒の出は、適度に雨をしのぎ日射をさえぎる。 その水平ラインと意図的に欠き取られ天空に突き刺さるペントハウスとが織り成す好対比が、まるでこれから先の理想的な都市景観の在りようを暗示するかのように…。

そんな、偉大な先人たちの示唆する教訓なぞお構いなしに時は流れ、繊維産業が衰退するなか、賃貸スペースとしての在りように活路を見出し、時代の波に乗り遅れまいと化粧の上塗りのような改修を繰り返した末にたどり着いたのは、地層のように堆積した厚塗りの化粧を取りはがし、1920年代の匠たちの仕事と向き合いながら、創造することの楽しさ、苦しさを噛みしめ分かち合う、地道で謙虚な リノベーション という選択でした。
リノベーションと聞いて、安直な before - after を想像してはいけません。 ここでいうリノベーションとは表面的なイメージのお仕着せではなく、傷だらけの建物と会話をしながら繕い、かつ前に進む行為のことなのですが、こんなにも拙い説明ゆえ、何のことだか訳の分からない方は実際の丼池繊維会館に身を置いてみれば、きっとすぐに分かります。

丼池繊維会館 空間構成

(おそらく)クライアントと施工者と設計者との間には、いつも傷だらけの建物があって、何かを判断しなければならない時、彼らはきまって建物の声にそっと耳傾けていたのではないでしょうか。
見苦しいところこそ、綺麗にフタしておざなりにしない。 継ぎはぎだらけの空間には、元のままのところと(失って)金輪際二度と戻ってこないところ、繕ったところと(やむなく取り壊されてしまった)他の建物から移植されたところ、現代の感覚で最低限付加されたところが嘘偽りなく表現されていて、出来合いのパーツをマニュアル通りに組み立てる昨今の時流とはおよそかけ離れた、辛くて、苦しくて、先も見えず、しかも終わってみると何だかさみしい。 けれども、やっぱり満たされているのだな と、誰しもが共感できるのは、こと切れそうだった建物に新たな命が吹き込まれたからなのでありましょう。

元来が商業目的の建物な上、ただですら限られた、しかも、営業空間でもない階段室なぞは端っこのほんのわずかなスペースしか割り当てられない。 悲しいけれど、これが現実です。
「それじゃ仕方ないよね」 と早々に諦めるのか、 「だからこそ豊かな空間にするのだ」 と逆境から想像の翼をひろげるのか。 明らかに後者に該当する、丼池繊維会館の階段室は、狭い幅員によって得られたほんにささやかな吹き抜けを頼りに、コの字状に旋回しながら昇り降りする仕組みになっていて、堅固な鉄筋コンクリート造だからこそ温もりが大切 と、身体が触れる手すりや腰壁に木材を、外部に面した開口部から自然採光を招き入れお友達にしてしまうことで、来る人来る人 魔法にでもかかったか と、思わず知らず頬っぺたつねってしまう素敵な出来ばえで、上へ、また上へと続く階段はとうとう屋上にまでつながり、頭のぶつかりそうなくらいちいさな鉄の扉の向こう側には大大阪の、おおきなおおきな青空が待っていてくれた。

あれから90数年もの月日が流れ、随分と周りが建ち込めて少々窮屈になった21世紀。 いつまでも変わらない、ちいさな階段室の、ちいさな扉の向こう側にはちょっとした仕掛けが施してあります。 それをここでお話しするよりも、実際に足を運んで体感してみるのがよろしいかと存じます。 建築とは、そういうものなのですから。