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アトリエかわしろ一級建築士事務所

Author:アトリエかわしろ一級建築士事務所
「がま口から建築物まで」
日々の生活につながっている モノづくり・住まいづくりのためのデザイン事務所です。

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04月16日(土)

久多の里(お地蔵さん)

久しい以前、久多(くた)の里にお住まいのおばあさんから、額に収められた一枚の写真をみせていただいたことがあります。
それは冬の日、まっ白い雪に埋もれた庭先で、同じくまっ白い雪をかぶった茅葺きの家を背景に、ご夫婦で餅つきしている情景を写したものでした。
おじいさんが ぽんぽん と杵を振るい、おばあさんが ほいほい と合いの手を入れる。 お餅にはすぐ傍にある栃の木から秋のうちに収穫しておいた実を入れて(※ わざわざ、桜の木の灰でアク抜きをしているとのこと。)、そうして一つ一つ手作業でまんまるい 「栃餅」 にして、朝市に持ってゆくと、これが随分と評判よいのだそうです。
それはそうでしょう。 機械でついたお餅の10倍も美味しいに違いありません。

写真では、どこやらおとぎ話の世界のようではありますが、厄介なことに里の冬は雪深く、しかも北海道のようなさらさらのパウダー・スノウではなく、重く湿った雪な上に、京へと通じるたった二つの峠道のうち、一つは積雪のため冬季の間は閉鎖されてしまうのですから、現実の暮らしはさぞや大変なことでしょう。
そんな、つらく厳しい冬を乗り越えてようやく訪れる春は案の定、京の都よりもずっと遅れて、おっとり、のんびりやってきます。
絢爛と咲き誇る桜の花よりも、雪に覆われた大地が春の日差しにじんわり暖められて、名も知らぬ草花たちが人知れず、待ちわびた春の息吹を伝えてくれる。 ほんわかあたたかい里の春は、谷間を縫うように伸びる、道々のちょっとした傍や土手のそこここにみつけることができるはず。

街中と違って、谷間の土地はどこをとっても平坦ではありませんから、田んぼの尽きるあたりは山の裾野のうねりに沿うように緩やかに曲がりくねり、一番大切な田んぼからほんの申し訳程度に見出した土地にようやっと建てられた家々は、道からは幾分離れて、ささやかな傾斜路でつながれていることもしばしばで、畑にもならないくらい、つくづくか細い道の傍は、何となく土のまんま残されて束の間、野に咲く草花たちの棲み処となり、日当たりのよい辻々には、 ぽつぽつと所々お地蔵さんが、これら草花に囲まれて、にっこり微笑んでおられるかのようです。
そのような、すこぶるのどかな場所には自然と、季節の贈りものである山菜が芽吹くものだったりします。

しかし、一体どういうわけか、暖かくなる頃には決まって、街中からやって来たとしか思えないいでたちのご婦人方が、まったくもって目にもとまらぬ速技で、憎らしいくらいに手際よく山菜をささっと収穫してしまうのもまた、悲しいけれど現実です。
もしかしたら街の方々は 「道端はみんなのもの。 だから、みんなのものは私のもの」 といった、都合のよい思い違いをされているのやもしれませんが、何でもないような土手ひとつとっても、 何処其処の土手で採れる山菜は誰のものか、実のところ里ではちゃんと決まっていて、日々の食生活に少なからず結びついているのですから。 あっ、そんなに根こそぎ持っていってしまうと、来年の分が育たないので、そこは多少なりとも残してあげないと…。
などと、気が気でない僕らの気持ちをよそに、久多の里のちいさなお地蔵さんは、うららかな春の日差しをあびながら、ひろいひろい心でいつものように、やさしく微笑んでおられるのでした。

久多の里(お地蔵さん)
「久多の里 (お地蔵さん)」 ペン、水彩

 
04月01日(金)

八木邸

「こんなになるとは、思ってもみなかった」
昭和初期に建てられた、派手さのかけらもない、控えめな物腰の木造2階建て住宅を当主である(義理の)父親より受け継がれたご夫人が、京都・大阪間に開発された新興住宅地に過ぎない香里園を目指して、さして目立たない、たった一軒の住宅をひと目見ようと、ただそれだけのために熱心に足を運ぶ人々の姿に驚いた様子でつぶやいた言葉が忘れられません。

49歳の若さでこの世を去った建築家・藤井厚二が、教職と並行して取り組んでいた住まいの研究の集大成ともいえる、実験住宅と称する自邸(第五回住宅)「聴竹居」 を完成させた直後に依頼されたのが香里園の八木邸で、設計者が亡くなって早80年近くが経過し、大半の住宅作品が現存しない、もしくは改修が繰り返されて原形をとどめないなか、家具等の備品にいたるまで(付属していた茶室や客室を除いて)竣工当時の姿で大切に維持され続けている、きわめて貴重な存在なのです。
藤井の代表作としてあまりにも有名な聴竹居があくまでも建築家の自邸であり、変化に富んだ地形を有した広大な敷地内に十分なゆとりを持たせて配されるという例外的に恵まれた環境、さらに自らの理想とする日本固有の気候風土や文化にふさわしい現代の住まいをひろく世のなかに提唱する目的から、先進の設備や熱環境の採用のみならず、当時流行のきざしをみせていた西欧のアール・デコの要素を彼流の解釈で柔軟に取り込みつつ、洗練された数奇屋スタイルに融合させる唯一無二のデザインでまとめられた、相当に斬新でハイカラな容姿をまとっているのに対し、その他の住宅作品は 「向こう三軒両隣」 のことば通り、住宅地の一角で、街並みのひとつとしての景観をかたちづくる役割を担うわけですから、斬新で目をみはるような格好良い建物よりも、全体との調和のなかでいかにさり気なく、美しく溶け込めるかを常に意識していたものと思われます。

大阪・船場でも指折りの商売人であった施主の八木市造は、仕事柄、自邸を訪れる来客も随分と多かったとみえて、ひとことに 来客 といっても簡単な対応で事足りる客もいれば、腹を割ってじっくりと語り合いたい親密な客人もおり、興にまかせて 「せっかくだから、食事でもしてゆきたまえ」 などともてなすことなど少なくないでしょうから、一家の主と特別な客以外はたとえ妻子であっても住まいの隅っこに追いやられるような過去の封建的な様式からはさよならして、来るべき新時代にふさわしい、来客に対するもてなしの気持ちと同じかそれ以上に家族みんなの暮らしに寄り添い、今では想像できないくらいに多忙を極めたであろう、こまごました家事仕事から急な客人への心のこもった料理の準備まで、つつがなく対応するために、日々てきぱきと立ち働く女中たちのためのサービス空間を含むすべての要素を等しく扱うに足るだけの住宅を創造するにふさわしい技量と情熱を、若き建築家は兼ね備えていたのですから。

自邸において、居間を中心に接客空間と家族のための空間とで有機的に構成される住居プランを提唱していた藤井も、一般の家庭とは少々異なる八木家のライフスタイルに対応するため、玄関に近い位置に来客のための諸室を、玄関から伸びる廊下に沿って雁行するように家族が過ごす居室を、そして一番奥に調理室等の水まわりと女中室を配置し、上階に独立した寝室群を下階と同様廊下に沿って並べ、驚くことに家族が利用するための(手前の)階段と女中たちの家事や水まわりの利用に便利な(奥の)階段という、2箇所の階段で各階廊下の端部を結び、建物全体が行き止まりのないループ状の立体動線を形成して、これがすこぶる使い勝手に優れるばかりか、雁行配置ゆえに折れ曲がらざるを得ない廊下によって、女中たちの姿が客人や家族の視界に入らない(=ストレスなく家事がこなせる)心憎い配慮が、入念に、しかも、誰もがそうとは気づかないくらい当たり前に仕組まれている 空気のような 気配りの数々は、藤井のような一流紳士にのみ所有することが許される、ある種の たしなみ に由来する難易度の高い設計手法とでも申しましょうか。

これだけの内容ですから、建物としての規模は決して小さくなく、しかも2階建てとくれば、普通にデザインすると周囲をへいげいする、ちょっとした豪邸の装いになっても何ら不思議ではないはずなのに、八木邸には豪邸特有の威張った様子が微塵も感じられないのはどうしてなのでしょう。 それは、雁行する居室の配置や、水まわりを 下屋扱い することによって建物を巧みに分節し、大きく見せないよう全体のヴォリュームを抑え、周囲の住宅に馴染ませているからなのです。
外壁面を柱梁で分割した上に雨の掛かりやすい下側を板張りにしてしっくい塗りと対比させたり、屋根勾配をゆるやかに、幾層にも重ねながら端部に軽やかな銅板葺きを用いて瓦屋根と対比させてあるのも同様の理由からで、外構においても周囲を簡素な板塀や生垣で分節、刈り込まれた樹木で取り囲んで建物全体が見渡せないようにしているところなど、モノトーンの沈んだ建物の色調と常緑樹特有の落ち着いた色合いがどこまでも控えめで上品な印象を醸し出し、あたかも、そこに住まう家族の人柄を偽りなく映し出す 魔法の鏡 のようです。

ビジネスを重視するあまり商品としての売りやすさに偏って、一体どこの国の人が住んでいるのやら皆目見当がつかない、(悪い意味で)国籍不明で無責任な住宅が我が物顔で街中を埋め尽くしつつある混沌とした現代に比べ、昭和初期のこの国では確かに不便な暮らしを強いられるかわり、ごくごく当たり前に 「家とはこうあるべき」 といった概念が住まい手にはあり、職人には高いプライドとそれに見合った技術力が、建築家には 「日本の住まいとはどうあるべきか」 という理想があったはずです。
それに対する藤井の回答は、伝統の継承とも西欧の模倣とも違う、 畳に着物 といった床座の生活だけに固執するのでもなく、かといって、無理して洋装による完全な椅子座の生活に移行する必要もなく、その家庭の暮らしにしっくり似合う、そんな 床座と椅子座が過不足なく両立した住まい を提供することだったのではないでしょうか。
八木邸のプランから推察するに、主人は大阪や神戸に店舗を構える経営者で、頻繁に双方を行き来したり、自宅を訪れる幾人もの来客に対応するためには、洋装、椅子座の暮らしが向いている一方、ひとり静かに時間を過ごしたり、親しい友人や特別な客人を招く際には、着物に袖を通し、奥の茶室を利用することで、こころ豊かな充実した暮らしが営めるでしょうし、夫人は普段から好んで和服を着用されたようで、寝室の隣には着替えや化粧のために四畳半の畳の間があつらえてあり、家族みんなでの食事には椅子とテーブルを利用するかわり、やはり、さも居心地よさそうな四畳半の夫人室がフスマ一枚隔てて隣接している といった具合です(※ 食事室の椅子は、着物の袖が邪魔にならないデザインになっています。)

この 椅子座と床座 という相反する様式の二室を、なかば一室化するように仲良く並べて配置する手法が、他の何者でもない藤井独自の生活空間をつくり出していて、八木邸で最も居心地よい場所といっても過言ではありません。

八木邸 食事室

隣接する二室を必要に応じ、建具で仕切ったりつなげたりする場合、たとえ板張りと畳敷きという性格の違いはあっても、極端な段差は設けずフラットに近い関係にするのが水平方向へと際限なく空間が連続する日本の伝統的な空間構成になります。
そこを藤井はあえて、30cm程畳の間が高くなるよう意図的に段差を設けていて、これは 「椅子に腰掛けた人と畳に座った人の目線がぴったり揃うよう意図されているから」 と誰もが説明しているように、確かに理屈としてはその通りなのですが、純粋に空間の構成として四畳半という、ひどくヒューマンスケールな空間が意図的に段差を与えることで垂直方向にも展開し、フスマや障子でなかば仕切られ、なかば開かれる環境が(壁と天井が和紙貼りということもあいまって)繭にでもこもるような不思議な安堵感でもって、来る人来る人惹きつけて止まないのもまた事実です。

蚕がつくる繭がゆるやかな曲線を描いているのに対し、藤井厚二がつくる繭では自然界には存在しない、シャープな直線が使われています。
線が集まると面になり、面が集まって、ある場所では押入れに、場合によっては地袋や天袋といった箱の集合体になり、それら実用的な箱たちに囲まれた 余白のようなくぼみ が、無用とはいえないまでもおよそ実用とは縁遠い床の間となって、このくぼみにだけに美術品や季節の草花を飾ることが許される。 単調な暮らしにささやかな変化を与え、ここに集う家族のこころを豊かにする特別な場所として機能するのは、もちろん伝統の力に違いはないけれど、とりわけ、藤井の創造する床の間には 用の美 を源とする純粋な立体造形の魅力にあふれていて、そこに椅子座の暮らしが重なることで一層、床の間の持つ余白が際立ち、ますます輝きを増しています。

玄関から奥へと歩みを進めれば進める程に、空間の本質がつまびらかになる。 一見の客人では到底うかがい知ることのできない奥深さが八木邸には秘められていて、設計者の並外れた感性は客人はおろか、主人すらめったに立ち入らないであろうサービス空間に対して最大限に研ぎ澄まされ、惜しみなく愛情が注がれていると感じるのは一体どうしてなのでしょう。
夫人室から食事室へとつながる空間の流れは、一見したところ完結しているようで、実は伝統の違い棚を現代の水準にまで急速かつ高度に進化させたかのような、食事室に造りつけられた受け渡しカウンターと収納機能を複合した家具によって、向こう側に隠された調理室へと連続するよう巧妙に設計されており、部屋数16室を有する八木邸において、最も緻密かつ大胆な構成を誇るのが末端に位置する調理室であるように思えてなりません。

八木邸 調理室

瀬戸内の裕福な老舗商家に生まれ、優れた美術品に囲まれて育ち、最高の教育を受けてエリートの道を約束され、妻子や母君とともに何不自由ない生活を営んできた藤井はしかし、身のまわりで身を粉にして働く人たちへの感謝の気持ちとあたたかな眼差しだけは忘れない。 エリート のひと言では片付けられない、想像以上にわけの分かった 建築家の鑑 のような人物だったのかもしれません。 そうでなければ、このような空間などとてもとても創造できっこないですし、少なくとも設備面においては、それ相応な進化を遂げた80数年後の未来人をうならせ、説得させるだけの結果を、後世に遺せるはずなどないのですから。

ひっきりなしに訪れる来客に対して完璧な対応を約束する調理室は、一住宅というよりは、むしろ業務用の厨房に近い仕様になっていて、最大で3名もの女中たちと、場合によってはてきぱきと指図する夫人の計4人が、ストレスなくスムーズに立ち働く前提で周到に設計されています。
東南二方向に出窓状の大きなガラス窓が開かれ、隅々まで真っ白にペイントされた明るく清潔な空間で、身体にぴったりフィットするよう立体的に、一分の隙もなく造りこまれた収納棚と作業台、電気による給湯、コンロ、オーブンと、目もくらむような最先端のきらびやかな設備による恩恵を堪能できるのは、薄暗くじめじめした土間の台所で、中腰になって火をおこしたり洗い物をするのが至極当たり前だった女中たちで、忙しい最中にも備え付けの折りたたみ椅子をさっと取り出し、格納式の飯台をす-っと引き出して、仕事場が瞬時に彼女たちだけのささやかなダイニングへと転換する、どこか魔法じみた設計者の心遣いに、ふとした拍子に笑顔すらほころぶ、あたたかな光景が目に浮かぶようです。
そんな、素敵な空間を粗末に扱う者など一人としているはずもなく、来る日も来る日も丁寧に、寸暇を惜しんで磨き愛しみながら使い続けてきたに違いありません。 そのくらいのことは、長年拭き込まれた証しである床板の艶をみれば誰にだって分かります。

傷みやすく、設備の占める割合が高い水まわりは、大抵の住宅において真っ先に、しかも安直にリフォームされる運命にあり、建物が古ければ古いほど、設計者が意図した竣工時の面影をとどめる実例はきわめて稀といってよく、何十年もの月日が流れ、親から子へと当主の代がかわっても、大切に使い続ける気持ちだけはかわらない。 それが 特別なのだ という意識を所有しない者にのみ、本当に美しい暮らしに浴する栄誉が授けられるのかもしれません。