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アトリエかわしろ一級建築士事務所

Author:アトリエかわしろ一級建築士事務所
「がま口から建築物まで」
日々の生活につながっている モノづくり・住まいづくりのためのデザイン事務所です。

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02月16日(火)

パリのアパートメント

手元に、ほんの80ページあまりの、ささやかな洋書があります。

CHARLOTTE PERRIAND
「CHARLOTTE PERRIAND」 Elisabeth Vedrenne 著、Linda Jarosiewicz 英訳 (ASSOULINE)


これは、2005年にアメリカで英訳・出版された、フランス人建築家 シャルロット・ペリアン(Charlotte Perriand) についての足跡を振り返る、いわば入門書のような位置づけの本で、どうやらフランス本国では詳細な専門書も存在するようではありますが、当時、日本では晩年に執筆された彼女の自伝もまだ翻訳されておらず、雑誌の記事等から断片的な情報を得る程度だったものですから、(たとえざっくりとした内容であっても)ペリアンの20代から80代にわたっての主要な作品を網羅した書籍は、個人的に貴重な一冊だったのです。
ページをぱらぱらとめくると、豪華さや壮麗さとはおよそ無縁の、ちょっとただ事ではないくらいに、それはそれはちいさな木製の螺旋階段のモノクロ写真が掲載されていて、雷にでも打たれたかのような強い衝撃を受けました。 解説によれば、ペリアンが1970年に手がけたパリのアパートメントを撮影したものらしく、たった一枚の写真から、遠い異国の地に実在する、めくるめく夢のような空間をぼんやりと想い描き、こと階段に関してはすこぶる冴えない日本の血統を受け継ぐ肩身の狭い身としては、現実の距離以上に途方もない隔たりを感じ、だからこそ余計、憧れや興味とともに湧き上がる尊敬の気持ちを抑えられなかったのもまた事実です。

後に翻訳されたシャルロット・ペリアンの自伝によると、定年を迎えた夫の暮らしを案じて、彼女の仕事場から徒歩圏内であるパリのど真ん中に、季節の花々に囲まれ、心地よいそよ風を感じることのできるテラス付きの住まい(終の棲家)を届けたい というのが、そもそものはじまりだったようなのです。 そんななかで出会ったのが、セーヌ川の南岸に優雅な容姿を横たえる旧オルセー駅(※ 現在のオルセー美術館)に程近い、モンタランベール街のアパートメント屋上に建つ2フロアのちいさなペントハウスでした。
立地は、おもての通りからはうかがい知れない8階建てアパートメントの屋上ですから、エレベータあるいは階段のある塔屋から一旦外へ出て、頬に風を感じつつバルコニー越しに室内に入ったペントハウスが9階レベル。 更にその上にちょこんとのっかった、天井の低い、日本の住宅でいうところの ロフト と呼ぶのがいかにも似つかわしい極小空間と屋根のないテラスとが10階レベルに相当する、歴史的な建造物が今なお数多く残る旧市街地では、概ね5~6階建てくらいの規模が一般的ですから、最上階からの眺望は他のどんなに贅を凝らした素敵なアパートメントにも代えがたい可能性を秘めていて、眼下に連なる煙突と亜鉛葺きの屋根とが織り成す街並みの遥か彼方、西側にはエッフェル塔、北側にはモンマルトルの丘の上に白亜のサクレ・クール寺院が凛とした姿をあらわにし、あとはただただ、どこまでもパリの大空がひろがるばかり。

ペリアンいわく 「居住不可能に見えた」 延べ床面積にしてわずか60㎡のアパートメントはもともと、主要な住空間にせざるを得ない下階は案の定、ひどく窮屈なあり様だったらしく、比類のないロケーションだけが魅力のロフト空間には水道どころか暖房設備すら完備しておらず、しかも、下階からのアクセスは雨ざらしの鉄骨階段か、船のタラップのような屋内昇降口のみ という、終の棲家としての理想には程遠い住環境です。
しかし、当時67歳の女性建築家は、20代の頃からいささかも変わらぬ負けん気の強さと冷静かつ柔軟な判断力、天性のデザインセンスでもって、構造体はそのままに、さも居心地のよさそうな、40数年が経過した21世紀の現代でも十分に通用する(といよりも、むしろ超越している)とびきりモダンで洗練された名住宅に仕上げてみせたのですから、彼女の手腕には驚くほかありません。

パリのアパートメント(シャルロット・ペリアン邸)

いかんともし難いくらいに絶望的な状況を、窮屈などとは微塵も感じさせない豊かな住空間へと変貌させるために建築家が成すべき行為は、まず、本当に必要な機能を損なわず回遊性をどのようにして確保するか。 その上で、家具を極力少なくし、天井を限りなくすっきりさせれば大丈夫、活路は見出せる といっても過言ではないでしょう。

幸いにして、パリのアパートメントには、ちいさくても屋外のバルコニーとテラスがありましたから、(日本の流儀に倣って)視覚的にも動線的にも邪魔になりにくいガラスの引き戸を多用して、内と外をひとつながりの空間にしてしまいます。 比較的ゆったりとした天井高さのある下階に居間と寝室の二室のみを配して、双方の間を天井まで届く回転式のパネル材で必要に応じて仕切れるようにしておけば、融通の利くワンルーム空間となり、寝室の一角に収まるバスルームもガラスの引き戸で緑化されたバルコニーへと開放すれば、プライヴァシーを保ちながら通風や採光をもたらし、ぐるりと出入り口を経て居間へとつながる、行き止まりのない(=ストレスのない)プランを実現できる というわけです。
一方、天井の低い上階にはコンパクトで機能的なキッチンと、二方向の壁面がガラス張りの食堂を絶妙なバランスで配します。 こちらには側面のバルコニーに加えて、鉢植えやアーチ状のトレリスによって緑化された正面奥のテラスに対しても開かれる趣向で、(推定で)高さ約205cmの天井は照明器具のないフラットな状態でガラスの引き戸を透かして、ちょうど日本の伝統的な住居と庭との好ましい関係のように水平方向に視線が抜けて屋内外が一体となり、その向こう側にはパリの空と古い家並みがどこまでもどこまでも続いているのですから、窮屈な感覚などこれっぽっちもありません。
ただし、大きなガラスの引き戸を多用すると、室内外が一体となる爽快感が得られる代償に、とりわけ冬季の暖房時において、外気によって冷やされたガラスが室内に不快な下降気流を発生させ、窓際の(特に)足元が冷え込む コールド・ドラフト を引き起こす要因となるため、モダンでおしゃれな見た目とは裏腹に過酷な室内環境を招きかねないのが現実です(※ ガラスという素材そのものが断熱性に乏しく、現代のように高性能の断熱ガラスもなかった時代です。)
そこで、ペリアンはガラスの引き戸をあえて床面から幾らか高い位置に持ち上げておいて、(限られた空間を有効に活用する秘策として)窓際を落ち着いたベンチ状のコーナーに転換し、かつ置き家具も極力省略し、死角となるベンチ下に暖房用の放熱器を仕込んで窓際で寛ぐ人たちのおしりを暖めながら背面からの冷気をも遮断するという、理にかなった方法で山積みだった諸問題をさらりと帳消しにしていて… 。 これこそが 本来あるべきデザインの姿 なのではないでしょうか。

想像してみてください。 ひっそりと目立たない、パリのアパートメントを親しい友人が訪ねたとします。 エレベータを降りて屋上にあるささやかなペントハウスのドアをあけると、そこは、派手さはないけれど、惚れ惚れするくらいすっきりと整頓された居間になっていて、ペリアン自身によってデザインされた簡素で実用的な家具がぽつぽつと点在するほかは、奥のコーナーであたたかな炎がゆらめく暖炉と、その脇のバルコニーへとつながる窓際のベンチには素朴なわら編みの円座が慎ましく置かれ、 「ようこそ!」 と迎えてくれる。
ふと振り返ると、決して広くはない居間の隅っこに、あの めくるめく螺旋階段 が顔みせて 「よろしかったら、上でお食事でもいかがですか?」 と。
世界で最もコンパクトな階段は、間違いなく世界で最もヒューマンスケールな階段で、そのあまりのちいささゆえに本来窮屈なはずのロフト的な空間があたかも 無限の宇宙 のように感じてしまうのは、草庵茶室における にじり口 の効果をペリアン流に解釈した賜物か。 とにかく階段の向こう側は 世界でここだけ の特別な場所で、パリの空へと開かれたダイニングルームは、かつて師であった ル・コルビュジェ(Le Corbusier) が夢見た空中の庭園を完璧なまでに具現化した天下の傑作に違いなく、きっと本当のモダン建築は、木製テーブルに並んだペリアンお手製の家庭料理のように、ほんわかあったかいものだったに違いありません。
 
02月01日(月)

蓑庵

チャールズ & レイ・イームズ(Charles and Ray Eames)の映像作品、 「パワーズ・オブ・テン(Powers of Ten)」 をご存知でしょうか。
湖岸の公園でくつろぐ男女を映すカメラが、みるみるうちに上昇して遠のき、画面は地球から太陽系、更に銀河系へと、スケールが 十の累乗 で拡張し続けるかと思うと一転、急速に収縮して今度は、(やはり十の累乗で)男性の皮膚の細胞の奥深く、ついには素粒子の世界にまで至る という斬新な内容で、単に 「果てしなく広大な宇宙の全容をみせておしまい」 ではなく、「実は、目にみえないもう一つの小宇宙(microcosm)が隠されているのだよ」 と、イームズ夫妻は科学的な視点を通して、観るものに深く語りかけてきます。
そこでもし、諸外国の建築やデザインに明るい、勉強熱心な方々から、千利休の時代から400年以上にわたって連綿と、絶えることなく受け継がれている 草庵茶室 という、世界に例をみない極小空間の意味について問われたならば、僕は 「パワーズ・オブ・テン」 で表現されたミクロコスモスの世界観を、精神的な視点から実現していたのが草庵茶室なのではないでしょうか と、そんな風に答えてみたい気がするのです。

大徳寺塔中・玉林院(ぎょくりんいん)の本堂裏にひっそり閑とたたずむ 蓑庵(さあん) は、国宝としてつとに知られる 妙喜庵待庵 と双璧を成す、侘びた風情の草庵茶室です。
草庵茶室は、粗末な田舎家から着想を得たともいわれておりますが、いずれも 極めてちいさな空間であること、体を曲げなければ入れない出入り口(にじり口)をもつこと、複雑な天井形態が組まれていること、丸太や竹など自然の形態をとどめた材料を多用していること、土壁で塗りこめられていて、窓の大きさや造作に工夫を加え採光をコントロールしていること 等が特徴として挙げられます。
普通、ちいさな空間に自然の形態をとどめた素材を多用しすぎると、何とも騒々しくて居たたまれなくなるもので、まず、樹種はできるだけ控えめに、製材で乱れた寸法を整え、人間に都合の良いよう統一してから用いるのが常なのに、こと 蓑庵 の場合、柱一本、垂木一本、どれをみても一つとして真っ直ぐではなく、寸法も確かに微妙にまちまちなはずにもかかわらず、不思議と全体はかっちり収まっているらしく、それぞれが手と手を携えて一つにまとまって、しかも、限りなく静謐な空気を纏っているようにすら思えてしまうのでした。

蓑庵

これはきっと、目利きである茶人と、つくり手である大工が、丸太一本、竹一本に至るまで、素材の声にきちんと耳を傾け、各々の良いところをみつけ、個性を殺さず生かして組んでいるからに違いありません。 その余りにもか細く華奢な素材たちは、それ自体、別段美しくもなく、ある意味弱々しいだけなのに、皆が然るべき持ち場に納まってはじめて繊細で美しい姿を現し、いささかの乱れもなく何百年もの間、凛として在り続けているのは一体どうしてなのでしょう。
ある木などは(赤松でしょうか)、例に漏れず情けないくらいにひょろひょろで、しかも、へなへなと意気地なく曲がっていたりするものですから、 こんなの何の役にもたたないよ と、見切りをつけられないとも限りません。 「やっぱり僕なんか、性格も根性も捻じ曲がった駄目な木なんだろうか…」 と、劣等感に悩み苦しんでいたかもしれない一本の木が、茶室の要でもある 中柱 として、亭主の領域である 点前座 と、大切な客人のための 客座 との間を、そーっとやさしく遮って、それが実にしみじみとありがたく、 「曲がっていたから良かったのだ。 これ程美しい柱はみたことがない!」 と、来る人来る人賞賛をあびる。 アンデルセン童話の 「みにくいアヒルの子」 を連想させる物語の数々が、こんな極小の空間にも、人知れず静かに存在していたのです。

信じられないくらい華奢な丸柱の間に塗りこめられた土壁は、表面からはうかがい知れないものの、柱同士は堅固に貫(ぬき)でつながれ、隙間は隈なく、割り竹を格子状に編んだ木舞(こまい)で周到に組まれていて、全部の厚みが僅か 一寸二分(36mm) という、多少は腕に自信のある並みの左官職人であれば、怖気づいて一目散に逃げ出してしまいかねないくらいの過酷な仕事も、ひとたび、その道の達人の手にかかれば、誰もが惚れ惚れするような コテさばき で、着物ひとつ汚すことなくこなしてしまうに違いありません。 しかも、本来は土に混ぜて収縮によるひび割れを防ぐ裏方の役割を担う 藁スサ を、あえて 壁の仕上面にみえるように浮かび上がらせる という荒業が、まるで松葉を ぱらり と散らしたがごとく自然な有り様で、あたかも風がぴたりと止んだ時の水面かと見紛う程の、それはそれは平滑な仕上がり具合いなのですから。
数多ある茶室のなかでも、極端に開口部を削がれた 蓑庵 の室内は、はるばるお日様から届いた光の多くが、周囲の植え込みによって否応もなく遮られ、更に深い軒の出によって直接差し込むことが許されないために、露地を覆うしっとりとした苔の照り返しが、辛うじて下地窓の隙間から障子の紙面を弱々しく照らすだけにもかかわらず、時間の経過とともに益々白さを増すやわらかな和紙の表面が、心なしか緑色にくすんで、ほの暗い室内にぼんやりと浮かぶ明かりは、かつて出会ったことがない程の美しさ。 そんな、頼りないくらいに微かな明かりが、達人の手で命を吹き込まれた平滑な土壁に届いた瞬間、何でもない古びた 藁スサ が思いがけず白く輝くことを、この茶室から教わりました。