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アトリエかわしろ一級建築士事務所

Author:アトリエかわしろ一級建築士事務所
「がま口から建築物まで」
日々の生活につながっている モノづくり・住まいづくりのためのデザイン事務所です。

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01月16日(土)

ゆきがやんだら

願わくば、さんさんと降り注ぐまぶしいお日様の下でも、隅から隅までこうこうと照らされたあかるい室内でもなく、窓辺から奥まったほの暗さに自然光がようよう届く昼下がり、もしくは夜の帳がおりた後、ぼんやり灯された白熱電球のあかるさのなかで、こころ静かに読んでいただきたい絵本です。

THE SNOW DAY
「THE SNOW DAY」 酒井駒子 作  (ARTHUR A. LEVINE BOOKS)


酒井駒子の 「ゆきがやんだら」 は、2005年に日本で出版された絵本作品で、2009年にはアメリカの出版社から英訳版も販売され、僕の手元にあるのは、後者の初版本になります。
オリジナルの日本語版をお持ちの熱心な絵本好きの方でしたら、英訳版 「THE SNOW DAY」 の表紙の絵が、左右反転で印刷されていることにお気づきになったかもしれません。 これは別に、出版社がいい加減だったり、担当者がついうっかりしていたからではなく、三度の飯よりも絵本が、そして酒井駒子の生み出す世界が大好きで、少しでもこの作品の素晴らしさを多くの子どもたち、いえ、全てのおとなたちにも届けたい という一心での判断に違いなく、本来なら原画から反転させるなんて非礼な行為やもしれませんが、 「この作品の表紙には、これしかあり得ない!」 という、確かな審美眼を持つ担当者(おそらくプロのブック・デザイナー)からの真摯な提案を、作者は一目みて快諾したのだろうと想像するのです。 ここに、絵本を愛して止まない同志がいると。

とにかく、効率よく速やかに。 ちまたでは、インターネットやテレビ番組はもちろん、漫画、小説にいたるまで、何もかもがテンポよく流れてゆくメディアたちに囲まれ、分刻みで時間が過ぎてゆく、つくづくせわしない世のなかで、せめて、絵本だけはそうあってほしくない。
「ゆきがやんだら」 は、よくある おとぎ話 ではなく、紛れもない現代の、それも、どこの市街地にでもありそうな家庭を舞台とした雪の日のお話です。 登場するのは、幼稚園児の男の子とおかあさんのふたりだけ。 そして、男の子もおかあさんも、確かにウサギのはずなのに、ちゃんと洋服を着て現代の暮らしを営んでいます。 なぜかというと、絵本は想像(創造)の産物で、作者の幼いころの記憶が過たず投影されているから。 絵のタッチがところどころ霞んで、幾分ぼんやりしているのは、記憶がぼんやりしているのを割合正直に表現しているからなのかもしれません。

雪の日の、しかも、ウサギの母子のお話 といっても、そこは美しい森のなかとも、むかしむかしののどかな物語ともおよそかけ離れた、コンクリートで出来上がった団地での出来事ですし、あいにく降りしきる雪にお日様はすっかり遮られているものですから、全体的にしずんだグレーを基調とした絵でもって構成されています。
物語にこれといって劇的な展開はなく、音らしい音もなく、ただただゆっくりとふたりの時間が流れてゆきます。 だからでしょうか、こちらもいつの間にか、ゆーっくりとした時間の流れに身を任せ、かといって物語に完全に没入しているわけではなく、現実と夢のはざ間をふわふわさまよいながら、時折りぼーっとしたまま時間の経つのを忘れてしまう感じ とでも表現したらよろしいでしょうか。
オリジナルの日本語版については存じませんが、英訳版はふっくらとやや色味のついたマットな質感の紙に印刷されていて、普通は絵本といえば、カラフルな配色が映えるよう真っ白い紙に印刷され、光沢のあるコーティングが施された、てかてかっとした印象があるはずです。 もちろん、ちいさな子どものことを考えて、汚れにくいよう配慮されているからなのでしょう。 けれども、それは 子どものため というよりも、むしろ、消費者からのクレームを避けたい おとなの都合 にすぎないようにも思えてしまいますし、第一、どうしたってこの絵本の作風にはそぐわないではありませんか。

ウサギを擬人化する という表現方法は、一見したところ可愛いらしく、いかにも 子ども受け しそうですが、動物は人間のように表情を持たないために、微妙な心境の変化を絵だけで伝えるのは容易ではなく、ややもすると単なる 子どもだまし にもなりかねません。 ところが、この絵本の作者は、顔だけの表情に頼らず、からだ全体のしぐさや構図によって、視覚的にきちんと伝える術を心得ているように見受けられます。 その証拠に、たとえ後姿や遠景からであっても、不思議と読者は絵本のなかの親子としっくり分かり合えるのですから。
これっぽっちも派手さはないけれど、当たり前に紙のにおいのする(コーティングしていないから)絵本は、触れる手にもやさしく、実は視覚だけでなく、触覚を通しても何かが確かに伝わっているのかもしれません。 もし、そうであれば、大好きな、汚れやすい本ほど大切に扱わなければいけないのだと、理屈ではなく直感的に理解できるのは、誰よりも 子どもたち自身 のはずです。
「絵本とは、そういうものなのよ」 という、作者の、英訳版にたずさわった担当者の、それから子どもたちの声がどこからともなく聞こえてきたような気がして…。 そうか、実は、一番分かっていなくて、本当に絵本を必要としているのは僕たち おとな の方なのかもしれないと。
 
01月01日(金)

国立京都国際会館

その建物のことを知ったのは、7歳か8歳くらいだったでしょうか。
家にあった百科事典を眺めていた折に、ギリシャのパルテノン神殿やインドのタージ・マハールといった世界的名建築に混じって、シドニーのオペラハウス等、現代建築の幾つかも紹介されていて、そこに 国立京都国際会館 の写真があったことを、今でも割合はっきりと覚えています。 当時はもちろん、建物に託された想いなど分かるはずもありませんから、ただただコンクリートの かくかくっ としたカタチをぼんやりと眺めていただけで、将来 COP3(※ 1997年の地球温暖化防止京都会議) が開かれ 「京都議定書」 が採択される、歴史上重要な会議場になろうとは想像できませんでしたが。
やがて大人になり、京都に暮らすようになってから、まるでおとぎの国にでも迷い込んだかのような気分で宝ヶ池のまわりを散策することはあっても、また、周囲の山々が どんぐりの背比べ さながらに肩寄せ合いながら、水面にぽこぽこっとした姿を映し出す夢幻のような情景にみとれることはあっても、すぐ目と鼻の先にあるはずの国際会館には 「そういえば、何かあったような…」 といった、そこはかとない意識しか働かないのは一体何故なのでしょうか。 地上6階建て、東西方向の長さが200mはあろうかという堂々たる大規模建造物にもかかわらずです。

第二次大戦からの敗戦を経て、ようやく国際社会への復帰を果たした日本にとっては悲願でもあった国際会議のハレ舞台が、この国ではじめてとなる公開設計競技(いわゆるコンペ方式)によって選ばれた 大谷幸夫 の設計で、京都・宝ヶ池の北の畔に姿を現したのが、かれこれ半世紀近くも前、1966年(昭和41年)のことでした。
愛らしい山々のふところに抱かれた敷地の背後には、遥か東に比叡山、北には北山の峰々が幾重にも連なるという、京都でも指折り(というか最高)の立地条件にあり、美しい自然環境に調和する国際会議場の理想像として、大谷が最初に想い描いたのは 「農家が点在する日本のふるさとの姿」 であったそうです (※ 白川郷の合掌づくり集落のようなイメージです)
それを、代々受け継がれてきた伝統の木構造ではなく、鉄やコンクリートといった現代の材料と当時最新のテクノロジーで、最大2000名まで収容可能な国連クラスの大会議場をはじめ同時通訳に対応する大小幾種類ものフォーマルな会議場と、インフォーマルな雑談の場としても機能するロビーやラウンジスペース、宴会場。 更に、それらをサポートするための控え室や委員会、記者会見のための諸室等、ありとあらゆる条件を満たし、破綻なく整理した上で、古都京都にふさわしい容姿をまとい、自信をもって世界中の訪問客を迎え入れなければならないのです。

設計にあたって大谷幸夫が強く意識したのは、少なくとも ふたつ あるように思われます。 ひとつは、風景としてその土地の特徴を尊重すること。 もうひとつは、建物は人を護る心地よい場所であることです。

国立京都国際会館

通常の四角いカタチをした部屋の構成で、国際会議に求められる諸条件を満たそうとすると、それ相応なボリュームになるために、宝ヶ池を抱く (大谷のいうところの)穏やかな土饅頭のような山々 を建物が圧迫してしまい、この地の景観にはそぐわないだろうと判断したようです。 しかし、会議の性質から座席数はあらかじめ決まっていて、会議場の面積を単純に減らすというわけにはゆきません。
そこで、会議場の(南北側の)壁そのものをやや内側に傾けて 台形状の部屋 とすることで、床の面積はそのままに、立体としてのボリュームを適切に減少させたのです。 この変形空間から自ずと導かれる外観は、懸念されていた山並みとの相性にも優れるという、どこか白川郷の合掌集落にも共通する利点が見い出せるところなどは、注目に値するアイデアといえそうです。
ただし、会議場として求められる規模はかなりのものですから、実際の農家のようにぽつぽつぽつと点在させるだけの敷地的な余裕はありません。 そこで、大小それぞれの会議場を相互の関係を意識しながら幾分ずらして並べたり、大きな空間は少々地中に掘り下げてみたり、ややちいさな空間は2階に、あるいは半階だけ上げ下げして2.5階、1.5階と調整をする等、水平方向だけでなく、垂直方向にも空間を立体的に組み立てて密度を高めるよう、工夫が凝らされました。
どうやらその際に、設計者の都合や管理する側の意見だけでなく、まわりの自然の声にもきちんと耳を傾けて判断されていたらしいのです。
南北方向のカタチは、遥か背後の比叡山の稜線とのバランスから、東西方向のカタチは、すぐそばの土饅頭のような山々と遠く北山の峰々とのバランスから導かれたものに違いなく、もちろん足元にひろがる宝ヶ池にも相談の上で、池の水を引き池泉回遊式の庭園をつくり、新たに植えた庭木でもって建物と周辺とのバランスを保つ修景をおこなう といった配慮まで成されています。
まるで 「新参者ですので、どうぞよろしくお願いします」 と、この地の自然たちに挨拶をするかのように。

傾斜する壁を備えた台形状の空間が、その大きさを変えながら水平・垂直方向へと展開するさまは、複雑なことこの上なしで、設計も工事も並大抵の苦労ではなかったでしょう。 けれども、複雑であるがゆえに、主役である会議場のまわりに生じる 余白 のような部分が、一層魅力的な空間として機能していることも忘れてはなりません。
台形状の会議場が少し間隔をおいてふたつ並ぶと、そのはざ間には 逆台形状の余白 が生まれます。 仮に会議場が3階相当の天井高さをもっているとすれば、余白の部分は3フロアのサポート空間として活用することができて、しかも逆台形ということで、会議場が内側に傾斜した大空間であるならば、隣は逆の外側に傾斜した壁を持つ小空間という、異なる空間体験が味わえるというわけです。 この空間ギャップは、議論に集中しなければならない会議場と、気分転換をしたり緊張感を開放したいロビーや廊下という相反する性質に、心憎いくらいぴったりと当てはまっています。

Room A と呼ばれる会議場は、吹き抜けのメインラウンジをはさんで向かい合う大会議場に次ぐ大空間で、天井高さは9mですから軽く3階分くらいはあります。 にもかかわらず、安定感というか、ちょっと安心するような感覚があるのは、傾斜した壁に 護られている という安心感をその場にいる人に与えているからなのでしょう。 それでも、壁が傾いているなら何でもよいとは限らないはずです。 方法によっては壁の傾斜がその場にいる人を不安にさせ、恐怖におとしいれることだって可能なのですから。
大谷は、台形状のデザインが周囲の山々との相性に優れるだけでなく、構造上も安定し、音響においても妥当であることを確認し(※ 音が適度に拡散するため、会話が聞き取りやすいものと思われます)、加えて日本建築の最も古い形式との類似点があることも承知の上で採用に至ったようです。
たとえ、どれ程大きな空間であっても、人間が使うことを意識して、人間のスケールを逸脱しないようにデザインすれば大丈夫、間違いないのだということを、大谷はこの建物を通して教えてくれているような気がします。

荷重を支える鉄骨の柱や梁には耐火被覆のためにコンクリート製のパネル材が張られていますが、わざわざ表面に職人の手作業による 叩き加工 を施すことで、何でもない工業材に命が宿り、無機質の金属板を多用しているからこそ、部分的に用いた西陣織りの布地や銀もみの和紙が生気を帯びて、下手するとちぐはぐになりかねない様々な個性の集まりが、不思議とひとつにまとまっているなと感じたならば、もうあなた自身がすっかりその空間に溶け込んでしまった証拠なのです。 そういう感覚を 心地よい とでも表現するのでしょう。

国立京都国際会館 Room A

会議を終えて、あるいは途中休憩でRoom Aから一歩ロビーに出れば、そこは会議場の大空間とは裏腹に、せいぜい2.3~2.4m程の天井高さにすぎないことに気づきます。 普通の住宅くらいの天井高さといってもよいでしょう。
これは上のフロアを同時通訳等の運営関係者の作業空間にあてているためで、更にその上には傍聴に訪れる記者たちの専用フロアという具合に、機能や用途に応じてソツなく明確な動線分離が成されており、それが会議場内やメインラウンジの吹き抜け空間から、視覚的な演出装置としての役割も同時に担っているという、合理性と夢が同居していた1960年代そのままの建築に今でも出会うことが可能です。

ロビーを鍵の手に曲がると、Room Aの傾斜壁のちょうど向こう側にあたる、本来なら何てことないはずの廊下状の空間があります。 ここもやはり随分と天井の高さが低く、幅だってそんなに広くはないわけですが、Room Aとは逆方向に傾いた壁がことのほか効いていて、半世紀前の設計なのにどこか近未来的で、ちょっぴりほの暗く、しかも妙に居心地がよいのです。 気の利いたことに、そこには実にいい按配でベンチがしつらえてあり、天井が低いこともあってついつい座りたくなってしまいます。
廊下の突き当りには、畳三帖敷きくらいの ささやかなコーナー が設けられ、この建物のためにデザインされた(であろう)ソファとテーブルがこじんまりと収まって、これまた実に居心地よさそな雰囲気なのです。 こころを込めてつくられた古い家具たちも、それから建物も、きちんと手入れして、丁寧に、大切に使われ続けているから、尚更そんな風に感じるのかもしれません。
こんな場所なら、国籍や文化が違っていても、幾らかでもこころ許して話し合えば、どこかに道は開けるのかも…。 そう考えると、京都議定書がどうして採択されたのか、少しは分かるような気がしませんか。