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アトリエかわしろ一級建築士事務所

Author:アトリエかわしろ一級建築士事務所
「がま口から建築物まで」
日々の生活につながっている モノづくり・住まいづくりのためのデザイン事務所です。

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12月16日(水)

マルコ・タリアフェリのレザーブルゾン

マルコ・タリアフェリ(Marco Tagliaferri) という人は、メンズにしろ、レディスにしろ、決してヤワな服はつくらない、どこか野武士のような雰囲気を持ったデザイナーです。
そんな彼自らの名を冠したブランド 「MARCO TAGLIAFERRI」 は、レザーを得意とするがゆえ、細かな流行に揺さぶられることのない、芯の通ったスタイルを持ち合わせているようです。 そもそもレザーという素材は、一年・二年といった短いスパンで使い捨てられる性格のものではなく、10年・20年といった長いスパンで語られるべきものであって、それに相応しいデザインが過たず与えられていなければなりません。

レザーに対して絶対的な自信を持つマルコ・タリアフェリは、彼の衣類を取り扱っている日本のセレクトショップからのリクエストに応じ、それ程多くはない数の 白いレザーブルゾン を2006年、限定で発表しました。

マルコ・タリアフェリのレザーブルゾン

過酷な使用にも十分に耐えうるよう、 黒や茶 といった堅実な色合いを主に採用してきた彼は、普段手がけなかった 「白」 という色に対し、 汚れが目立ちにくいから と、安易にアイボリー色に流されることなく、 レザーでなければ成し得ない世界を表現する またとない機会 と前向きにとらえ、 純白のレザー(羊革) をあえて選択したのではないでしょうか。
当然、ヤワな服などつくらない野武士ゆえ、表地同様に木綿の裏地も純白。 まるで 「心して着るべし!」 とでもいい出しかねないくらいに。

純白をまとった、ハードとは対極の 清楚 という言葉が如何にも相応しいシルエットは、男性らしく胸板の厚さを損なわないよう、肩から胸へと流れるような曲線を描き、本来ならばウエストにかけて きゅっ と絞り込むべきところを、何てことないように すとん と真っすぐ裾へと落とされています。
裾のかたちは、よくあるシャツのそれに似て、切れ込んだ両脇から前後にまるく垂れ下がるような曲線を描いていて、通常はスリットを入れて直線に処理される ブルゾンやジャケットの感覚 からすると、明らかに異色です。
それでも、よくよく注意してみると裾の下がり具合が 「前側よりも幾らか後ろ側を長めに残してあること」 に気付いたとすれば、間違いなくその方はオートバイに乗られているはず。
オートバイにまたがって前傾姿勢をとると、どうしてもお尻のあたりの裾がずり上がってきてしまうものですから、それを見越してあらかじめ、後ろ側の裾を幾分 長め につくっておくのです。 この際、両脇にスリットを入れておくと、少々丈が長くても風でばたつかず、ぴったり体にフィットする というわけです。
前あわせのファスナー部を、(街着のように露出せず)あえて数センチ かぶせ をつくって二重にしているのも、金属を隠して純白のレザーの印象を損ねないための理由 というだけでなく、オートバイ特有の、 前方からの風圧によって体温が奪われることを防ぐ必然性に由来しているからに違いなく、 だから、デザイナーであるマルコ・タリアフェリ自身、普段からオートバイを愛用し、常に実用性を意識しているのだろうと想像されます。

マルコ・タリアフェリのレザーブルゾン

簡潔で清楚なイメージを、レザーという素材でもって如何に表現しうるか。 ここには、二つの ひみつ が隠されています。
まず一つは、白いレザーの表面の光沢を(意図的に)抑えていること。
通常 白 という色は、表面に光沢があると光線を容易に反射してしまいます。 ところが、表面の光沢を取り去ってしまうとどうなるでしょう。 一転して光を吸収してしまいます。 素材のテクスチャにもよりますが、和紙などはその 最たるもの といえるでしょう。 たとえば、障子は適度に外光を吸収して、程よく ろ過 された、やわらかく心地よい 明り をもたらしてくれるといったように。
この障子にも似た 繊細な光の陰影 を、レザーで実現していることに驚きの気持ちを禁じ得ません。
そして、その効果を巧みにいかして、滑らかなレザーに適度な うねり を持たせています。 これが ひみつ の二つ目。 この うねり を表現するために、衣類として縫製まで仕立てた最後の最後に、どうも 水洗いをしている らしいのです。
ご存知のように、レザーに水洗いは厳禁です。 なぜならば、革という素材は水に濡れることで次第にしなやかさを失い、劣化しやすくなるからです。 それを百も承知の上で、どうしてそのようなことをやっているのか? と問えば、マルコ・タリアフェリはきっとこう答えるのではないでしょうか。
「僕たちは、一度や二度水洗いしたくらいで傷んでしまうような、そんなヤワなレザーは使わないんだよ」 と。

こちらもご存知かもしれませんが、レザーも木綿も、水洗いして乾くと幾分 縮み が生じます。
ちなみに、このレザーブルゾンの特徴的な 裾 は、ちょうど表地のレザーと、裏地の木綿とが ぶつかっている 箇所に相当し、当然ながら、かっちりすっきり と縫製で処理されているべきはずで、ただし、これを意図的に水洗いすると、乾燥したあかつきには、木綿もレザーもそれぞれ収縮率が異なりますから、どちらかが引っ張られる理屈になり、収縮効果によって、裾の木綿の方が余計に引っ張られ、表面のレザーがふんわりと盛り上がる。
この何とも絶妙なラインが、シャツの裾のように湾曲しているがために、独特の立体的なシルエットを浮かび上がらせることになったのです。

イタリア生まれの野武士は、素材を熟知しているだけでなく、類まれな 審美眼 も持ち合わせていたのでした。

マルコ・タリアフェリのレザーブルゾン
 
12月01日(火)

伏見ビル

あまり耳馴染みがないかもしれませんが、 ストリームライン・モダン(Streamline Moderne) と呼ばれるデザイン様式があります。
これは、フロリダ州のマイアミあたりを中心に1930年代に派生した、当時欧米で流行していた装飾美術 アール・デコ(Art Deco) の一種にあたるようで、建築物においては、なめらかにカーヴした外壁や水平ラインを強調した軒や手すり、あるいは丸窓の採用 といった、どこか豪華客船を髣髴とさせるような流麗なデザインを特徴としています。 そんな、まぶしい太陽や輝く砂浜が似合いそうな、異国の地で花開いた文化やスタイルを先取りしたかのような建物が、およそトロピカルなイメージとは程遠い、大阪のどまんなかにあったりするのですから、世のなか何があるのか分かったものではありません。

ライオンの石像がどっかと鎮座する難波橋に程近い、堺筋から一本入った通りの角地に、ちいさいけれど 近代建築の息吹が感じられる名作 と評しても過言ではない 伏見ビル は、現在小規模な事務所やアトリエ等が入居する、控えめながら感じのよいレトロ・ビルディングとして、知る人ぞ知る存在となっておりますが、1923(大正12)年頃に竣工した当時はホテルだったらしいとも伝えられ、途中、所有者が代わったこともあってか詳しい建物の経緯については不明な点も多いようで、時代の変遷のなかで改修を繰り返しながら、それでも歴代のオーナーたちによって大切に使われ続けています。

伏見ビル

これでもか! というくらいに贅の限りを尽くした豪華絢爛な建物が競い合うように建設されていた、大正から昭和初期にかけての大阪で、最先端の鉄筋コンクリート造を採用した伏見ビルは、拍子抜けするくらいに簡素な仕様で、通りに面した外壁には石はおろか陶板の類すらも見当たらず、人の目線に近い1階の開口部にアーチや円形の窓を部分的にあしらいながら、2階や3階はやや縦長のスチール窓が何の化粧っ気もなく並んでいる、 装飾ありき の時代にしては恐ろしくモダンなスタイルが貫かれていて、しいて装飾的な特徴を挙げるとすれば、コンクリートの壁面に水平に出っ張ったリブと3階窓上に円形窓風の左官仕上げがあるくらいで、あとは建物の角に 丸み をつけて、流れるような印象でさらりとまとめているくらいのものでしょうか。

敷地そのものが決して広くはないために、随分こじんまりとした出来ではありますが、それでも建物全体の高さをぐっと抑えて、瓦屋根の商家が軒を連ねていたであろう、当時の落ち着いた街並みに最新の建築を馴染ませたいと願い、ホテルという用途からおのずと生じる規則正しく並んだ客室の窓の存在を、優雅に航行する客船に見立ててデザインしたものと思われます。 あたかも、その姿が冒頭にお話した ストリームライン・モダン の様式に実によく似ていて、驚くことに伏見ビルは、あのマイアミに現存するモダン建築群よりも10年あまり先行しているのでした。

伏見ビル(旧澤野ビルヂング)の設計者は、長田岩次郎であると伝えられていますが、実のところ、この人物について詳しいことは存じ上げておりません。 もしかしたら、過去に欧米に渡航した経験があり、かの地で流行の兆しをみせていたアール・デコに刺激を受けて、帰国後、彼流の解釈で大阪のささやかなホテル建築に応用してみたところ、たまたまストリームライン・モダンの考え方に共通するデザインになっていた… ということなのかもしれません。
いずれにしても、長田という建築家が非凡な才能の持ち主であったのは紛れもない事実でしょうし、何よりも、長い長い時間の試練を経て、彼の残した作品を愛情こめて大切に使い続けてくれる所有者にめぐり合ったことが、伏見ビルを名作たらしめた要因であるといえるでしょう。

伏見ビル エントランスホール

ようこそ! と迎えてくれるかのようなエントランスは、道行く人々を圧倒するようなスケール感をこれっぽっちも所有していないばかりか、(メイン・フロアであるにもかかわらず)極力階の高さを抑えた、ひどく親しみやすい等身大のスケール設定になっていて、まるで我が家にでも帰ってきたかのように、ついふらふらと足を踏み入れてしまう、すこぶる親密さにあふれているのでした。

いくら栄華を誇った大大阪といえど、この街に暮らす誰もが大企業の経営者や大富豪ではありませんから、ビジネスで訪れる人々のための、身の丈に合った大阪らしいホテルを と夢見るオーナーのために、限られた予算で最大限の快適さを提供できるよう、わずかな無駄をも惜しむよう入念に、真心こめて設計された建物は、たとえホテルのエントランスホールといえども、現実そんなに大層な広さは確保できないわけで、けれどもそのかわり、柱を円形にしたり、壁のコーナーに丸みをつけてみたりと、窮屈さを回避するためにできることならどんな苦労だって厭わないくらいの覚悟でもって… 、第一、階段の一段目にかける気持ちの入れようからして並々ならぬものがあり、ミリ単位の精度で、気持ちよく利用できるためのアイデアが存分に盛り込まれ、そのあまりにも面倒な建築家からの要求を、うろたえることも臆することなく、正面からがっちりと受け止めてカタチにするだけの高度な技量を、当時の職人たちは至極当たり前のように持ち合わせていたのですから、硬くて冷たいはずのコンクリートやモルタルに命を吹き込むことなど、誇り高く人情に篤い彼らがその気になれば、不可能な仕事などあろうはずがありません。
かくまでも誠実に、逆境を乗り越えようと前向きに創造された空間は、ほんのり薄暗く、階段の上方からやわらかな光が静かに降り注ぐ、巣のなかにでもこもるような心地よさと、上階へ導かれるような一筋の希望を内包した、 ありそうでなかった場所 となって、これまでどれ程多くの宿泊客や入居者を受け入れてきたことでしょう。

古くて感じのよい建物を維持し続けるためには、単なる ムード で面白おかしく過ごすだけでは到底済まされない、現実と向き合いながら適切な修繕をおこなわなければならず、老朽化への対応を強いられるオーナーのご苦労は察してあまりあるものがあるはずです。
これが、仮に大企業の所有物や公共施設であったりすれば、豊富な資金力や補助金などによって、設備の刷新から内外装の仕上げにいたるまで、一度にまとめてすっきりとした姿に生まれ変わらせることなど造作もないのでしょうが、そのような事例に限って、かつてのセピアがかった古さ加減が、不便さと背中合わせの危うい状況にありながら、刻んできた時の積み重ねによってのみ醸成される、ある種の 尊さ すら感じさせるもので、それがきれいさっぱり消え去ってしまってからはじめて気づく、一抹の寂しさを招く結果にも陥りかねない とでも説明したらよろしいでしょうか。
幸か不幸か、伏見ビルは個人の方の所有ですから、(下世話な話かもしれませんが)建物を維持することはすなわち、 身銭を切って手を入れる わけで、考えに考えて、何年もかけて少しずつ、本当に傷んだ箇所を丁寧に繕ってゆく行為にならざるを得ず、常にどこかが 古いまま 使われる運命にあります。 そうすると、おのずと建物の良いところも悪いところもきちんと見極められるようになり、せっかく手を加えるのであれば、目先の便利さよりも、本来あるべき姿に復元しようと考える気持ちも芽生えるのが 人間 というものです。

大規模な修繕では成し得ない独特の 艶 を授かった、ちっとも贅沢ではない、ささやかなビルディングがこんなにも多くの人のこころを惹きつけてしまうのは、実はまだまだ成長過程にあって、この先も陰ながら見守り続けていたいからなのかもしれません。