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アトリエかわしろ一級建築士事務所

Author:アトリエかわしろ一級建築士事務所
「がま口から建築物まで」
日々の生活につながっている モノづくり・住まいづくりのためのデザイン事務所です。

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10月16日(金)

真駒内屋外競技場

何だか大きくてごつごつっとした座り心地の電車を降りると、これまた大きくてごつごつっとしたシェルターのような印象の駅舎が不器用に迎えてくれるのは、広大な札幌市南部エリアの玄関口・ 真駒内(まこまない) という地域で、ここは1972年に開催された札幌冬季オリンピックのメイン会場として、その名を知られています。
その証拠に、駅舎のすぐそばには当時の選手村として利用されていた建物がほぼそのままの姿で残され、 「五輪団地」 の愛称でこの街の人々の住まいとして大切に使い続けられていて、さすがに建物の老朽化は否めないけれど、そのかわり、周囲に植えられた樹木が今ではすっかり成長し、実にすくすく・のびのびと枝葉をひろげて、だいたいどこの団地でもことごとく緑化計画に失敗し、貧相な屍をさらしてしまっている現状に対し、ここは豊かな樹木たちに抱かれるように街が共存している国内でも稀有な成功例に違いなく、街づくりにたずさわった方々の熱意もさることながら、どうもこの場所の土壌が大変よいように思えるのです。 こんなのを、 滋味豊かな土地 とでもいうのでしょうか。
団地の向こう側には、やはりたくましく育った樹々と、人々が手を入れた園路やオリンピックゆかりの競技場が理想的に共存する公園(真駒内公園)となり、どこまでもひろがっているのですから、この場に身を置くと、北国の大地に刻まれてきた歴史についつい想いをめぐらせてしまうのも致し方ないことなのかもしれません。

みどり豊かな真駒内公園をゆるゆる歩いていると、そっとこの手で触れてみたくなるような大樹がちらほらと見受けられ、なかには樹齢300年を超えるものも少なくないようなのです。 つまり、江戸時代初期にはしっかと大地に根を張り、数え切れないくらい多くの動植物や人々の暮らしを静かに見守り続けてくれたことになるわけです。
きっと、大昔、ここは深い深い森で、ごくごく少数の人たちがひっそりと暮らしを営んでいたに違いありません。 やがて明治になってから、外地からやって来た開拓者たちによって木を伐り根は掘りおこされ、近くの川から水を引き牛を放牧して、いかにも牧歌的な、普段、僕たちが想い描く 北の大地の風景 がつくられたのでしょう。
そのような、すこぶるのんびりとした場所にも開発の波はご他聞にもれずやっては来たけれど、都市計画に携わった人たちは牧歌的な風景を公園というカタチに翻訳することで現代の暮らしに共存できるよう、さり気なく導く努力を厭いませんでした。 だから、いざオリンピックが招致されることになっても、大きな時代の流れのなかで何を加え何を残すべきなのか、ひろい視点からきちんと見極めることができたはずなのです。
しかも、今のようにメディアに振り回されたり、安直なビジネスに走ることもなく、いつだって純粋に夢みることも決して忘れはしなかった。 そんな 古きよき最後の時代 に相当するのが真駒内の街であり、札幌オリンピックではなかったのでしょうか。

公園の奥の辺りには、オリンピックの開会式およびスピードスケートの会場として使用された屋外競技場(オープンスタジアム)、それにフィギュアスケートおよび閉会式の会場として使用された屋内競技場(アイスアリーナ)という、11日間におよぶ輝かしいスポーツの祭典のプロローグとエピローグを飾ったふたつの歴史的な競技場が、選手村と同様、ここでも市民に親しまれつつ、スポーツやイベントのための施設として使われ続けています。
特に屋外競技場(※ 現在の名称は、 真駒内セキスイハイムスタジアム です。)については、この土地の風土に溶け込むことを意図した、至極真っ当な考え方でデザインされていて、もはやショウビジネスと化したかのような、メディア受けする派手なデザインを良しとする、うわついた近頃のオリンピック施設に爪の垢を煎じて飲ませたくなる、ゆかしくも頼もしい存在なのでした。

真駒内屋外競技場(真駒内セキスイハイムスタジアム)

たまたま僕が訪れたのは、すこぶる天気のよい日曜日の朝で、その日は市民参加のマラソン大会か何かが開催されるらしく、多くの市民ランナーたちで賑わっておりました。
競技場の周囲はぐるりと周回できる公園の園路になっているために、皆さん軽くウォームアップしたり、あるいは仲間同士談笑しながら散歩したり、なかには芝生のなかに自前のテントを張ってピクニック気分で大会の雰囲気そのものを楽しんでいる方々もいらっして、 「ここは、僕たちの庭も同然だからね」 とでもいい出しかねないくらいに、しっくりと風景に馴染んでしまっているのですから。
その芝生が、メインスタンドや出入り口を除いてゆるやかに土が盛られ、上段近くまですっぽりと覆われつながっている様子は、スタジアムにありがちなある種の威圧感をきれいさっぱり取り払って、しかも、公園との境い目にはコンクリート製の支柱のようなものが、さり気なく柵がわりにずらりと並んでいたりするものですから、何だか在りし日の牧場を髣髴とさせるのどかな雰囲気すら醸し出して、だから誰もがおだやかな気持ちで、こんなにもスポーツを楽しむことができるのでしょう。

そんなことを考えながら辺りを散策していると、普段は閉じているトラックへの出入り口がその日は開放されていて、せっかくなので、幾らかでも競技場の雰囲気を共有できればと、しばし足を踏み入れてみることにしたのです。 すると、オリンピックの開会式が開かれるくらいに大きなスタジアムのはずなのに、外から感じた印象とおんなじようにちっとも威圧感がなく、むしろ爽快な気分にさせてくれるのは一体どういうことなのでしょうか。
それは、単に 天気がよかったから というだけではなく、視界も空気も澱みなくつつがなく、観客席からその背後に控える公園のすっかり成長した樹木たち、それから遥か向こうの山々にまでつながっていて、あとはただただ北国の大きな空があるだけ。 観客席はメインスタンド以外はその半分以上が芝生敷きの斜面になっていて、それがコンクリートの柵でゆるーく仕切られているだけなので、自然とこちらもゆるーい気分にさせられてしまうという、不思議な心地よさ。
1972年のオリンピック開催時には芝生敷きの斜面に仮設の観客席が設けられて、5万人あまりの人たちで埋め尽くされたわけですが、その後の市民の方々のスポーツ大会やスピードスケート競技では、5万人収容の客席など とりたてて必要ない という理屈になります。 このような柔軟な発想と長期的な視点で評価してみると、何も通常の観客席のように膨大なコンクリートの構造物でいたずらに囲い込まなくても、土と緑の芝生だけで十分事足りることになり、しかも、周囲はもとより芝生敷きの公園なのですから、手入れだっていっぺんにできて よいことづくめ ではありませんか。
コンクリートの構造体は、時間とともに否応なく劣化する運命にあるため、長く使い続けるためにはそれなりの補修工事が不可欠であることを考えると、 「時間を経るたびに周囲の公園に馴染んでゆくスタジアム」 というアイデアは、なるほど、この場所にぴったりだな と、つくづく感心してしまいます。

そもそも、僕が真駒内の屋外競技場に興味を抱くきっかけとなったのが、緑の芝生に覆われた斜面のてっぺんに、あたかも すっくと咲いた一輪の花 のように据えられた聖火台の存在で、数多ある歴代オリンピックの聖火台のなかでもぴか一のデザインではないかと思っているくらいです。
屋外競技場にある聖火台は、工業デザイナーとして知られる 柳宗理 の手によってデザインされたもので、血の通ったあたたかな人の手でなければ到底生み出し得ない柳特有のカタチは、ある角度から眺めると今にもはばたきそうな躍動感があるのに、別の角度から眺めるとふっくらふくよかに炎を包み込む妙な安堵感があったり と、いかにも札幌らしい、おおらかで健康的な美しさを四十数年間、それはもう、ほとんど空気と同じくらい当たり前の存在になって、これからもあの大樹のように、静かに競技場を見守り続けてくださることでしょう。
 
10月01日(木)

正伝寺

正伝寺は、奥深い山の懐に抱かれるように、ひっそりとたたずんでいます。
それは麓の、このあたり(西賀茂)ではお馴染みの土塀に囲まれた農作業のできる母屋の前庭や、農具庫や土蔵などを持つ昔ながらの農家が建ち並ぶこじんまりした生活道路から、行く手の 船山(※ 京都五山送り火のひとつ 舟形万灯籠 のある山です) を眺めても、ただただ木々が生い茂るばかりで、お寺の存在すら定かではない。 実に静かなものです。

ようやく、人家が途切れた頃に見つけたお寺の山門をくぐると、鬱蒼とした大樹の間を縫うようにして、苔むした参道の坂道や石段が連なるそのおしまいに、それ程大きくはない本堂と庫裏が慎ましく並んで、ようよう建てられるだけのささやかな土地と、その周りに、これ又ささやかな鐘楼と墓地と段々畑とが仲良く、斜面のそこここに溶け込むように点在する境内は、名だたる京の大寺院とは無縁の、まるで谷間のような静けさ。 どうりで麓からは分からないはずです。

伏見桃山城にあった 御成殿 と称される遺構を移築した本堂(方丈)の正面に、ここだけは少々石垣を積ませていただいて、山中の境内では唯一の平坦な庭を、人の背丈ほどの土塀で囲い、白砂を敷きつめた奥に てん てん てん と、七五三調の要領で、サツキツツジの刈込みのみを配した、世にも稀な 天上の空間 が生まれたのでした。

正伝寺

本堂の縁側から眺める庭園は、これよりも小さくてもいけませんし、大きくても何だかおかしい。 これ以上はあり得ない! というくらいの絶妙な奥行きが与えられ、眼前にはただただ白砂の余白がひろがるばかり。
こころ乱す何者もない、限りなく平和なこの景色は、僕が生まれ育った 瀬戸内海の風景 そのものだと察しました。 白砂の海はどこまでもおだやかで、いたずらに波を荒立てることもなく、きらきらとお日様の光を拡散させ、目にも眩しくはない。 サツキツツジの刈り込みは、波間に点在するこんもりとした 瀬戸内の島々 そっくりではありませんか。

内海の背後はしっくい塗りの土塀によって、目線より下の景色、つまり 遥か下方の街の気配の一切 が消し去られて、背後からぐるりと側面までを抱くように取り囲む深い深い森の木々。 そう、ここはもはや 動物たちの領域 でもあるのです。
庭は、お寺が建立されるずっと以前からそうであったかのように、蝶やとんぼや様々な虫たちが自在に行き来し、高貴な身分のお方のみ通ることが許される(はずの)石畳の小径を、誰にはばかるでもなく野良猫が背筋をピンと張ってゆうゆうと通り過ぎて、さすがにここまでは保健所の手も届きますまい。
結局、飼い猫も野良猫も、人間も昆虫も皆同じ生き物で、この 母なる山 に抱かれているだけなのではないのだろうか と、そのようなおおらかな気持ちにさせてくれるのは、どうしてなのでしょう。

正面の遥か彼方には比叡の山が、相も変わらず、実に悠長な様子で でん とそこに居られる。 西賀茂の地からはあまりに遠いために、その姿は幾重もの空気の層に隔てられ、なかば 空 と化し、青く霞んでみえるのだと知りました。
そして、その上には、どこまでもどこまでも高く青い空と白い雲が続いてゆき、その時々の季節や気温、あるいは湿度や天候によって、目まぐるしく表情を変えながら 「空ってこんなに高いのか」 と、今更ながら気づかされたのは、森に護られ、いつの間にやら庭さえも飛び越えて、大空と対話している自身の姿をそこに見い出していたからなのかもしれません。

正伝寺