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アトリエかわしろ一級建築士事務所

Author:アトリエかわしろ一級建築士事務所
「がま口から建築物まで」
日々の生活につながっている モノづくり・住まいづくりのためのデザイン事務所です。

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05月16日(土)

B-Lock,神楽岡

京都大学にほど近い吉田山の山裾に、安藤忠雄設計のちいさな集合住宅 「B-Lock,神楽岡」 は、ひっそりとたたずんでいます。

吉田山は、山というよりもむしろ丘に近いささやかな物腰ゆえか、このあたりは地元の方々から 神楽岡(かぐらおか) とも呼ばれていて、かつては丘の起伏に沿うように曲がりくねった、さほど広くもない生活道路に肩寄せ合うようにして、こじんまりと建ち並ぶ昔ながらの簡素な町家や長屋が、同じようにこじんまりとした吉田山の懐に抱かれながら、辻々にはお地蔵さんの居心地良さそうな住まいもあって、さぞやその土地とそこで生活営む人たちのスケールにしっくりと寄り添うような場所であったんだろうな と想像するのですが、いつの間にか、ヒトからクルマ中心の世の中へと移り変わり、拡幅された立派な道路が近くに通る頃には、吉田山の鬱蒼とした森の急斜面が南側に迫った、日当たりも悪く風通しも不十分で、相も変わらず狭くて見通しの悪い、時代に取り残されたかのような生活道路に挟まれた敷地に並ぶ建物たちは、不承不承にモルタルで塗りこめられた、いかにも 棟梁不在 といった風情の無難な住宅にあちこち刷新されてしまって、耳を澄ますと 「こんな土地なんだから仕方がないよね」 といった諦めにも似た声すら聞こえてきそうな、そんな1980年代の神楽岡の街並みを、はじめて目の当たりにした(であろう)大阪の下町育ちであるひとりの建築家は 「だからこそ良い建築をつくってみせる!」 と、大いに発奮したに違いないと僕は想像しています。

安藤忠雄の手がける建築が、化粧っけなしの鉄筋コンクリートを多用していることは、既に多くの方々がご存知のことと思いますが、昔ながらの町家や長屋が残っているような建て込んだ住宅地にも コンクリートむき出しの建築を挿入する という強気の姿勢に対して、いささか乱暴な行為では? といった疑問を抱かれる方も確かに居られるかもしれません。 しかし、一見したところ異質なものを入れているようで、それでもよくみると、ご近所の古いけれども感じの良い住宅の軒の高さにさり気なく建物の高さを揃えていたり、コンクリートの打設の際に生じる1階と2階とのあいだの 打ち継ぎ目地 ですらも、隣の瓦葺の軒のラインにぴたりと合わせてあったりして、そこそこちゃんとした地元の工務店ですら、もはや忘れ去ってしまったような、その街のルールやその土地のスケールといった約束事を、頑なに守り続けていることに気付くはずです。

ずいぶんと傷めつけられた感のある京の神楽岡も、幸いにしてご近所には、別に立派でも何でもないのだけれど、昭和のはじめ頃に建てられたと思しき、この街のお手本的な簡素きわまりない町家がぽつぽつと残されていましたから、安藤がこの場所のために手がけるささやかな集合住宅の、ゆるやかに円弧を描く塀の高さはもちろんお隣さんの1階の軒の高さにならい、少々セットバックした建物のてっぺんは、やはり2階の軒の出あたりに揃えてあって、実はわざわざこのために、別段なんてことないように建物全体が1mあまり沈められていたりします。 そうすることで、おもての通りに立つ人の誰もが、背後の吉田山の木々の懐に抱かれたような、この土地本来の心地良さを感じ取ることができるのですから。
山や道との関係からおのずと導かれたかのような、あまりにも自然で素直な建物は、偉大な建築家が手がけた作品であることなど、てんで知らないよと いった素振りで街の人々が行き交う、ちょっと素敵な関係にあるようです。

B-Lock,神楽岡

建築家に限らず、あるレベルに達した作家が作品に対して想いを込めると、必ず 「静」 か 「動」 のどちらかに行き着くのではないかと考えています。
傍からみて分かりやすくカタチに表現してみせるのは 「動」 、明確にカタチには出さないけれど、その内に託しているのが 「静」 とでも説明すればよろしいでしょうか。 大多数の作家は 「動」 の方向に傾いているように見受けられますが、安藤忠雄の作品は 「静」 の方に属する といっても差し支えないように思われますし、傍目には西欧流の建築を貫いているようで、実のところ日本人の持つ美学に、どこかでしっかりとつながっているような気さえしてしまいます。

ごつごとしていて無骨、シミやムラが目立って見苦しい… といった、かつてのコンクリートのイメージを覆してみせた、安藤建築の持つ肌理の細かい、繊細な 打ち放しコンクリート の質感は、いまや他の建築家も躊躇することなく採用するくらいに定着した感があります。 ただ、コンクリートの壁というと普通は 「面」 を意識してしかるべきところを、安藤のコンクリートだけは不思議と 「線」 を意識させます。 一見すると同じように小奇麗なコンクリートの壁でも、そこには明らかな違いがあって、とりわけ彼の作品が日本以上に欧米での評価が高い理由として、何よりも 「欧米人の到達できない、際立った線の美しさ」 が挙げられるのではないでしょうか。
伝統工法による日本の建物は、柱、梁といった構造材はもとより、格子窓から障子や雨戸の桟、敷居や鴨居、それから床の間ひとつをとってみても 床がまち と 落しがけ によって切り取られ、天井には縁(ふち)が廻らされ、畳も縁(へり)によって明確に分割される… といった具合に、すべてが 「線状の要素」 で構成されているのに対し、欧米では装飾目的で縁取りを添えることはあっても、あくまでも堅固な壁やドアといった 「面」 で構成されているといえます。
これに対し、安藤忠雄の手がける建築は、欧米流に壁やドアを使用してはいますが、壁にしろ開口部にしろ、その端あるいは角の 「線」 にことさら気を配ってあって、建築物としては尋常ではないくらいの正確さで水平、垂直さが追求され、角はいずれも ぴしっと直角 に仕上がっているのです。

モダンでハイテックなイメージのいまどきの建物でも、やはりそこは建築物ですから、工場で生産される工業製品と比べると当然誤差はあるもので、完全に 直線 や 直角 ではなかったりするものなのです。 壁や開口部の角は、特にコンクリートの場合は欠けやすく危険な感じがしますし、何よりも施工で失敗するリスクを伴うので、45度に 面をとる のが普通ですが、こうすると 線 は曖昧になってしまいます。
もはや、床の間も鴨居も、住まいから姿を消しつつある生活を送っている日本人からは、明確な意思を持った精神性の高い 線 は生まれにくいどころか、その感覚は欧米人よりも鈍くなっているようにさえ思えるのに、安藤はひとり一貫してぶれることなく 線 を巧みに操り、コンクリートや鉄、ガラスといった近代のありふれた素材のみで、日本の美学を欧米流の建築言語に翻訳してみせました。 これには、いかに世界の優れた建築家といえども成し得る術がない というのが、彼の仕事に対する(特に海外からの)高い評価の理由と考えれば、どなたも納得されることでしょう。

B-Lock,神楽岡は、打ち放しコンクリートの表情は控えめに、床板や屋根板を支える 臥梁(がりょう) と呼ばれるほんの一部にとどめられて、壁面は全て(もちろん内部も)コンクリートブロックが積まれているだけのようにも見受けられます。
ここでは、一般的なブロック積みよりも強度の高い 「型枠コンクリートブロック造」 と呼ばれる工法が採用されていて、表面のコンクリートブロックが鉄筋コンクリート造の 型枠 と 仕上げ を兼ねる仕組みになっているので、屋外と室内のコンクリートブロックにはさまれて みえない鉄筋コンクリートの壁が立ち上がり、建物を護るよう工夫が凝らされています。 安藤は1980年代に、いくつかの作品をこの工法で手がけていますが、普段誰もが見慣れた、お世辞にも美しいとはいえない、むしろ粗末ともいえるコンクリートブロックそのままの、飾らない、実直な、清々しい素材でもって、いつものように手を抜くことなく、迷いのない 「線」 を描き出しています。
誰かを背中におんぶするときに、心持ちひざを曲げて腰をかがめてあげる姿にも似た、このひどく控えめな集合住宅には、ちょっとざらついたコンクリートブロックの質感が吉田山の深い緑に包まれて、そこには露ほども派手さがないからこそ、かえって上品な輝きを放つ宝石のように、この目に映るのでしょうか。

修道院のように静謐な、 ワンルーム型住居 7戸と メゾネット型住居 1戸の小部屋たちに加えて、おもての塀の端っこに、これこそ正真正銘 ワンルーム といったお地蔵さんの住まいも用意された 全9戸のちいさな集合住宅 は、道のそこここに居られるお地蔵さんの似合う、実に神楽岡らしい建物になっていたのでした。

B-Lock神楽岡
 
05月01日(金)

5月の風

何かの本に、 窓 という言葉は柱と柱の間に入れられた戸、つまり 間戸(まど) が語源であるという意味のことを書いてあったように記憶しています。
今でこそ、窓は壁のなかにぽっかりとうがたれ、かっちりと固定された西欧でいうところの ウインドウ(window) といった意味で受け止められていますが、日本ではもともと、華奢でぺらぺら、あるかなきかの かりそめの存在 であったはずです。 だから、昔の建物のように柱がむき出しで、その間に建て込まれた板戸や障子やガラス戸が、頼りないくらいに薄ければ薄いほど、軽ければ軽いほど、するするーっと柱と柱の間を音もなく行き来して、 とん と木と木がぶつかる音すら、小気味よいと感じ、風も視線も軽やかに駆け抜けてゆくのでしょう。
かりそめの存在である間戸(まど)は、実際簡単に取り外してしまうことできますし、別にそこまでしなくても、僕たちの頭のなかで無きモノにしてしまうことなど造作もないわけで、有り体にお伝えすれば日本の住まいは、柱を幹に、屋根を枝葉に見立てた 森のなかにいるような感覚 に近いのかもしれません。 昔の住まいがその大小や貧富にかかわらず、必ずといってもよいくらい 庭とひとつながり になっているのは、もしかしたら、日本人のこころの奥底にある 森に住まうDNA からきているからなのではないでしょうか。

森に住まうDNAは、少なくとも昭和のはじめ頃までは、都市部の高密度住宅にまで連綿と受け継がれていました。 それを京の人々は 町家 と呼び親しんでいて、今でもその気になれば、かろうじてではありますが、ちいさな森での暮らしも存外夢物語ではなかったりします。
実際、京の町家は、いにしえの匠たちが成し遂げた、限りなく洗練された森のなかの住まいです。 まず、両隣とを仕切る壁を除いては、基本的に柱と柱の間が庭から通りまで間戸(まど)だけですから、よどむことなく、なめらかに空気が流れてゆきます。 人も森も呼吸しているように、家もまた呼吸しているからです。
縁の下がすかすかなのは、暑い日の盛りなど、犬や猫がさも気持ちよさそに昼寝してた在りし日の情景から察するに、庭からの湿り気のある空気がきれいに床下を循環して、床上を湿気すぎず、かといって乾きすぎず、程よい加減に保ってくれているからで、天井裏がねずみの棲み処であることなども、別段珍しい話ではありません。 そもそも森は、様々な生き物たちの拠り所みたいな場所なのですから。

烏丸の二条を幾らか上がったところに、 松栄堂 という老舗のお香屋さんがあります。 お香をたく という慣習は、清少納言の 「枕草子」 にしたためられていることから、ゆうに千年昔からあったらしく、今でもそうなのかもしれませんが、お香の材料はどれも海の向こうからはるばる渡ってきた貴重な品々なのです。 それらを伝来のレシピにもとづいて、あるいは新たな創意工夫を加えながら、丁寧につぶして、練り合わせて、ようやくちいさな香りの結晶が出来上がるわけです。
お店には、あたかも季節ごとのみえない空気をそーっと掬い取って、精錬して、練り固めるようにして生み出されたかのような、ささやかなお香たちが並べられています。 そのなかでも個人的に好みなのは 「早苗月」 と銘打たれた、そう、ちょうど今の季節の 精霊からの贈りもの とでも表現したらよろしいでしょうか。
そんなお香をたく機会は、やはり 早苗月(5月) に限ります。 それも、その日の気分と、天候や気温、時刻、微妙な風の加減などの(はなはだ私的な)基準をクリアしくてはいけません。 何しろお香は、海の向こうからはるばる運ばれてきた貴重な品々の結晶ですし。

けれども、正直いいますと、香りには関心高くても、煙たいのはちょっぴり苦手だったりします。 しかし、幸いなことに、住まいは間戸の血統を受け継ぐ町家ゆえ、そこらじゅうすかすかです。 それでも相手は、かの清少納言も好んだとされる 薫物(たきもの)、心してたかねばなりません。
そこで、床の間に置いてみたり、あるいは隣の部屋に置いてみたり… と、さまざま試みるにもかかわらず、どうもしっくりきません。 なにせ、香りには絵や家具とは違ってカタチのない気ままな存在、一筋縄ではいかないようです。
次第に僕は、伝統家屋のとっておきの場所、縁側に座って庭をぼんやり眺めながら、のんびり日向ぼっこしながら、どこからともなくふんわりと、そこはかとなく香りが届くのがよいのではないだろうかと考えるようになりました。 昔はどこの家でもそうだったように、庭先の縁をかぎの手に折れると、そこには大抵厠がつましく据えてあって、当時の人たちは汲み取り式で仕方なかったにしろ、緑濃い庭のただ中に不浄な空間を調和させる という、世界に類をみない離れ業をさらりと成し遂げてしまったはず。 結局、そんな厠にこそ薫物を置くにふさわしいかな と、恥ずかしながら思い至ったのでした。

(さすがに今は水洗式になっていますが、きちんと雑巾がけされた)厠には、松栄堂の 早苗月 がゆらゆらと、のどかに煙くゆらせて、すっかり間戸(まど)を開け放った日当たりのよい縁側にぽーんと両足投げ出して、時折り、風に揺られてほのかに届く香りに身をゆだねれば、そこは5月の深い深い森のなか。 そうか。 よく考えると、白檀や沈香といった、お香の材料はどれも木質。 森によって育まれたものたちばかりでした。
どうやら、森に住まうDNAは失われることなく、今も脈々と受け継がれているようです。

5月の風
「5月の風」  ペン、水彩