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アトリエかわしろ一級建築士事務所

Author:アトリエかわしろ一級建築士事務所
「がま口から建築物まで」
日々の生活につながっている モノづくり・住まいづくりのためのデザイン事務所です。

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02月15日(日)

PK20

もし、インテリアに興味のある方が、関西近郊にお住まいかもしくは滞在中で、意外と知られていない、万人向けとは違う、ちょっとした非日常の体験をお望みでしたら、滋賀県立近代美術館に足を運んでみるのも悪くはないかもしれません。
ここは典型的な郊外型の美術館らしく、展示室以外に、ゆったりとした中庭や庭園に開かれたガラス張りの回廊がふんだんにめぐらされているのが特徴で、地元ゆかりの作家たちの作品はむろん、 ドナルド・ジャッド(Donald Judd) や アレクサンダー・カルダー(Alexander Calder) の野外彫刻に代表される、アメリカ現代美術の作品を所蔵することでも知られています。
そうすると、館内にはアメリカ・ミッドセンチュリーのモダン・デザインを象徴する イームズ夫妻(Charles & Ray Eames) あたりの家具が でん と置かれていてもよさそうなものなのに、回廊の奥にさり気なく並んでいるのは、デンマークのミッドセンチュリー期のモダン・デザインを牽引した稀代の家具デザイナー、 ポール・ケアホルム(Poul Kjaerholm) の椅子という、意表をつく選択だったりするのですから驚きです。

デンマークの家具といえば、タモやナラといった癖のない、割合あっさりとした木材を活かした、飽きのこない洗練されたデザインの木製家具が一般的に知られていて、日本の住まいにも相性がよいこともあり親しまれているようですが、ポール・ケアホルムは、ぬくもりのある木材とはおよそ対極ともいえる、硬質でシャープな金属製のフレームを基本構造に、レザーや籐といった異素材を組み合わせて、時代に左右されない、上質で洗練された、しかもとびきりモダンな家具を発表し続けた、唯一無二の存在であったといえるでしょう。
ケアホルムの生み出す家具は 「PK○○」 といった具合に、彼のイニシャルと思しきアルファベットの後ろに、一桁ないし二桁の数字を付け加えて製品名とするのが慣わしのようで、たとえば、鋭利な金属製の脚に薄くフラットなレザー張りの座面を持つ多人数向けのソファ PK80 などは、ニューヨーク近代美術館をはじめとしたモダンで洗練された公共空間に採用され、空間を引き立てておりますが、滋賀県立近代美術館では、どちらかというとプライヴェートな空間に単独で用いられることの多い一人掛けのイージーチェア(安楽椅子)としてデザインされた PK20 が、回廊の両側にずらりと並んでいるのですから、これにはさすがに驚嘆するほかありません。 ある意味、異様な光景ではあります。 試しに数えてみると、なんと15脚もありました。

滋賀県立近代美術館回廊

日本でブームとなって久しい北欧家具は、現行品だけでなく、1950~60年代に製造された、いわゆる ヴィンテージ品 も数多く輸入され、その気になれば何度も目にする機会はあるわけですが、ことポール・ケアホルムの製品に至っては、実物を目の当たりにすることなどきわめて稀な出来事で、椅子一脚であっても尋常ではありません。 それが、ここに来さえすればもう大丈夫。
めったに出会うことのない憧れの名作家具に、誰だって自由に座って、ゆったりとくつろいでも構わないのですから。 しかも、世間一般ではマイナーすぎるためか関心は低いとみえて、いつだって空いていますし。

幅広のゆったりおおらかな椅子であるにもかかわらず、ふわりと座面が宙に浮いたかのような、すこぶる軽やかな印象を併せ持つPK20は、いざ実物を前にすると、本物の素材だけが放つオーラのようなものに戦慄すら覚える、特別な存在感を醸し出しています。
素材は構造材となるスチール製のフレームに、座と背が一体となったレザーのみという潔さ。 あまりにも簡潔すぎて一見何てことないように思えるフレームは、実は他に例のない独創的な構成を試みており、無垢のスチール材(※ 中が空洞になっているようなパイプではない、まるごとスチールという意味です。)を、脚部は二段階に、しかも異なる方向に曲げ加工が施されるという、ひどく難易度の高いつくりになっています。
この 二種類の曲げ加工 には、それぞれ異なる役割が与えられていて、下のほうの大きなカーブには、腰掛ける人の荷重に対して しなる ことで安楽性を生み出すために、上のほうのちいさなカーブには、座面を意図的に浮き上がらせて、視覚的な軽やかさを与え、なお且つレザーの座面そのものが たわみ ながら沈み込むことで、人の身体のカタチに添って変形できるようクリアランスを確保するために、という具合にです。
表面につや消しのメッキ仕上げが施されているため、定かではありませんが、脚部は溶接に頼らず、ひとつながりの複雑なカタチの部材に直接曲げ加工を施しているのではないかと想像されます。 そうでなければ、強度面で問題が生じるような気がするからです。
もし、そうだとすれば 「相当高度な金属の加工技術でもなければ、到底つくり得ない」 とうことになりはしないでしょうか。 ちなみに、PK20には スプリング鋼 と呼ばれる特殊な材料が用いられているらしく、ある金属加工に詳しい方の話では、日本で入手が困難な特殊鋼がヨーロッパでは製造されているため、かの国ではデザイナーが想い描く魅力的なデザインも実現可能な環境にあるのに対し、そもそもこの国では同じようなモノ自体つくり得ないのだそうです。 これは、単に技術的というよりも、日本と北欧の情熱的、あるいは文化的な差でもあるように思えてなりません。

そのような背景を持つ脚部の上に、座と背を兼ねた左右のフレームが絶妙のバランスで、外部からは見えにくい位置に巧みにボルト留めされ、これまた奥深い文化と情熱によって培われたであろう、クッション材も何もない一枚のレザー(のみ)で覆われることではじめて、最高に座り心地のよい椅子が生み出されるというわけです。
つまり、ゆったりとしたシートにその身をゆだねると、まず、身体に添うように厚みのあるレザーがじんわりとたわみながら沈み込み、次にその重みを幾分持ち上げられた左右のフレームで均等に受けとめ、適度にしなりつつボルトを介して一体成型された脚部へと伝えられます。 脚部では曲げ加工が施されたスプリング鋼がやんわりとしなることで、更に荷重を吸収し、澱みなく床へと流し去り、実に何段階もの僅かな たわみ や しなり の連動によって快適な座り心地が成立しているという、視覚的にも力学的にも材料の特性を極限にまで活かしきった、デザイナーと職人のどちらかが劣っても実現不可能な、デンマーク・デザインの黄金期を飾るにふさわしい傑作家具のひとつと評してみてもよろしいのではないでしょうか。

PK20

滋賀県立近代美術館が開館したのが1984年でしたから、その時にPK20が採用されていたとすれば、かれこれ30年以上も公共の場で使われ続けていることになります。
(あくまでも個人的な想像にすぎませんが)その間、特別これといった手入れもされないまま、現在に至っているように思えるのです。 なぜかというと、座と背に使われているレザーが随分と かさかさっ とした、経年変化だけではない、どこか疲れきった表情のようにも見受けられるからで、せめて、数年に一回くらいでも、ミンクオイルか何かをきちんと拭き込んであげていれば、もっとしっとりとした、目にも肌にも心地よい色艶をみせてくれたに違いありません。

加えて、色艶を失ったレザーの表面には、人の身体の触れやすい箇所に、摩擦によって生じる アタリ ができていることに気づきます。 たとえば、座と背の左右両端に仕込まれたスチール製のフレームとの接触部や、立ち上がる際にひざ裏が擦れやすい座面の先端部。 それから、15枚に分割されつなぎ合わされた段差の部分です。
ケアホルムが手がけてきた数ある製品のなかでも、幅広のゆったりとした座と背が特徴のPK20に限って、厳選された厚みのある上質のレザーを、全体が ボーダー状 になるよう折り曲げステッチで堅固に縫い合わせたシート部分が、視覚的にもデザイン上のアクセントになっていますが、実をいうと、このアイデアはもともと、革製の家具を生産する工程のなかで否応なく余ってしまう ヒモ状の残材 を何とか利用できないだろうかという、切実な発想からきているそうなのです(※ 家具職人からキャリアをスタートした、ケアホルムらしい発想であるといえます。)。 もし、これがイタリアあたりの有名メーカーであれば、一枚のレザーを贅沢に使って、よりすっきりとした印象のイージーチェアに仕上げていたかもしれません。
結局、残材では均等な革質を確保することが難しかったとみえて(※ 革質が均等でないと、弱い箇所に傷みが生じやすいから。)、品質と実用性とデザイン性とのバランスのなかで15のボーダーラインが生まれ、くしくもそれが時間という試練と、公共の場でこれといった手入れがされないという二重の試練によるアタリ(証し)となって現れ、まるで15脚それぞれの表情がそこに身体をゆだねた数え切れないくらい多くの人々の記憶を、過たず映し出しているかのようです。

この椅子をデザインしたポール・ケアホルムは、たぐい稀な才能のみならず、使い手や現場のつくり手のことまで慮っていた、意外にも融通のきかない、どうしようもなく生真面目な人だったようにも思えてしまいます。 ひょっとすると、デンマークという国のモノづくりの本質は、そんな、目にみえない誠実さによって支えられているのかもしれませんね。
 
02月01日(日)

MUTECHの電話機

「端正」 という言葉の意味を調べてみると、そこには、 きちんとしていること。 整っていること。 行儀ただしいこと。 とあります。 ならば、あえてこの二文字を、背後のキャビネット上にある MUTECH telephone 810 という、ちっぽけな電話機に贈りたいと思います。

MUTECH telephone 810

MUTECH(ミューテック) は、ある韓国の家電メーカーからの依頼によって、日本人のプロダクトデザイナー・ 岩崎一郎 が全ての製品デザインを手がけた、オーディオと電話機に特化したオリジナル・ブランドのことで、僕の知る限り、日本には1999年から2004年頃にかけて一連の製品が輸入され、インテリア・ショップ等で販売されていました。

そもそも家電製品は実用品ですから、身のまわりの家具や道具と同じように、日々の雑多な生活空間のなかで使われているわけで、 たとえば 居間の壁際のサイドボード上に電話機を置く と仮定すると、 そこに電話機ひとつだけが ぽつん と在ることはまずなくて、そばにはテレビやオーディオ機器が並んでいたり、あるいは家族の写真が立てかけられたり、時には花瓶に季節の花を活けてみたり、骨董好きであれば自慢の壷とか置いてみたり… といった具合に、電話機は電話をかけたり出たりする時以外は目障りにならないよう、 さり気なくその場に溶け込んでくれる。 どこまでも、限りなく 静かな存在 であるのが理想です。
そのような意味からも、 「生活空間におけるモノのたたずまいと本当の使いやすさを追求する」 というMUTECHの狙いは、最初期のモデルにあたる telephone 810 に、最も純粋に表現されている といえるでしょう。

普段の暮らしのなかで、あまり意識をされている方はいないかもしれませんが、身のまわりにある、ほとんどの家電製品は 「左右対称」 にデザインされています。
最近の電話機は、本体の横に受話器を並べてレイアウトする場合が多いので、昔のように完全な対称形ではありませんが、それでも基本的に本体部分の操作ボタン類は、きちんと等間隔で揃えてあるのが一般的です。
いわゆる デザイン家電 と呼ばれるモデルは、その傾向が特に顕著で、 受話器も本体もフラットに抑え、操作ボタンはすっきりとちいさめに、しかも同じサイズで四角くコンパクトにまとめる。 ただし、これだけではいかにも ありきたり なので、付加価値を示すために天然素材等の高級な仕上げをセンスよくあしらう… といった感じでしょうか。
しかし、規則正しく凹凸の無い フラット・デザイン は、格好は確かによいかもしれませんが、使いやすさに欠けているのもまた事実で、あくまでも家電は 日々の生活道具 としてデザインしているのですから、生粋のプロダクトデザイナーである岩崎一郎は、そのような手法を(意図的に)選ばなかったのではないか と僕はみています。

telephone 810 の場合、基本的に三つの曲面(だけ)で構成されています。
まず、受話器は手を掛けやすいように左側に(※ 受話器は左手で持つと想定しているため。)、本体から指が入る分だけ間隔を空けておいて、視覚的にも本体から分離させ、受話器は持つ手や顔のラインにフィットするよう緩やかにカーブを描く形態にします。 ここが 第一の曲面 です。
本体には、操作のためのボタンとディスプレイが必要ですが、ボタンを押す動作とディスプレイを見る行為では、それぞれの角度を微妙に変えるとより使いやすいため、ここに 第二・第三の曲面 を充てます。 その他の外形には一切曲面を用いず、曖昧さを排除するようにかっちりとした直線のみで全体をまとめるのです。
すると、(第二と第三の曲面に相当する)本体の二つのカーブの谷間の部分は、(第一の曲面に相当する)受話器の手を掛ける部分にぴたりと一致するようになり、一見デザイン重視のコンパクトなボディのようでも、理にかなったデザインであれば、使い勝手には何ら矛盾しないことになります。

操作ボタンは、相手に電話をかける際に必要となる 12個分だけを 大きく、まるく、平たい形状 に、それも押しやすい間隔を空けておいて、右隅にまとめて配置するようにします(※ 右手でボタンを押すと想定しているため。)
外出時と帰宅時に操作が必要となる留守電の ON/OFF ボタンについては、慌てて操作しても損ねないよう、ここだけは独立して右側上部に配置してあります。
最後に その他 のボタンは、基本設定時などに操作するだけで、頻繁に使う必要がありませんから、豆粒状の小さな形状にしておいて、邪魔にならない隅っこに並べて配置しておくと、バランスよくおさめることが可能です。

MUTECH telephone 810

このように考えてみれば、むしろ、操作系のボタンは 左右対称にはならない のが自然で、形状も材質も異なる種々のボタンを、緩やかな曲面を描く本体上に(ブランドロゴを含めて)完璧なレイアウトを施す事が出来る というわけです。

それにしても、つくづく感心するのは、このような仕事を、特に秀でた機能も持たせず、当たり前の使い勝手だけを、さして高級でもなく、まして天然素材でもない、ごく普通の 工業素材と技術 だけで成し遂げてしまったことです。
これだけの内容が、決して破綻することなく、つましく、美しくまとまっているのは、ブレのない、真っ当な考え方でデザインされている証しでもあるのでしょうが、「(定石である)左右対称を崩しているところ」 に、あえて注目をしたいのです。
欧米諸国に限らず、大陸の文化は厳格に 左右対称 であったなかで、少なくとも島国である日本は、時にはしなやかに、必要に応じて臨機応変に 崩すこと を厭いませんでした。 人には誰だって皆 利き腕 があるように、左右を無理に揃えようとはしないという 独自の文化 が育まれていたからなのではないでしょうか。

だから、この韓国生まれの電話機と、それから日本人の文化と美学を惜しみなく注いだ、生みの親であるひとりのデザイナーに対し、胸を張って 「端正」 という言葉を贈りたいのです。