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アトリエかわしろ一級建築士事務所

Author:アトリエかわしろ一級建築士事務所
「がま口から建築物まで」
日々の生活につながっている モノづくり・住まいづくりのためのデザイン事務所です。

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10月16日(木)

ケース・スタディ・ハウス #1

ケース・スタディ・ハウス(CASE STUDY HOUSES) と呼ばれる一連の住宅があります。
これは、1938年に創刊された芸術・建築を主に扱うロサンジェルス発の雑誌 「アーツ&アーキテクチュア(Arts & Architecture)」 のなかで1945年に企画された実験的プログラムで、アメリカでも当時はまだ様式重視の保守的な住宅が一般的であったなか、フラット・ルーフに大きなガラス窓を持つモダンな(しかもローコストの)住宅を、西海岸を中心に活躍する著名な建築家に依頼して計画案を発表し、建物だけでなく家具などのインテリアから設備類、庭のしつらえまでを彼らのコーディネートで実現させ、それらを誌面に掲載するのは無論、住み手が入居するまでの間(※ 概ね6週間)、読者にひろく開放し体感してもらおうという、画期的な内容だったのです。
ミッドセンチュリーと後々語り継がれる、アメリカが最も輝いていた時代にいかにもふさわしいケース・スタディ・ハウスはたちまち話題となり、やがてその名声は本国のみならず海外の津々浦々にまでひろがり、もはや伝説になりつつある といってもよいでしょう。

ケース・スタディ・ハウスは、1945年から66年までのおよそ20年間に全部で36のプロジェクトが提案され、そのうちの25軒が実現しました。 建設地はロサンジェルスを中心とした南カリフォルニア地域に点在しており、ゆったりとした敷地と、雨の少ない、温暖でさわやかな気候、旧来の慣習にとらわれない自由な風潮などから、斬新で実験的な試みも比較的受け入れられる条件がここには揃っていたのでしょう。
加えて工場で生産される鉄やガラス、パネル状の化粧板といった建材を採用することで、床から天井に届く大きなガラス窓の開放的な住まいが、装飾をそぎ落としたモダンでシンプルなインテリアと、プールや池、芝生のある広い庭と一体的に組み合わせ、センスよく提案されたのですから読者が興味を示さないわけがありません。
過去の様式に縛られない自由な空気と最新の技術、流行の先端を走るメディアでの紹介となれば、若く才能にあふれる建築家の腕が鳴るのは、ある意味自然な成り行きといえます。 次第にプロジェクトの数が増え、より開放性の高い鉄骨構造が取入れられるようになると、ロケーションによっては外部からおしゃれなライフスタイルが大きなガラスごしに透けてみえる、相当に格好良い住宅が実現し、たぐい稀な感性を持ち合わせたカメラマンの手で一層魅力を引き立て誌面を飾るという相乗効果を、ケース・スタディ・ハウスは生み出したのです。

実験住宅という側面もあってか、作品名はプロジェクトの発足順に、#1、#2、#3…といった番号で表記されています。
その記念すべき第一号(#1)は、 ジュリアス・ラルフ・デイヴィッドソン(Julius Ralph Davidson) によって設計されました(※ J.R.デイヴィッドソンは#1のほか、#11、#15と、計三軒のケース・スタディ・ハウスを手がけています)
このデイヴィッドソンという方、ほかの建築家のように 格好良さ全開! といった感じではなく、見た目の派手さよりも、地形や日照、通風といった場所との関係や、(肝心の)住み手との関係を重視したきめ細やかな設計を得意としているようなのです。 しかも、従来の保守的なスタイルではなく、工業製品主体のテクノロジーに裏付けられた近代建築の手法によって。

ケース・スタディ・ハウス #1

#1は、他の多くのケース・スタディ・ハウスがそうであるように、住み手は 架空の家族 ということで設計がはじまりました。 ただし、敷地はあらかじめ決まっていたようです。
家族構成は、共働きの夫婦とある程度成長した子供がひとり。 子供は早々に自立するのがこの国のならわしですから、子供部屋は書斎やゲストルームとしても使用できるよう、想定されています。 もちろん豪邸などではありませんから、使用人に頼らず、働きながら平行して家事もこなさなければならないことになります。
そこでデイヴィッドソンは、大きなガラスの引き戸で庭と一体となるモダンなリビングもさることながら、夫婦が過ごす寝室や、調理、洗濯といった家事仕事、それに出勤前のあわただしい身支度を快適にこなすことのできる洗面室(ドレッシングルーム)、といった住まいの陰の部分といえるサービス空間に対し、並々ならぬアイデアと情熱を注いだのです。

夫婦の寝室に通常みられるようなクローゼットはなく、ベッドと書斎コーナーがあるだけです。 ベッドの枕元には、それぞれに読書のための本棚と照明器具が双方の眠りを妨げないようしつらえてあり、ビルトインされたラジオとアラームクロック、サイドテーブル、各種スイッチまで、必要な機能のすべてが過不足なくコンパクトに格納されています。 大きな収納家具がないため、(プライヴァシーに配慮の上)壁面の半分はガラス窓として庭に開放されています。
身支度は寝室に隣接する洗面室でおこなえるよう、洗面台、シャワーブース、クローゼットが完全に独立して設けられています。 なんと、夫婦それぞれにです(トイレのみ双方で共有します)。 豪邸でも、夫婦専用の洗面室を別個に設ける例はあまりないのではないでしょうか。

婦人用の洗面室は、ドア一枚でキッチンにつながっています。 しかも、キッチンの一角には朝食のためのダイニング・コーナーが用意されていて、あわただしい朝の調理や食事、後片付けも最小限の労力で済むように考えられています。 こじんまりとしたダイニング・コーナーには、ここにも抜かりなくラジオと壁時計がビルトインされている上、ソツなく電話台までデザインされているのに驚かされます。 サービス空間に小気味よく電話を組み込むあたり、只者ではありません。 家事労働をここまで熟知したセンスの良い建築家など、そうそう巡り会えるものではありませんから。

明るく清潔なキッチンには冷蔵庫、ガスレンジ+オーブン、食器洗浄機がバランスよく配置されています。 いわゆる既製品はこの3点のみで、あとは調理台からキャビネットまですべてこの家のためにデザインされているようです。 冷蔵庫もオーブンも食器洗浄機も規格でサイズが決まっていますから、後々交換しなければならない事態に逢着しても、ぴったり違和感なく収まるよう、先々まで考えられているのは当たり前! と、どなたも思われるかもしれませんが、そのような気配りをすべての建築家が持ち合わせているとは限りません。
実際、残された設計図面をみる限り、キッチンまわりに対するデイヴィッドソンの真摯な姿勢にはこころ打たれずにいられません。 何しろ普段使いの食器から調理器具、リネン類から調味料、保存食、果ては料理本の置き場所に至るまで、事細かに収納場所が明記されているのですから。
ただ実用性を突き詰めすぎると、サ-ビス空間が味気のないものになってしまうのもまた事実です。 それがプロの使用する厨房ならまだしも、住まいの中心に位置づけられたキッチンであれば尚更放ってはおけません。 そう考えたに違いないデイヴィッドソンは、冷蔵庫、ガスレンジ+オーブン、食器洗浄機は規格品で白色になることから、腰下のキャビネットはすっきり白で統一し、壁と天井も同系色に。 それではどうも暖かみに欠けるので、腰より上および床から天井までのキャビネットはドーヴ・ブルー(くすんだ青色)、さらに電話台をレモン・イエロー… という具合に、アクセントとなる色を巧みに加えて、実用性と清潔感を損なうことなく、南カリフォルニアらしいさわやかな空間をつくりだすよう指示がされていたのでした。

1945年に設計がはじまったケース・スタディ・ハウス#1は、架空の夫婦から実在のパプキン夫婦へとバトンが渡され、敷地やプランに変更の手が加えられて、それでもキッチンまわりの基本的な考え方は継承され、1948年にめでたく実現の運びとなりました。 住み手の要望か、キャビネットは白一色で統一されたことを除いて。
それから六十数年が経過しても、デイヴィッドソン自身の設計で改修された他はほぼそのままの姿で、途中住み手は替わっても大切に住み継がれているようです。 そこで、はなはだ迷惑かもしれないけれど、もしわがままが許されるとしたら、ひとりの真摯な建築家が意図したカラーリングをそっと住み手に伝えてみたい…。 そう思わずにはいられません。
 
10月01日(水)

千歳緑

仕舞屋(しもたや)と呼ばれる、京の中心部からちょっとはずれた住宅街などで一昔前までは普通に見かけられた、商売を営んでいない(職住一体ではない)勤め人の住まい(町家)でのお話です。

表の通りに面した格子戸をからから開けると、玄関までに畳三帖ほどの、ほんにささやかな空間。
このわずかな 間(ま) のおかげで、空気の質がちょっと変わります。
その端っこの畳一帖にも満たない土の部分は、80余年という長い年月の間にしっとりと苔に覆われ、にょっきりと松の幹が伸びているのでした。
その斜に構えた優美なラインは、さすがに幹の表面はがさがさした表情にこそなってはいますが、しゃなりとした立ち姿は、他ならぬ赤松ならではのチャームポイントです(※ ちなみに赤松の別名は オンナマツ です)
赤松の幹は迫り出した軒の出を辛うじてかわしながらもくねくねと、一階の屋根の上に顔を出したところでようやっと、深呼吸でもするかのように、のびのび枝を広げることができるようなのです。
枝のあちこちには、もこもこと針のような(といっても結構やわらかい)葉が放射状に広がっているものですから、お日様の光を複雑に反射したり、あるいは深い陰影をつくり出したりと、床しい表情をみせてくれます。

凍てつく真冬の寒さのなかでも失うことのない、永劫続くかと思われるほどの奥深い色彩を授かったこの葉の色を、いにしえの人々はいつしか 「千歳緑(ちとせみどり)」 と呼ぶようになり、神聖でおめでたい象徴とみなすようになったのだそうです。
だから、建物と赤松はとても近しい関係にあって、これが建物だけでは堅物みたくどうにもカチカチしていけませんし、松一本だけポツンと立っていても何だか寂しそうで、双方が寄り合って足りないところを補いながらバランスを保ってはじめて、こころ安らぐ住まいが出来上がる。 どちらか一方が欠けても、決して様にならない。
もしかしたら先人たちは、息の長い松の木のように、建物も 長く大切に使い続けてほしい との願いを重ねたのかもしれないな。 などと、この頃ふと思うのです。

猫の額のように限られた敷地のなかで、建物と樹木とのバランスを保つためには、定期的に植木職人さんの手で鋏を入れてもらったり、少々面倒でも手作業で松葉をまびいてもらったりして、人が身なりを整えるのとおんなじように美しい樹形を維持してあげなければなりません。
このような慣習を 「非効率的な行為」 とか 「無駄」 などと言って、経済学者のように見境なく切り捨ててしまう傾向が、近年とみに顕著であるとしたら、たぶん、それは自分の生まれ育った 「土地の文化」 を失ってしまっているというあかし。 何かが荒んでしまっている あらわれ であるようにも感じてしまいます。

けれども、師走の声が聞かれる頃にはきっと、この家の松の木には鋏が入れられていることでしょう。 いつものように。
そして時には酔狂に、いつも捨てていた松葉を今回は幾らかでも取っておいて、この間少し本で読んだ、茶庭などで時折りみられるという 「敷松葉(※霜から地面の苔を保護したり、景色として楽しむために大木の根元などに冬場に松葉を敷く行為)」 を、赤松の根元のささやかな苔の上に重ね、毎朝静かに水が打たれているかもしれません。 鮮やかな 千歳緑 のじゅうたんの上に。

千歳緑(ちとせみどり)