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アトリエかわしろ一級建築士事務所

Author:アトリエかわしろ一級建築士事務所
「がま口から建築物まで」
日々の生活につながっている モノづくり・住まいづくりのためのデザイン事務所です。

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08月16日(土)

旧明倫小学校の机と椅子

学校の机と椅子が、素朴な木製のものから、スチールのフレームに合板を張りつけた工業製品へと足早に移行する時代のさなか、当時小学生だった僕が接した古い木造校舎のなかに並ぶ、何十年と使い続けられたであろう木の机と椅子の姿を、不思議なことに今でもはっきりと思い出すことができます。
授業のことは、はなから聞いていなかったこともあって、てんで記憶にありませんが、それでも机は手のひらが、椅子はおしりが、ちゃんと憶えているものなのです。

それなのに、どうして人の身体に一番近しい家具であるはずの机や椅子を、冷たいカチカチの工業製品にすり替えてしまったのかというと、もともと家具らしい家具を所有しなかった日本人の暮らしのなかに突如入りこんできた異国の文化を、十分に咀嚼しないまま模倣してしまったから。 案の定、家具そのものの質が悪いこともあって、しばらくするとガタがきてしまいます。
西洋では身近な生活道具として、代々大切に使うことが当たり前の机や椅子を、日本人は軽んじる傾向にあったのではないかと思うのです。 実際、僕の記憶のなかにある机も椅子も確かにつくりが甘く、なかにはグラグラするようなものも平気でありましたから。
そこで、粗悪な製品をつくらせないために国が工業規格(※ JISのことです)を定めて、頑丈で均質な工業製品であるスチールと合板への切り替えを促進させてしまったのでしょう。
たぶん、均質で無難な工業製品の登場を歓迎したのは、肝心の使い手である子どもたちではなく、管理する立場にある学校関係者であったに違いありません。 トラブルやクレームの発生しない生徒や備品を 良し と考える教育者たちが、手のひらやおしりから学ぶことの大切さに気付くはずもないのですから…。

数え切れないくらい多くの、手のひらとおしりで磨き上げられた木製の机も椅子も、今では出会う機会すら稀で、どれもこれもガタガタの代物になってしまって。 と、悲しい気持ちになったとしたら、そんなあなたに、僕は 旧明倫小学校(現在の京都芸術センター) に足を運ぶことをすすめてみたいのです。
今では、若きアーティストたちの制作室や作品発表の場に転用された、いにしえの学び舎のなかにたった一つだけ 教室のままの姿 で残された21世紀の異空間は、博物館のように冷凍保存された冷たい場所ではなくて、制作者でも一般市民でもふらりと立ち寄って、縦横に並んだちいさな席にちょこんと腰下ろし、静かな時間を過ごすことが許される、どこか遠くて近い場所。

旧明倫小学校の教室

この ひみつの教室 に置かれた机や椅子たちは、どれもそれなりに使い込まれた古い家具のはずなのに、部材同士の接合部にゆるみひとつないどころか、目立った傷すらもみあたりません。
ふと手にとったちいさな椅子は、小学校高学年くらいのサイズにしては大人の手にもずしりと重い。 よくみると、ナラあるいはカシでしょうか。 広葉樹の木目は成長の早い、ゆったりとした年輪幅で、そんな、家具にしては重く硬い材料でがっしりと組み上げた部材同士は、少々乱暴に扱ったところでガタがくるような、そんなヤワなつくりではない。 僕の記憶のなかの家具とはぜんぜん違う。
軽さを犠牲にしても丈夫にしたい。 硬い木は加工も難儀なはずなのに、 長く使っても壊れない家具をつくりたい という、職人さんたちの真摯な気持ちがひしひしと伝わってくるのです。

旧明倫小学校の机と椅子

厚さが3cmもある、二枚に分かれた机の手前側の天板を持ち上げると、そこは教科書などがしまっておけるささやかな収納スペースで、分厚い無垢板の重みは子どもの手には余るくらいのずっしりとしたものですが、この重みが、彼らの何十倍もの時間を生き抜いてきた一本の木の命から届けられたものであることを、理屈ではなく、手のひらで教わるに十分で、いくらやんちゃの盛りでも、乱暴働くことなど、とてもとても想像できません。
比重が高く硬い木材だから、おしりの触れる座板の一枚一枚は微妙に角度が変えられて、少なくともこの椅子は、そこに座る人のことをきちんと考えてつくられています。
もちろん、そのような例は過去にもいくつか拝見したことがありますが、背中を支える一枚の板材が、これまでみてきたどの椅子もおしなべて真っ直ぐだったものが、この椅子に限ってゆるやかなカーブを描いていて、厚さ2cmほどのささやかな木目に目をやると、これが曲げ物などではなく、分厚い部材を削り出したのだということが否応なく伝わってきて、こんなこと誰も気にせず使っていたのだろうな と驚く僕に 「私はただ、この椅子に腰掛ける子どもたちの背中を、そっと支えていたいのです」 という、寡黙な職人さんの声が、どこかで聞こえたような気がするのでした。
 
08月01日(金)

BILLABONG のウォークショーツ

片道切符を握り締めて単身オーストラリアに渡ったのは25歳の時、1993年から94年の一年余りをこの国の人たちと一緒に暮らしておりました。

当時僕が住んでいたのは郊外の住宅地で、日本人どころかアジア人すらいないような、観光とはさっぱり無縁の、慎ましい庶民の営みの中にありました。 そこは広大なオーストラリア大陸の西海岸では唯一の都市・ パース(PERTH) から二十数キロ、といったところでしょうか。
週に3・4回パースに通っていた僕は、懐がさみしいこともあり、日本ではとても売り物にならない と思われる中古のマウンテンバイクを購入し、往復四十数キロの自転車生活を始めました。 そんな暮らしのなかでこの国には、 モノ はちゃんと動く限り最後までとことん使われ続ける という、当たり前の生活感覚があるのだと感じたわけです。
モノを大切に使い続ける とはすなわち 「大量に消費しない」 という意味ですから、衣類をはじめとする日用品のショップも日本ほど多くはなく、海外の高級ブランドも日々の生活には縁遠いとみえて、ブランド好きの方には少々物足らないかもしれないけれど、それ故に海外からの粗悪で無意味な製品の流入も少なく、 自国の製品(AUSTRALIA MADE) を好む傾向にあったといえます。

明るくさっぱりとした国民性もあるのでしょうが、若者のファッションも凝りに凝った日本人のそれとは違い、しっかりと着古されたサーフ・ブランドのTシャツにスニーカー。 それに学生であれば、中身は教科書がずっしり入っているのか、同じくサーフ・ブランドの角ばったナイロン製のバックパックを背負う といった気負いのないいでたちで、それほど多くはない目抜き通りのなかでもとりわけ サーフ・ブランド系 のショップなどはなかなかの賑わいをみせていました(逆にリーバイスのような アメリカもの のカジュアルウェアは、結構高価で手が届かない存在だったようです)。
したがって、サーフィンなど縁遠い僕のような人間も、割合い自然とそのようなショップに足を運ぶことができたのです。
特に、いつもハードに自転車を使っていた僕が大変重宝したのが、 BILLABONG(ビラボン) というサーフ・ブランドの ウォークショーツ でした。

BILLABONGのウォークショーツ

BILLABONGのウォークショーツ

このショーツは、 サーフィン用 とは異なる 街なか用 で、ややタイトなシルエットが体にフィットして、よれよれの自転車にも実によく似合いました。
素材には、冬物の厚ぼったいイメージの強い コーデュロイ を採用しているところなんて以外な印象ではありますが、ひとたびこのブランドの手にかかると相当に格好よく仕上がり、自転車のサドルにはこのくらいの厚みのある方がかえって快適であったのが思いがけず、嬉しい発見でした。

お金も肩書きもないけれど、 そのかわり といってはなんですが、カラリとした空気と溢れんばかりの光だけは存分に享受して、僕は毎日のように自転車を駆り、気の向くところ、どこでも自在に動くことができたのです。
なぜならこの国(といっても西オーストラリア州パース近郊しか知りませんが)は、徹底されて 自転車専用の道路 が整備されていて、自動車の通る一般道からは完全に独立しているものですから、 川沿いの眺めのよい丘や、それから閑静な住宅地のなかを縫うようにして広々とした芝生の公園に辿り着いたり、そこここにある静かな木陰のベンチでしばし佇んだり、遠くペリカンを眺めたり(野生のペリカンも普通に暮らしていました)といった具合で…。
そのような生活のなかで何の偽りもなく、ごく自然にキラキラした 光の感じ を見い出して、いつしか僕は風景を描くようになったのでした。