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アトリエかわしろ一級建築士事務所

Author:アトリエかわしろ一級建築士事務所
「がま口から建築物まで」
日々の生活につながっている モノづくり・住まいづくりのためのデザイン事務所です。

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04月16日(水)

溜まり水

京都市左京区の白川通り界隈は、文化ゾーンというほど大層ではないけれど、ぽつぽつと独自の文化を発信する隠れたスポットがまばらに散在していて、どこか雲でも掴むような、もやもやっとした不可思議なネットワークが形成されているらしいのです。
機能性や経済性等のスペックに加えて周りのムード、そして、何よりも 「便利」 や 「お徳」 といったキーワードが尊ばれるこの国で、それらとは隔絶された 杉本博司 の構想による企画展がここ京都で実現し、しかも、会場があの 白川通り界隈 ということであれば、千載一遇のチャンスとばかりに、すぐさま出掛けるほかありません。

現代美術家として、欧米で高い評価を受ける杉本博司は、その芸術家らしからぬ物腰と古美術商を通して培ったであろう確かな審美眼でもって、ひと際精神性の高い作品を生み出しているように思われます。
杉本はもともと、アメリカを拠点に 写真 という媒体を通して自らの世界観を表現していました。 その後、日本にも拠点を置くようになってからは、空間そのものを創作の対象としたり、また、近年では 近松門左衛門 作の 「曽根崎心中」 を題材とした人形浄瑠璃において構成、演出、美術、映像までを手がけ、ヨーロッパ公演を実現し、その後の凱旋公演でも好評を得る等、 幅広く という言葉では片付けられないくらいに深みのある活動を展開しています。
そのようななかで、芸術家とはある意味対極に位置する、何代にもわたって技術を継承し伝統を受け継ぐ 現代の京の職人たちとの共作 という企画展の内容。 しかも、 「メダカの学校」 という幾分茶目っ気を含んだ副題ですから、ますます興味は尽きません。
そもそも、伝統工芸の技術を現代のモノづくりに応用する試みは、さまざまなデザイナーたちとの協働によって、これまでも幾度となく繰り返されてきましたが、結局 「伝統」 の範疇から抜け出すことなく、中途半端な結果に終始していたように思われます。 だからこそ、今回の杉本による企画展の意味は重要なのです。

京都造形芸術大学の、割合い見晴らしのよい階段を上りきった最寄の校舎より分け入る エントランスラウンジ と呼ばれるエリアの一角が、企画展 「杉本博司+京職人:メダカの学校」 の会場です。 ただし、エントランスラウンジというだけあって、学生がひっきりなしに行き来する、学内でも目抜きの場所なものですから、あたりはなんだか始終ざわざわしていて、美術館や博物館のような静かな場所とはいささかかけ離れてはおります。
けれども、5ヶ月間の企画展のために用意された、白い壁でなかば囲われつつ、なかば開かれた入り口の向こう側だけは、不思議と静謐さに包まれているのでした。

杉本博司+京職人:メダカの学校

ほの暗い空間には二点の彫刻作品が、およそ周囲の闇に埋もれつつ、凛としたたたずまいで据えられています。
ほとんど正座しているかと見紛うくらいに一本筋の通った物腰の作品たちは、ひとつは茶筒を、もうひとつはケメックス(CHEMEX)のコーヒーメーカーを、4~5倍くらい縦に引き伸ばしたような形状で、異様に間延びした作品たちを、均衡を崩してしまいそうな一歩手前で危うくも踏みとどまらせているのは、その道一筋の職人技が、みえないところで支えているからだと悟るのです。
これをアーティストがやってしまうと、変に力んだり、なんだか不健康な感じになったりして、すべてが台無しになりかねないけれど、達人の完璧な仕事は技をひけらかさず内に籠めるため、いざカタチとなって現れると、限りなく静かな姿がかえって目に心地よい。 この、一見すると何てことないような仕事に職人の技量、その人の人生観が問われるのですから、ある意味 「依頼するアーティスト側の人生観すら問われるデザイン」 と解釈してみても宜しいかもしれません。

彫刻の内部、遥か頭上にはそれぞれ(異なる仕様の)水槽が隠されていて、水槽の下に仕込まれたLEDランプによって、 目にはみえない水の姿を映し出す という手法が用いられているようです。 つまり、直接水をみせるのではなく、光を通して間接的に表現することで、みる人の想像力を引き出そうとしていると…。
しゃきっとした(けれども決して出しゃばらない)彫刻に対して、ぼんやりとして捉えどころのない光。 カタチがあるようでない。 それは、まさに 水そのもの ではないでしょうか。
作品の展示において、稀に自然光を取入れる例はありますが、制御が難しく、作品へのダメージといったデメリットも加わって、普通は安定した演出が可能な人工照明を選択します。 それでも、ここでは自然光どころか、あえて演出のための照明も一切用いず、うす暗がりに作品を設置するのを 良し としたわけです。
実際、人工照明といえば作品内に格納されたLED照明ふたつっきりで、かろうじて壁の切れ目から漏れ入るエントランスからの明かりが届くのみ。 あとは基本的に闇が支配していますから、隅から隅まで均一に明るい環境に慣れ親しんだ人たちにとって、最初は受け入れがたいものかもしれません。 それでも、しばしの間身をゆだねれば、それまで過ごしてきた便利でお得なだけの環境が、さして意味のない、薄っぺらな空間にすぎなかったことに気づくでしょう。
作品の背後には、長さ12mの麻布(一枚布です)を藍で染めた幔幕が張られてあります。 薄く粗い布地の背後にも闇がたち込め、幾重にも層を成すことで、どれ程発達したライティングの技術でも到底表現し得ない、深い深い奥行きがつくり出されてゆくのです。

霞たなびく、ぼんやりとした幔幕を背景に、うす暗がりのなか、しゃきっとした彫刻が控えめに投影する水の表情がまたぼんやりと宙に浮かんで、この陰翳の美しさがあってこそ、幻のような 溜まり水 を、いつまでも眺めていたいと願うのかもしれません。
 
04月01日(火)

マーニ・アルチューロ

かつて二輪のGPレース界で、1950~60年代にかけて無敵の強さを誇った、イタリアの名門チームに在籍していた一人の敏腕メカニックが、その後自ら手がけた子供のようなオートバイたちの修理のかたわら、お世辞にも工場とも呼べないようなちいさな工房で、一台一台こつこつと手づくりで組み上げた孫のようなマシンに、彼は自らの名 「マーニ・アルチューロ(MAGNI Arturo)」 を与えました。 1989年、マーニ 64歳の頃のことです。

マーニ・アルチューロ

はじめて マーニ・アルチューロ に出会った時、近寄りがたいオーラのようなものを感じました。 そんなイタリア生まれの只者ではないマシンに対し、なぜか僕は 侍(さむらい) のような印象を受けたのです。

僕のみたところ、二輪車の開発にデザイナーが加わると、本質とはちょっと違う、どうも何か余計なことをしてしまっているような気がするのです。 つまり、本物の優れたマシンは、いつも技術者(メカニック)の手によって生み出されているのではないかと。 だから、生粋のメカニックであるマーニのつくり出すマシンは、必ずフレームに対して、あらん限りの知識と経験と情熱をそそぐ。 よくみると、彼のフレームはどれも、市販車では考えられないような図太い特殊合金製のパイプをがっちりと溶接して組み上げています。

市販車にありがちな しなやかさ とは無縁の高剛性のフレームは、エンジンの振動も含めて何もかもが、過たず乗り手に伝わってきます。 路面の微妙な凹凸も、全ての情報がうやむやにされることなく伝わってこなければならないのだ という、ゆるぎない強い意志を感じるのです。
メカニックは、自ら手がけるマシンに対して嘘はつかないのではないでしょうか。 だから、心血そそいだフレームに取り付けられる、ありとあらゆるパーツは個性にあふれているけれど、マーニの手にかかると一転して、めいめいが素直な顔して馴染んでいるように僕の目には映ってしまいます。

真剣勝負のレースの世界で磨き上げられたであろう、往年のGPレーサーの血統を受け継ぐカウルの微妙なラインは紛れもなく美しいものですが、決してそれは、デザイナーが机上で紙の上に描いたものではないはずです。 職人のごつごつした手から生み出されたラインは、コンピュータの描いたそれとは明らかに異なっていて、その繊細なラインを注意深く辿ってゆくと、遥か ミケランジェロ(Michelangelo Buonarroti) にまで到達するのではないか。 そんなふうに思わずにはいられないのです。

マーニ・アルチューロ

異国のオートバイに対して 侍 のような印象を受けた理由は、剣術の達人が体得している 「姿勢のよさ」 に通じる何か(たぶん研ぎ澄まされた精神)を、知らず知らずのうちにも見出していたからなのではないでしょうか。
無駄な動きのない、達人の腰の据わった体さばきは、結局のところ骨格につながっていて、そこにすべての基本が集約されていると考えてみれば、軽ければ軽いほどよいのだという、昨今の二輪業界の方程式など見向きもせず、軽さを犠牲にしてまでもマーニが譲ることのできなかったフレームの剛性は、常に危険と背中合わせのライダーの最後の頼みに違いないのですから、一見静かで美しい佇まいに、どこか侍にも似た凛とした 姿勢 を感じたのだと…。

マーニ・アルチューロ