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アトリエかわしろ一級建築士事務所

Author:アトリエかわしろ一級建築士事務所
「がま口から建築物まで」
日々の生活につながっている モノづくり・住まいづくりのためのデザイン事務所です。

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03月16日(日)

オズの魔法使い

「 オズの魔法使い(The Wizard of Oz) を、子どもの頃読んだことがなかった」 というと、どなたも驚かれるかもしれません。
それよりも、この有名な児童文学作品を 大人になって(真面目に)読みました などと告白すると、輪を掛けて驚かれるかも知れませんが、僕はむしろ 運が良かった と、つくづく自身の無知さ加減に感謝しているくらいです。
なぜならば、僕がはじめて出会った作品が 絵本 で、その挿絵を リスベート・ツヴェルガー(Lisbeth Zwerger) が描いているということ。 この絵本が出版されたのが1996年、つまり僕が大人になってからだったのですから。

The Wizard of Oz
「The Wizard of Oz」
L.Frank Baum 著  Lisbeth Zwerger 絵 (NORTH-SOUTH BOOKS)


この物語の原作は意外に古く、1900年に ライマン・フランク・ボーム(L.Frank Baum) によって世に出されたそうです。
いつまでも色あせることのないライマン・フランク・ボームの文章は、原文(英語)で読むかぎり、とてもやさしく、丁寧で物静かなのに、心通いあう 何か が伝わってくる。 子どもたちだけでなく、大人たちにも向けて綴られた 「本当のおとぎ話」 と評してみても差し支えないかもしれません。

唐突なようですが、リスベート・ツヴェルガーの絵には 音 がありません。 絵に音がないのは 至極当然 と、どなたも思われるかもしれません。 それでも、普通の絵本にはちゃんと音(らしきもの)が少なからずあります。
余りにも有名な MGMの映画(※1939年に制作された ジュディ・ガーランド の主演によるファンタジー・ミュージカル) では、ミュージカルに仕立ててあることもあって、映像だけでなく、音楽が重要な役目を果たしていることはご周知の通りですが、同じ原作でも、それを受け取るアーティストの解釈によって、出来上がりが全く違ってしまうものだったりします。

MGMの 「動」 に対して、リスベート・ツヴェルガーの 「静」 。

限りなく静謐な彼女の絵は、どのページをみても、文字(原作)の世界へと出かけていった画家が、そこで写し取った 偽りのない風景画 のように思えて仕方がありません。 そして、多分そこには 音 がなかった。

物語に登場する 案山子(かかし) や ブリキ男 には、人間に似せて誇張されたような表情がこれっぽっちも描かれていないにもかかわらず、何かがしっかりとこちら側に伝わってくるような気がします。 彼らには脳も心もないはずなのに、そこにはちゃんと 気持ち が存在している。 ライオンなどの動物たちも又しかりです。 これは、一見無表情とも思えるなかに彼らの 気持ち がしっかりと表現されているからに違いありません。
「オズの魔法使い」 は出版物に限らず映像作品や舞台など、数え切れないくらい発表されていますが、そこまで繊細な表現を成し得た作家が一体これまでに幾人いたでしょうか。

96年の長い長い時を経て、かつてない程に自然な出会いを果たした(稀有な)二人の作家による 文章 と 絵 は、やはり二人が望んだであろう、美術書のような優れた品質の絵本となって、僕のような不幸な子ども時代を送ったに違いない大人たちにも、そしてもちろん、数え切れないくらい多くの子どもたちの心にも確かに届いているのだ。 と、声高でなく物静かに語ってみたいのです。
 
03月01日(土)

見せないためのデザイン

大量生産を前提とした産業デザインが花開いた1950年代前後。 世間では ミッド・センチュリー(Mid Century) などと呼ばれ、当時の若く才能にあふれるデザイナーたちが手がけた家具や照明器具などの暮らしに身近なモノたちは、どこか一途な純粋さを持ち合わせていることもあってか、いまだに輝きを失うことなく、キラキラとまぶしい存在であり続ける製品も少なくありません。
それでも世界は広いので、なかには一種のムードで所有欲をくすぐる魅力的なプロダクトを矢継ぎ早に発表する、そんな天才肌のデザイナーもいるにはいるのでしょうが、生活に身近な製品であればなおのこと、何十年という時間の試練に耐え切れず、次第に輝きを失ってゆく運命にあるともいえるでしょう。 そのようなデザイナーはきっと、自分の目の前のモノしか見えていないはず。
一方で、決して天才とはいえないかもしれないけれど、市井の暮らしを見失うことのない真っ当な考えを持ったデザイナーが、苦しんで苦しんで生み出した製品は、たとえそれが影のように目立たない存在であったとしても、目には見えない輝きを放つこともあるのだと信じてみたいのです。

建築家でもあり、あらゆるプロダクト・デザインにも精通したアルネ・ヤコブセン(Arne Jacobsen)が、1956年から4年間を費やして、建物からインテリア、カトラリーにいたるまでの一切を手がけた、コペンハーゲンにあるSASロイヤルホテル(現ラディソンブルーロイヤルホテル) のためのフロアランプは、後に 「AJ フロアランプ」 として製品化され、半世紀以上を経た今日まで生産され続けておりますが、これ程までに気配を消しながら、完璧にデザインされた照明器具を僕は他に知りません。
気配を消す とはすなわち、周囲にあるモノたち、つまりフロアランプであれば、そばに椅子やテーブルがあり、もちろん人もいて、そこに明りを届けるという大切な目的があるのですから、必要なのは自己主張するカタチなどではなく、美しい、洗練された 光 なのだということ。 そのために何をすべきなのかを、ヤコブセンという人は、きっと他の誰よりも分かっていたのでしょう。
このような、自己を主張しない、協調性を大切にする 「和」 の考え方は、本来日本人の得意とするところのはずですが、ある意味で日本人以上に、純粋に日本の文化を家具デザインに応用した人物として、やはり、シャルロット・ペリアン(Charlotte Perriand)の存在抜きには語れないような気がするのです。


柳宗理といった、日本を代表するデザイナーたちに多大な影響を与えたペリアンが、戦前についで2度目に日本を訪れたのは1950年代のこと。 1953年からの2年あまりを東京の伝統的な日本家屋で過ごしながら、自身と愛する家族のために椅子やテーブルなどの家具をデザインし、実際に日々の生活のなかで使っています。 それらはどれも畳や縁側が似合う、日本の暮らしに寄り添ったもので、高さを抑えた、簡素で控えめな、しかもきわめて洗練された姿をしていました。
これらの家具たちは、1955年に東京での展覧会で広く発表の機会を得ますが、そのなかに、展覧会のためにデザインされた 「オンブル(Ombre:フランス語で 影 といった意味)」 という椅子があります。

オンブル(影)

オンブル(※ ペリアン・チェア という名でも親しまれています)は、工場での量産を前提に考案された食堂用の小椅子で、一枚の合板を折り曲げてつくり上げた、単純ですが、これが何とも美しい出来で、どうやら日本の伝統芸能である人形芝居の 文楽(ぶんらく) から発想されたらしいのです。 といっても、ペリアンの非凡な感性は人形の姿ではなく、背後から黒い着物姿で人形を操る 人形遣い の影のような存在に着目して、それを家具デザインにいかしたところにあります。
ほとんど影かと見紛うほどに、黒く染められた成形合板の椅子は実際かなりコンパクトで、西欧のダイニングチェアであれば座面の高さが45cm前後はあるところを、靴を脱いだ、床に近い暮らしを好む日本人のために40cmにまで抑えられ、背の高さはあえてテーブルの高さにも届かないように、背板は一まわりも二まわりも小ぶりな形状になっています。 しかし、背板の中央にはスリットが入れられて見た目も軽やかに、弾力性を生み出して触れる腰にも心地よい小椅子は、座る人にすっぽりと隠れてしまって、その存在をあからさまには知らしめようとはしない。 それでも、分かる人はちゃんとその存在に気付いているはずです。 ちょうど文楽の人形遣いが、人形の姿をいきいきと引き立てるように。

1955年の展覧会でペリアンは、行儀よく気配を消して並べられたオンブルに、分厚い無垢の木製天板と、同じくどっしりとした無垢材の脚で支えた 一点モノ のダイニングテーブルを組み合わせました。
普通であれば、椅子と同じように成形合板の軽快なテーブルであっさり・すっきりまとめそうなところを、量産品だからこそ、手づくりと組み合わせてはじめて、双方の魅力が引き立つのだということを、ひたすら効率最優先で突き進む、いにしえの文化を軽んじる傾向にあった当時の日本人に、誰よりも日本のよさを知っていたペリアンはそう教えてくれていたのかな と、僕は解釈しています。
当時の展示写真をみる限り、ふっくらと大らかな無垢板のダイニングテーブルは、仮に左程広くはない空間に置かれていたとしても、昔の箱膳、あるいは座布団のように、必要に応じて取り出したり、重ねて収納したりと融通の利く、そんなオンブルのような小椅子があれば、日本らしい簡素で洗練された椅子座の暮らしも可能だったのではないかと…。
ひとたびペリアンの手にかかると、合理性を追求しているはずの成形合板の椅子ですら、どこかしら 人間らしさ が感じられるから不思議なものです。


緯度が高いために、明るい夏とは裏腹に、極端に日差しが乏しく、暗く長い冬を過ごさなければならない北欧では、厳しい自然を受け入れながらも、いかにしてこころ豊かな生活を営むかが何より大切。
デンマークという国から生まれる家具や照明器具がとりわけ優れているのは、そのような地理的背景からも何となく理解できます。 加えて、ミッド・センチュリーの時代にアメリカを経由して北欧に伝わった、日本の伝統文化とモダン・デザインの共通点に着目した、かの国の建築家やデザイナーたちへの影響のほども興味深いところですが、果たしてAJ ランプを手がけたヤコブセン自身はどうだったのでしょうか。

AJ フロアランプ

AJ フロアランプは、鋼板や鋳鉄といったありふれた工業製品のみでつくられています。
たとえば、軽量で加工性にも優れるアルミニウムやプラスティックなどと比べると、鉄材は硬く融通が利かない素材といえますが、逆に堅固で飽きのこない、普遍性の高い素材であるともいえます。 ヤコブセンは特殊な職人技に頼るのではなく、あくまでも工場で量産できる製品として、それに適した機能と構造を突き詰めてカタチにしたのだろうと思うのです。 それが結果として 「見せないためのデザイン」 になったのだと。

かっちりとした鋼板製のシェードは、単純な円筒形の組み合わせで光源を見せない機能を併せ持つよう、相当に時間をかけて練られたに違いありません。
そっけないくらいにすっきりとしたカタチは 「デザインは加えるほど醜くなる」 というヤコブセンの口癖の通り、余計な機能は排除されて、本当に必要な機能のみが何事もなかったかのようにまとめられていますが、なぜこのようなカタチになったのかは、夜に明かりを灯してみると理屈抜きに分かります。 いくら小手先で器用にデザインしたとしても、照明器具は明かりを灯せば、椅子は座ってみれば、うわべだけのメッキはすぐに剥がれてしまうものなのです。
鋳鉄製のベースは、この華奢な器具を支えるために必要な、ぎりぎりの重量と形状を保っていて、ずっしりとした鋳鉄ならではの比重の高さが、どれ程全体の気配を抑える役目を担っていることでしょう。
信じられないくらいにか細い支柱は、シェードとベースをつなぐ唯一の構造材であるばかりでなく、光源まで電流を届けるコードも内蔵されています。 この鋼製のありふれたパイプの太さはたったの1cmしかなく、ちょっとシェードに触れただけでもグラグラ揺れるほどに心もとない代物で、日本のメーカーでは到底許されないであろうこの 華奢姿 は、実は適度に支柱が しなる ことで、ちょっとした衝撃を吸収するという、超高層建築にも似た解釈に基づいているはず。 もし、超高層ビルがガチガチに固められていたとすると、細長い形状では地震や強風の揺れに耐え切れず、ぽきりと折れてしまうでしょうが、竹のようなしなやかさがあれば、意外に壊れなかったりする というわけです。

このフロアランプを日常的に使ってみると、ちょっとした掃除のために移動する時など、華奢な支柱のやや下あたりを片手でひょいと持ち上げてみると、意外なくらいにバランスがよく扱いやすいことに驚かされます。
構成しているパーツがわずか3つしかなく、負荷の少ない上部に単純な可動部があるだけ という仕様ですから、そもそもが壊れようのないデザインになっています。 しかも、完成された隙のないバランス。 必要なところに美しい光を届け、自らは気配を抑え、その姿をあからさまにしないからこそ、周囲の家具や使う人を引き立てる。
なぜこの製品が途絶えることなく生産され続けているのか、何となく分かるような気がしませんか。

シャルロット・ペリアンは、パリの古いアパートメントの最上階にあるちいさなペントハウスを自らの設計で改修し、終の住処としました。 ペリアン邸のささやかなダイニングには、彼女が1955年の展覧会で提案したような、木製の大らかなテーブルに黒いオンブルがちょこんと並んでいたそうです。
庭いじりを何より好み、観葉植物に囲まれて過ごしたコペンハーゲンのアルネ・ヤコブセンの住まいにも、やはりひっそりと目立たないように、あの黒いフロアランプが置かれていたのでしょうか。

AJ フロアランプ