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アトリエかわしろ一級建築士事務所

Author:アトリエかわしろ一級建築士事務所
「がま口から建築物まで」
日々の生活につながっている モノづくり・住まいづくりのためのデザイン事務所です。

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06月16日(日)

よるくま

目を閉じていても、みえていることが稀にあります。
なぜ 目を閉じているのにみえる のかというと、たぶん、目でみた もの や こと が、こころの奥の深いところにあやまたず届いているからなのだろうと、僕は考えています。 そして、時にそれはまぶたの裏にぴしゃりと焼きつくことなく、生きて動いているような気がするのですが、不思議なことに僕の場合、対象が現実の出来事でも、映画でもなく、どうやら絵本の場合に限って起こり得るらしいのです。
絵本という、紙に印刷された、絵と物語で出来上がった単純この上ない媒体は、単純だからこそ、この手で触れページをめくることで、いつしか読み人をどこか違う世界へといざなってくれる。 そんな可能性を秘めているのかもしれません。

よるくま
「よるくま」 酒井駒子 作 
(偕成社)

「よるくま」 という絵本は、最初のページ、絵はぴたり静止しています。 どこにでもある、普通の絵本みたいに。
それがある日の晩、 よるくま(※クマの子です) が男の子の家を訪ねてきて、ふたりが出会うあたりから、なんとなく絵本のなかのふたりが動き始める。 どうやら よるくま が、いなくなったおかあさんを捜しにきたらしいのですね。 目が覚めたら、おかあさんがいなかったと。
どこにでもありそうで、実際は存在しないであろう、かりそめの街や公園を、ちっぽけなふたりが手をつないで、おかあさんを捜し歩くシーンは、ちっとも面白くも、また可笑しいわけでもなく、むしろ、ほんのりと淋しく悲しい。 どこか宮沢賢治の童話にも通じる静かな旋律のなか、紙の上に描かれたふたりは確かに生きてそこにいて、しっかり手と手をつないで歩いている。

どうにもくじけそうになった頃、場面がぐるりんと展開して、ふたりはおかあさんのそばに引き寄せられます。 そう、 よるくまのおかあさん です。
おおきなおおきな よるくまのおかあさん は、確かにクマのはず。 そして男の子はやっぱり人間で、 よるくま はもちろんクマの子。 それなのに、もう、男の子も よるくま も、 よるくまのおかあさん も 「人と動物」 といった境界を、ぴょんと飛び越えてしまって…。 どこか懐かしい、でもちょっぴり淋しい、ほくほくするようなこの気持ちは何なのでしょう。
もしかするとそれは、作者のこころの奥深くに大切にしまってあった タカラモノ(幼少時の甘酸っぱい想い出) を、そっと取り出して僕たちにみせてくれたのでしょうか。 それが、ほんのり甘い果実のように、絵本としてカタチになったのでしょうか。

それでも、確かに動いていたはずの絵本が、元どおり、ぴたり静止してしまっていることに、あなたはふと気づくことでしょう。
いつのまにか よるくま がいなくなって、男の子だけになり。 とうとう、おしまいのページで、魔法がとけて元の現実世界に戻ってしまうのでした。 あの 「銀河鉄道の夜」 のジョバンニのように、いつかは僕たちも帰らなければならなかったのです。
 
06月01日(土)

李朝の家具

アトリエから歩いて15分くらいのところに、朝鮮半島の古代から近代までの文物を展示・収集する 高麗美術館 があります。 前々から写真では見知っていた李朝期の家具を、いつかはこの目でみたいものだと思っていた矢先、折りしも、身近な生活品である陶磁器と木工家具に焦点を当てた企画展が開かれていることを知り、訪ねてみたのです。
はじめて足を踏み入れる静かな館内には、美術的な価値の高い手の込んだ装飾をまとったモノも、もちろん見受けられましたが、何よりも感心したのは、形式にとらわれない、のびのびとした個性がそこかしこにあふれていて、美術工芸品の展示にありがちな堅苦しさが微塵も感じられないことでした。

工芸品などどあらたまるまでもなく、日々の暮らしの道具は、つくり続けるうちに、次第に 型 のようなものが自然と定まってきて、それが理にかなった 使いよいカタチ だったりするものなのだろうと、これまでは何となく考えていました。 日本の伝統工芸の世界は、この 型 に重きを置くことで、技量や質を極限にまで高めていった好例なのですから。
ところが、目の前にある朝鮮の家具たちときたら、ざっくりとした約束事はあったとしても、それぞれが結構違った解釈で、気負いなく、つくる人も、使う人も、ぴったりしっくり馴染むようなモノづくりをしているらしいのです(朝鮮の古い家具は、どれもオーダーメイドでした)。 それらは、日本の精緻な家具に比べると、確かに技量において必ずしも高くはないのかもしれませんが、それが左程重要ではないようにすら思える。 そのような基準では推し量ることのできない、ある種の 美しさ を宿しているように思えるのです。
そんな個性のなかで、展示品というよりは、むしろ備品といったたたずまいの、そっけない、装飾のソの字もかけらもない目立たない家具が、美術館ではもはやお馴染みの図録を並べた台がわりに、さり気なくぽつんと置かれてあることに気づきました。 そこからは紛れもなく、たぐい稀な審美眼をもって生まれた家具職人が、あったかいこころでつくり、しかも、質素倹約を美徳とする、かの国の使い手によって慈しみ愛されたモノたちにのみ許される、静かな輝きを発していたのでした。

李朝の家具

この家具の前に立っていると、まわりの来館者には甚だ迷惑かもしれないけれど、ついぺたんと床に座りたくなってしまいます。 ほかのどんな家具たちよりも低い背丈は、日本と朝鮮に共通する 床に近しい暮らしの証し なのですから、やはり、こうするのが正しい接し方なのです。
それで、臆せず実際そうしてみると、すっと横に伸びた一枚の天板が、目の高さにぴったり揃っていることに気づきます。 その板の端っこのラインをみると、誰もがはっとするはずです。 知らず知らず失ってしまった大切な 何か が、そこにはあったのだと…。
そのラインは、全体的にシャープさに欠ける、ちょっとぼやけた感じの、日本人にも、イタリア人にも出せない ゆるーい美しさ が込められている。 それは即座に成し得たというよりも、長い長い時間のなかで使い続けるうちに、木の収縮や人の手の当たり具合とかでようよう到達したカタチに違いなく、どれ程卓越した技の匠も、これにはとても敵いっこないでしょう。

材料は、松か何かのやわらかい針葉樹が選ばれているようです(表面には拭き漆が施されています)。
普通、家具材としては硬い広葉樹でかっちりと組み上げるべきところを、かの国では、身近にある割合やわらかい木材でもって、適材適所、無理せず素直に使い切っているのです。 よくみると、あちらこちらにちょっと へこんだような表情 が現われていて、それは何かをぶつけてしまったというよりは、木そのものがそのようなカタチで生まれてきて、家具職人が 隠さずそのまま活かした といった風情を醸し出しているのです。
やわらかい材料の家具は、当たり前のように、李朝期の住まい特有の、あのやわらかい紙貼りの床や壁に違和感なく溶け込んで、脚元は床をキズつけない、やわらかなラインを描く。 厳しい寒さに欠かせないオンドル(温突)と呼ばれる床暖房からの熱を伝えないように、ちょっぴり持ち上がった家具のスタイルは、やはり、軽やかでまろやかな方がしっくり馴染んで都合がよい。 重くて硬い西洋の家具とは、そもそもスタートからして違うのです。

日本の住まいには、畳のサイズを基準にして共通するモデュール(module:システムを構成する要素といった意味)が存在します。 このモデュールを守ることで、一見すると不自由ななかに、あえて自由を見い出しているようなところがあります。 それが建物として昇華されても、西欧のように家具に移行することなく外部空間へ、つまり、庭へとつながっていったのだろうと思うのです。 建物はかっちりとソツなくまとめるけれど、逆に周囲に閉じないよう、ゆるーくつながることでバランスを保っているのです。
それに対し、大陸続きの朝鮮では、マル(抹楼:夏の時期のための板張りの居室)といった伝統的な半屋外空間に開くにとどめ、うちへとつながる空間が求められたのかもしれません。 そこにはやはり、ちょっとやわらかい家具調度がしっくり似合っていたのではないでしょうか。
共通するモデュールの存在しない曖昧な空間には、規格寸法のあてはまらない、その人とその空間のための家具が必要なはず。 だから、いにしえの家具職人たちは、その人とその空間のためだけに、実用性と機能性を満たした、簡潔で洗練されたカタチをつくり出そうとしたのではないかと想像するのです。 きっと、そこに必要なのは正確無比な技術よりも、どこか尊くなるような余韻を残すことだったはずです。
その余韻が失われることなく在り続けたから、今ここで李朝の家具に出会うことができたのかなと、恥ずかしさも忘れ展示室の床にぺたり座って、しみじみ想いをめぐらせてしまいます。