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アトリエかわしろ一級建築士事務所

Author:アトリエかわしろ一級建築士事務所
「がま口から建築物まで」
日々の生活につながっている モノづくり・住まいづくりのためのデザイン事務所です。

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04月16日(火)

無窓の席

千利休が手がけたことで知られる極小の茶室 「待庵」 は、驚くことに、ひろさはたったの二畳しかありません。
建築史家の藤森照信は、ある建築誌のインタビューのなかで 「極小へと利休が向かうのは、空間の本質を見たいという芸術的な欲求にほかならない」 と語っていました。 二畳という、あまりにもちいさな空間は、どうにも誤魔化しがきかない。 かといって、力を入れすぎても密度が高く疲れてしまう。
藤森のいう 芸術的な欲求 というのは、どうも 「ひらめき」 から生まれてくるものではないだろうかと、この頃しみじみ思うのです。 ひらめきとは、 偶然のなかの必然 のようなもので、作為がないだけにちっとも疲れない。 理詰めでないほうが、かえって気持ちよいくらいにすとんと腑に落ちることも、時にはあるのですから。

そんなふうに考えるようになったのは、一乗寺の 曼殊院(まんしゅいん) を訪ねてからのことです。
まだまだ農家も点在する、のんびりとした坂道を登った奥の、そのまた奥にある曼殊院は、かつて皇族が住職をつとめた門跡(もんぜき)寺院で、苔むすなかにそびえ建つ勅使門の先には、鈍く金箔の光る虎の襖絵にぐるり囲まれた大玄関があって、長い渡り廊下の先には、水の流れに見立てた白川砂利がきらきら輝くなか、ぽつぽつと苔の島が浮かぶ庭園がひろがり、これら島々と対になるように浮かべられた小舟のようなさり気なさで、大小ふたつの書院が、ゆるやかな杮葺きの屋根の下、欄干めぐらせた縁側の奥にひっそりと、しかし格調高くたたずんでいるのです。

曼殊院

現在は仏像が安置され、本堂も兼ねる大書院から、縁側を鉤の手に曲がった先には、この寺院のなかでも最も静かな、さも居心地のよさそうな小書院があり、かつてはここが、曼殊院の造営に深くたずさわった良尚(りょうしょう)法親王の居間として使われていたと聞き、 なるほどそうなのだな と納得するのでした。
小書院は、東南角に八畳の 「富士の間(※雲のたなびく富士を模した釘隠しに因んで。 七宝があしらわれた銅製の釘隠しは、今は黒ずんでいるが、創建当初は銀メッキが施されていたらしい)」 があり、その奥には七畳の座敷に、凝った意匠の棚、付け書院と床(とこ)を備えた二畳敷きの上段のある 「黄昏(たそがれ)の間」 が続いて、良尚法親王は、ここで近しい関係の客をもてなしていたといわれております。 江戸時代はじめ頃のお話です。
皇族ではあっても、そこは出家をし、仏に仕える身ですから、親王自身にとっては慎ましやかな暮らしだったのかもしれませんが、良質な白川砂利によってまんべんなく拡散された庭の自然光が、下方から、縁側の深い軒の底をほの明るく染め、さらに反射したやわらかな光が座敷の奥深くまで届く、きわめて洗練された採光システムは、隅から隅まで人工の照明によって照らされ麻痺してしまった現代人の感覚からは遠く及ばない。 ほんに肌触りのよさそうな、きめの細かい、天然の明かりほど美しく贅沢なものはありません。
その明かりは、室内の手漉き和紙のふっくらとした張り付け壁をも照らし、反対に、長押から上の黒塗りの土壁と杉板の天井はあくまでも闇のなかなので、重心の低い、畳に近しい暮らしを営むいにしえの人々の姿を、ますます際立たせてくれる。

富士の間から縁側を とん と下りると、そこには欄干を五線譜に、まるで旋律奏でるおたまじゃくしのような飛び石が、ぽつぽつぽつと並び、いざなう先は三畳台目(※3/4畳の大きさの畳を 台目 といいます)の侘びた風情の草庵茶室。
「八窓席」 と呼ばれる茶室は、そのひなびた姿にふさわしく、目立たないよう、黄昏の間の背後に隠されていて、にじり口の向こうには、かたちも大きさもまちまちの八つの窓が、あたかも精密機械のように、細心の注意を払って巧みに配置され、ある窓は主人の点前先を、ある窓は斜め天井から客座あるいは床(とこ)を、 といった具合に、八種の明かりが季節や時刻に応じて思わぬ表情をかいまみせてくれる。 静謐な光の小劇場 といってみてもよいかもしれません。

そのような、身なりも性格もまったく異なる二つの顔(明かり)を持つ小書院のなかに、さらにもうひとつ、 第三の領域 といってもよいくらいに、独創性に富んだ空間が存在していることをご存知でしょうか。
富士の間の隣に、ややもすると気づかないくらいにちいさな部屋があります。 そのひろさはわずか二畳。 あの国宝、待庵と同じ極小の空間です。 名前もちゃんと付けられており 「無窓の席」 と呼ばれています。

無窓の席

無窓の席は、二通りの使われ方をしていたものと想定されます。 ひとつは、一畳台目(+置床)の茶室として。 もうひとつは、黄昏の間あるいは富士の間でくつろぐ親王や客人に対し、点てだしの茶を点前するサービス・スペース 「茶立所(ちゃたてどころ)」 として。
平面図をみるかぎり、東側の庭園に開放されるように並んだ黄昏の間と富士の間に対し、二畳の無窓の席は、畳敷きの廊下を含めて西側にまとめられ、客人の目に触れない 裏動線 となるよう、使用人の働きやすさにも配慮した、機能的でソツのない、惚れ惚れするような設計がなされています。 しかも、光庭(中庭)を組み込むことで、南側の庭園に開くことなく、通風や採光をふんだんに得ることができるのです。
おそらく当初は、二畳の部屋は純粋な茶立所として計画されていたはず。 それが、いざ建物が出来上がってみると(あるいは工事の途中で)、窓もない、たった二畳の簡素な空間が、不思議な魅力を秘めていることに親王は気づいたのではないでしょうか。 直感、つまり 「ひらめき」 です。

もともと、 お茶を点てる という機能性は満たしているので、炉と、茶道具を入れておく棚(洞庫)はそのまま活かします。 ただ、客をもてなすための床(とこ)が欠けていますが、床柱や床かまちといった部材を用いて 結界をつくる という、通常の手法では、せっかくのピュアな空間(一辺が約192cmの、ほぼ立方体の空間)が台無しになってしまうのです。 第一、狭い空間に柱を立てると使いにくいですし。
そこで、格式ばった床の形式を捨て、ちょっとした家具のようなニュアンスの 置床 とし、この際、かまちも柱も省略してしまう。 ただ、点前の邪魔にならないよう、置床と点前座との結界代わりに、欄干風の擬宝珠(ぎぼし)をあしらうことで、床の間に求められる、精神性と機能性のどちらをも満たしえることを、親王は見事に証明してみせたのだろうと思うのです。
唯一つ残された問題は 「明かり」 です。 出入りのための襖を開け放てば、光庭に面した障子窓を通して、やわらかい光を取り込むことができるのですが、それでは極小空間の意味がありません。 あくまでも茶室は、閉じられた小宇宙でなければならないのですから。
そこで親王は、当代きっての絵師、狩野三兄弟のひとり、狩野探幽に、置床の前のわずか80数cm幅の張り付け壁に、絵を描くよう命じたのではないでしょうか。 要望はひとつだけ、それは 「本物の花以上に美しい花を描くこと」 。

完成した無窓の席に、親しい客を招いた際、親王は、床に画も書も掛けず、一輪の花さえも活けず、燭台をひとつ置いたのではないでしょうか。 襖が閉てられた漆黒の闇のなか、一本のろうそくの灯にぼんやり照らされたのは、背後に描かれた花。 その時、純粋に、親王の ひらめき が成就したのではないだろうかと…。
 
04月01日(月)

さくらの園

僕がひそかに 「さくらの園」 と、呼んでいる場所があります。
小川のせせらぎの傍に、根を下ろした桜たちはその多くが、子どもたちの目線くらいから枝を伸ばし、派手さはなく、こじんまりとしていて、何となく 静かな森のなか といった風情なものですから、このような場所では 花見の宴 といっても狼藉働くものなど皆無で、子ども連れやご婦人方が点々と、日差しがやわらかに花びらを透かす、あたたかな樹下に集い、うららかな春の一日を過ごすのでした。

そのようななか、小川の畔では4・5名のご婦人方が、ささやかな 野点(のだて) を催しておられました。
ごく内輪の席だったのでしょうか。 偶然近くにいた僕にも 「何の作法もありませんから」 とお誘いいただき、 それでは と、ご好意に甘えて、遠慮がちに腰下ろすと、低い枝に咲く花が思いがけず、近くで ほろり と綻び、音もなく辺りに ぽつぽつ と、春色の水玉模様描くなかで、しばし一服のお茶をいただきました。

野を褥(しとね)に眺めるこの世界は、子どもたちの目線なのだと気づきます。 桜の木はすぐ下の大地にしっかりと根を張り、僕たちと同じように呼吸をしている。 いろいろな生き物たちとのつながりを、素直に感じる自分がここにいる。
この感覚はどこか懐かしい気がするのです。 忘れかけていた、ずっとずっと昔の記憶。

遥か時間をさかのぼって…。
そう、あれは確か小学校低学年の頃であったでしょうか。 家の近所の山の麓から石段を、とことこ百数十段くらいのぼったその先の、ちょっとだけ開けた土地に、地域に水を供給するための水源地があって、森の樹々からの恵みの水を、 とつとつ と蓄えていたのでした。
その水源地の小屋の傍は、からり と日当たりよく町を一望できたためか、周辺に植わった桜の花咲く頃は、ご近所のおばあさん方(子どもの目にはそうみえました)が、お昼時、お重を広げて春のひと時、のんびりとお花見を楽しんでおられました。
そして、そのあたりで遊んでいた僕たちにも、ご馳走をおすそ分けいただいた。 あの頃の記憶が。

草原からお尻に伝わる日差しの温もりと、人の温もり、頬に伝わるそよそよとした風の感覚を思い出すのでした。

さくらの園
「さくらの園」  ペン、水彩