プロフィール

アトリエかわしろ一級建築士事務所

Author:アトリエかわしろ一級建築士事務所
「がま口から建築物まで」
日々の生活につながっている モノづくり・住まいづくりのためのデザイン事務所です。

検索フォーム

08月16日(木)

ICE

そこに水が入れてあるだけで、不思議と水源を想像させてくれるコップがあります。

祇園にある スフェラ(Sfera) というショップを訪れると、そこには厳選されたいくつかのガラスのコップが並んでいて、 エンツォ・マーリ(Enzo Mari) や ジョエ・コロンボ(Joe Colombo) といった、名だたるデザイナーの手がけた製品のそばに、ややもすると気づかないくらい、見事に気配を消し去ったコップが置かれています。
「気配を消す」 ということは、すなわち 「いたずらに主張しない」 ということで、当然ショップに並ぶコップのなかには何も入っていない、肝心の中身のない 空(うつお) の状態で、水などの液体が注がれてはじめて本来の姿を現すべきはずなのですが、世のなかの製品の多くが、見た目優先の作為に満ち溢れているので、このような製品との出会いそのものが、もはや稀な出来事になってしまっているのです。

このコップは 「ICE」 という製品名で、スフェラが主にヨーロッパでの販売を目的に立ち上げた contrast(コントラスト) という、テーブルウェアなどの日用品を扱うブランドのひとつとしてラインナップされています。 製造もやはりヨーロッパでおこなっていますが、デザイナーは 岩崎一郎 、日本人です。

ICE

もし 「会心の出来」 といえるような仕事が、モノづくりにかかわる人間におとずれるとしたら、きっとこのようなカタチになるのではないか。 と、そう確信したくなるガラスのコップは、巷ではどちらかというと、携帯電話など、コンマ数ミリ単位での緻密な製品デザインを手がけることで知られる岩崎だからこそ、たとえ普段使いのコップひとつであっても、好き勝手なことにばかり終始しないで、時には感情を抑え、引くべきところをわきまえた仕事も厭わず成し遂げることができる。
自由な造形を感情のおもむくままに表現している、一見自由なようで、実は不自由な作家たちの遠く及ばない世界。 ガラスという素材にばかり囚われていては、大切なものを見失ってしまうことを知っている彼は、あふれる感情の向こう側にあるカタチをデザインしたのではないか、と僕は思うのです。

たぶん岩崎は、何も入っていないコップが、完成された姿をしているということ自体が間違っている、と考えたのではないでしょうか。 電子部品を内蔵する家電製品は、使う人と電子部品との間にあるモノを理知的にデザインしているのに対し、 ICE の場合は、使う人と水との間にあるモノを感覚的にデザインしたのではないかと。
実際このコップは、限りなく薄い吹きガラスによってつくられていて、上からみると不整形なのですが、この不整形さがかえって手にしっくりと馴染んで、ガラスそのものの存在を希薄にしている。 弱々しい空っぽのコップは確かに何かを求めていて、それは新鮮な搾りたてのジュースでも、香り豊かなお茶でもなく、無色透明の水に違いありません。 それもキンキンに冷やされた水ではなく、常温の何でもない 素のままの水 がふさわしいはずです。

水を満たされたコップは、ますますその存在を希薄にし、コップ持つ手はガラスという素材よりも、むしろ水そのものの重みや温度を感じ、掌のなかに心地よさそうにおさまるその姿は、どこか滑らかに、落ち着く先を見出したかのような安堵の表情で、僕はあの鴨川を遥かさかのぼった遠い遠い山のなか、霞の国かと見紛うような、 雲ヶ畑 という美しい名の里の、 志明院 と呼ばれる山寺の奥、岩の隙間やシダの下からこんこんと湧き出でる、オオルリやオオサンショウウオが静かに暮らす。 そんな清らかな水源の風景を、おぼろげながらも想像してみるのです。 そこにこの水はつながっているのだと…。

ICE
 
08月01日(水)

夏の子

僕がはじめて小学校に上がった時。 そこは瀬戸内のちいさな町から、坂道を登った小高い山の中ほどにある、本当にささやかな木造の学校だったのですが、それでも、一年生の僕には十分に頼もしく、立派にみえました。
その校舎に至る急な上り坂は、おおきな桜の木に見下ろされるような格好で、はらはらと花びらが舞い落ちる。 あの瀬戸内特有のほんわりしたゆるーい南風と、古びたガラス窓とが、そして教室の窓から顔出すと、桜の木の向こう側に、のんびりした瀬戸内海の無数の島々と、それから太陽に反射してきらきら輝く海が臨めたのです。

校舎からさらに坂道を登ると、そこがぽっかりと丸く開けた運動場で、これまたささやかなものだったのですが、やっぱり桜の大木たちに囲まれていて、上にはただただ空があるばかり。
だから、包まれるような親密感があって、地域の方々が三々五々坂道を登ってきて、運動場の片隅で思い思いに弁当広げてお花見している。 彼らもその昔、ここで学び遊んだに違いありません。 そんななかで僕たちは遊んでいたのです。 もちろん、夏になると、そこらじゅうセミの大合唱でした。
運動場の端っこから一段上がると、わずかばかりの梅畑があって、そこから先は道のない 動物たちの領域 でした。

そういうのが、僕にとっての小学校です。

やがて大人になった僕は、再び小学校への坂道を登りました。 児童たちが夏休みの間、ここの景色を描いておこうと考えたからです。
ところが、校舎は固く冷たいコンクリートの箱になっていて、しかも、かつて幼い僕を迎えてくれた桜の大木たちは随分と減っていましたが、不思議なことに、その後新たに植えられた木は一本もありませんでした。

校長先生に、卒業生であることと、絵を描きたい旨を伝え、念のため、 8月6日の登校日 は児童たちの邪魔にならないよう控えるべきか確認してみました。 これは、広島県内の全ての小学校に共通していたのかもしれませんが、僕が小学生の時は必ず、広島に原子爆弾が投下されたこの日に登校し、みんなで平和について考えていたからです。 実際、僕が学校で学んだことは、瀬戸内特有の環境と平和についてであって、少なくとも教科書(マニュアル)からではありませんでした。
しかし、驚いたことに校長先生は 「8月6日は登校日ではないので構いませんよ」 と、事もなげにいわれたのです。
一体この人は、広島に住んでいながら何を学び教えてきたのだろうかと、あきれて理由を聞く気にもならず、それでも気を持ち直し、運動場に上がってみると、そこには一本の木もなく、少年野球チームの専用グラウンドと化していました。
ほんのわずかのグラウンド拡張のために、僕たちをあたたかな眼差しで見守ってくれた桜の木々は容赦なく伐り倒され、コンクリートの地盤が張り出し、その結果、いびつに変形した崖は 危ないから近寄るな! と隔離され、かわりに周囲は鉄塔にネットが張り巡らされていました。
夏休みとはいえ、子ども一人遊んでいません。 もっとも、そこには樹木の木陰ひとつなく、セミの一匹もいないでしょうが…。

人間と動物たちの棲み処を、さり気なく取り持っていてくれた、運動場の端の梅畑はとうの昔に破壊され、乱暴にも、人間の都合で、コンクリート製のプールが打ち込まれていました。 確かに僕が子どもの頃はプールがなく、泳ぎは達者ではありませんが、それでも 「やっぱり、梅畑のほうが絶対よかったな」 と、僕は思いました。

8月6日の午前8時15分。 誰もいない運動場の隅っこで、僕は目を閉じ祈りをささげた後、かつての、粗末であったかもしれないけれど、ささやかな、木造校舎のある風景を描きました。 そして、もしそこでブランコに乗る少年があなたの目に、幾分悲しそうにお感じになったとしたら、あるいは、それが僕の こころの投影 なのかもしれません。

夏の子
「夏の子」 ペン、水彩