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アトリエかわしろ一級建築士事務所

Author:アトリエかわしろ一級建築士事務所
「がま口から建築物まで」
日々の生活につながっている モノづくり・住まいづくりのためのデザイン事務所です。

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04月15日(日)

ファリエロ・サルティ のストール

普段外出する時に 「これさえ身に着けておけば、しっくりと馴染んで安心する」 というモノが、誰でもあるのではないかと思います。
僕の場合は少々変わっていて、スケッチブックとか持っていると、妙に落ち着いて実に具合がよいのですが、用もないのにいつもスケッチブックなど持ち歩くわけにもいきませんから、 いつも という意味であれば、やはり 「ストール」 でしょうか。

ストールは、衣類のなかでも最も単純な四角い布の状態、つまり 一枚の布 でよいだけに小ざかしい作為の通用しない世界、しかも敏感な首元に直接触れるだけに、 布本来の持つ 「色」 と 「手触り(あるいは肌触り)」 がすべて ということになるでしょう。

ファリエロ・サルティ(Faliero Sarti) は、繊細で良質な布地のストールを手がけるイタリアのテキスタイルメーカーで、僕は青いものを使っています。

ファリエロ サルティ のストール

ファリエロ・サルティ は、カシミア、コットン、シルク、レーヨン等、素材それぞれの持つ 表情 を巧みに引き出して、ストールに仕立てていますが、この青いストールには モダール が使われています。
最初、僕は モダール という素材を知らなかったので、ショップの方に聞いてみたところ 「絹に似た性質の素材ですよ」 とのことでした。 後日調べてみると、モダール(Modal) とは、 樹木(ブナ等)を原料とする植物性の繊維 とのことでした。

もともと素材自体の発色がよいこともあるのでしょうが、この ややくすんだような群青色 がつくり出すグラデーションが、何だか穏やかで、それはどこか波の描く母なる海の表情にも似て、胸元に美しい水面を映し出してくれるかのようです。
思わず手を触れると、きめ細かくて、肌に吸い付くような心地よい感覚。 その上、あたたかいのに薄くてかさ張らないことからも、ストールには適しているようです。 夏以外、3シーズンくらい使えてしまいます。

ところで 「布の手触り」 について、このようなお話を聞いたことがあります。
タオルの産地として知られる、愛媛県の今治市のあるメーカーでは、 厳しい価格競争のなかだからこそ、安価な中国製品には真似のできないモノづくりを と前向きに考え、製品開発の際に、7・8人くらいの視覚障害を持つ方々に協力を依頼したそうです。 なぜならば、彼らの持つ 手触りの感覚 は 「本当によい生地を判断できるだけの可能性」 を秘めていたからです。
ありとあらゆる種類の 糸と織りとの組み合わせ から試作を繰り返し、触れてもらうなかで、全員が 「これがよい!」 と判断した布地でタオルをつくり、製品として売り出しました。 価格が確かバスタオルで 8,000円台 と、かなり高額でしたが、好調な販売を記録したそうです。

僕自身、実際にそのタオルを使ったことはありませんが、 使う人のために決して手を抜かず、いつまでも価値を失わないように と、誠実につくったモノが結局最後に 「手触り」 として、しっかりと相手に届いているのだということを。 異国の地で生まれたストールに触れてからは、僕にもその意味が、少しは分かるような気がするのです。
 
04月01日(日)

SAKURA,さくら

お酒を一切たしなまない、しかも朝型生活の僕は、毎朝紅茶をいただくことをささやかな楽しみにしているのですが、今の季節(つまり桜の季節)だけは、フランス製の緑茶をいただくことも少なくないのです。
マリアージュ・フレール が春季限定で販売している緑茶 「SAKURA」 は、ほんのり甘酸っぱい香りのため、普段から緑茶に慣れ親しんでいる日本人の感覚からは、いささか唐突な印象は否めないところです。 何しろ、味は紛れもなく緑茶なのに、香りは紅茶のように甘いのですから…。
そこで僕の場合、紅茶をいただく感覚で、紅茶用のポットを使って独特の香りを楽しむようにしているのですが、この 甘い香りの解釈 に図らずもこころ動かされてしまう。 SAKURA と銘打っているだけに、日本の桜をフランス人の感性で香りに 「翻訳」 したものと説明したらよろしいでしょうか。

本来、桜自体に 香り はないわけですが、異国の人々にとって日本の桜は、彼らとは全く異質の、神秘的な美学のようなものとして、想像を喚起される対象なのではないかと思うのです。 おそらく彼らは、一時的に日本に渡って実物の桜をみたとしても、本質的なものは理解できないと考えたのではないか、朝な夕な、繰り返し繰り返し桜とともに暮らしを営み、「ああ、春が来たな!」 と、しみじみそう感じるようにならなければ理解し得ないのだと。
だから、実在しない 「香り」 を通して、この微妙な感覚を純粋に表現したいと願ったのではないかと想像したくなるのです。 それが何とも甘酸っぱい、何だか切ないような香りとなって表現された。 そしてその香りは マリアージュ・フレール の数多ある香りのなかでも極めて儚い、その香りはポットに二杯目のお湯を注ぐことすら許さない、まるで桜の花のようにはらはらと散ってしまう、繊細な美学が込められているに違いないのです。 これは、日本古来の文化である 「見立て」 そのものではありませんか。

どういうわけか僕は、桜の季節になると決まって 「さくら餅」 を想像してしまうのですが、実のところ、さくら餅がどのようなものなのか、どのようなカタチをしているのかさえも分からないのです。 それでも道端のあの お餅やさん の店先に 「さくら餅あります」 という、ちいさな垂幕が掛けられているのをずっと前から知っている。
それでも何故か、あの歩道に開け放たれた店先を春風のようにすうーっとくぐって、気さくそうな、いかにもご近所の子どもたちの面倒見もよさそうな、いつも笑顔を絶やさない、そんな働き者のおかみさんにひと言、 「さくら餅くださいな」 と声をかけることがどうしてもできない。 「さくら餅なんて興味ないよ」 といった顔して、すたすた店先を通り過ぎる僕がいる。
マリアージュ・フレールの店先はすんなりくぐれるのに、お餅やさんの店先では足がすくんでくぐれない僕は、 「さくら餅って一体どんなものなのだろう?」 と想像するしかない。 「どんなに素晴らしいものなのだろうか」 と、ただただ想像するほかないのです。
それは、もしかしたら子どもの頃、何気なくいただいていた、別段何ともないようなものなのかもしれないけれど、あえて調べることもせず、さくら餅が如何に素晴らしいかを考える。そして願わくば、甘酸っぱい香りの緑茶と一緒にいただきたいものだと…。

SAKURA