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アトリエかわしろ一級建築士事務所

Author:アトリエかわしろ一級建築士事務所
「がま口から建築物まで」
日々の生活につながっている モノづくり・住まいづくりのためのデザイン事務所です。

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03月15日(木)

法然院

東山の麓の森のなかに、ひっそりと佇む 法然院(ほうねんいん) には二つの参道があります。
ひとつはアスファルトでさらりと舗装された、車一台が通れるくらいなやや急勾配の坂道。 もうひとつはゴロゴロした無骨なゴロタ石を敷き詰めた本来の参道です。 最寄の銀閣寺方面からトコトコと小道を歩いてくると、アスファルトの坂道のほうが近道なので、こちらを利用される方も少なくないのでしょうが、僕は少々遠回りしても、足元が悪くっても、それでもゴロゴロの石畳を選んでほしいと願うのです。
「あたしゃ、足が痛くってね」 と、そんな小言が喉まで出かかっているおばあさんにも重々承知の上、あえて心を鬼にしてまでも、おもちゃ屋の店先で泣きべそかいてる駄々っ子にも劣らぬ頑固さを持って、そんなふうに思うのです。

正面の石段は、なるほど確かにデコボコで、市役所のバリアフリー担当者が途方に暮れるかもしれない難儀な道のりは、それでも心を落ち着け静かに息を整えて、足元みながら一歩一歩丁寧に踏みしめるゴロタ石の感触は、よくみると不規則なカタチではあっても、平らな面を上に向けてきちんと揃えられていて、いにしえの匠(たくみ)たちが、念仏唱えながら真心込めて、ひとつひとつ敷き詰めたに違いないと、足の裏からじんわり感じるこの気持ちを僕は大切にしたい。
人の一生にも似て、時に厳しくもあり、だから本当のやさしさも教えてくれる石段が尽きるあたりには、黒塗りのぶっきらぼうな門柱があって、ここを過ぎると明らかに空気の質が変わります(空気の成分を分析しても到底分かりませんが…)。 石畳はゆるやかに左に折れ、道幅は幾分狭まり、神聖な森の木々に囲まれて森閑とした空気に包まれる心地よさは例えようがなく、その遥か先には、かつて鎌倉時代の初め、法然上人が結ばれた草庵を髣髴とさせる、侘びた風情の茅葺の山門が臨まれて、開かれた扉の先は、あたかもこの道を歩むものの未来を暗示するかのように あたたかで明るい光 を感じるのです。

法然院

聞こえるのは竹の葉のさらさらそよぐ音、小鳥たちのさえずりのみの、昼なお暗い、参道の木々たちのなかに、高く覆いかぶさるようにヤブツバキの古木がありまして、実のところ僕は、この目立たない大木に会うために、この静かなお寺を訪ねているのかもしれません。

由緒ある法然院でも 「三銘椿」 に数えられるような、名高い花が色とりどりに咲き揃う、そんな華やかさも確かに魅力的であるに違いありませんが、一方で、何でもないような参道脇の、普段はほとんど誰にも気付かれない地味なヤブツバキの蕾が膨らみ始める季節になると、僕は花もまだ咲かぬ頃から森閑とした石畳の参道に足を運び、 「まだですか」 といったような顔して梢を見上げると、蕾も何となく 「まだですよ」 とささやくような表情にみえてくるから不思議です。
そんなことを幾度か繰り返しているうちに、季節はやがて春のお彼岸の頃となり、どんなに朝早く訪れても、あのゴロタ石の参道に、誰かがそっと 何よりも大切なタカラモノ を置いたかのように、ぽつぽつと赤い花が、いささかも崩れることなく、乱れることなく、古今東西どんな偉大な芸術家も決して創造し得ない美しい姿でそこにある。
ようよう花咲いた時から、控えめに小首をかしげたような、恋する乙女のように物憂げで、しとやかなその姿は、4・5mも下の石畳に知らず知らず音もなく落ちて、やはり控えめに、うつむき加減に首をかしげている。
「人にやさしくない」 と勘違いされかねない、ゴロゴロの石畳の本当のやさしさや、あたたかさを一番知っているのは、実はこの可憐な花たちなのではないかと、そう信じてみたいような気がするのです。

法然院
 
03月01日(木)

窓辺の小箱

名刺が600枚くらい収納できる木製の小箱。 本当は ネームカードボックス という洒落た製品名があるのですが、あえて僕は、寡黙で凛としたたたずまいにふさわしく 「小箱」 と、そう呼んでみたいのです。

その 小箱 は、使い勝手も考えて木製のチェストの上に置いてみたりもするのですが、なぜだか居心地悪そうな素振りで、寡黙なわりにははっきりと主張するところは主張する性質らしく、どうもしっくりと落ち着いてはくれないのでした。
ところがある日、掃除の最中にちょっと窓辺に移してみたところ、これがすっかり馴染んでしまって、かつての我が儘ぶりがまるで嘘のようです。 窓辺がよかったのですね。

ネームカードボックス

実は、このことに気づくまでに2年半かかりました。 などと、正直に申し上げたとしたら 「あなたという人は一体…」 とか 「なんと暢気な!」 と、皆さんあきれ返ってしまうかもしれませんが、空間に動きや変化を与えることは割合簡単なことなのですが、静謐な空間のなかで何かを加えつつ均衡を保つことは、なかなか容易ではないと僕は思うのです。 それよりも、80幾余の年を数えるまでに待ちつくした 窓 の気持ちに比べれば、2年半など、ほんのわずかな時間に過ぎないではありませんか(築80数年の建物に置いてあるのです)。

ところでこの小箱。 ブラックウォルナット(black walnut) と呼ばれる、北米産クルミ科の落葉広葉樹の無垢材で組み立てられているのですが、同じクルミ科のアジア産やヨーロッパ産の ウォルナット材 と比較すると、深みのある木理が特徴で、ちまたでは高級家具材として知られています。
その美しい素材の表情を損なわないよう、名刺のおさまる本体の側面と上蓋の側面とが、実は蓋を閉じた際にぴったり木目が一致するように、ぐるり四周とも一枚の板材から木取りされていて、立方体の箱として組上げられたその姿は、秘められた樹の生命力を損なうことなく、 いいようのない静けさをまとって生まれかわっていたのだ。 ということに、今更ながら気づかされたのです。

ネームカードボックス

やはり、このことを理解するのに2年半かかりました。 と告白しようものなら 「俺の人生って一体…」 と、この小箱をつくられた、腕の立つ職人の皆さんはさぞやがっかりされるかもしれませんが、どうかこれに懲りず、素材の声に耳を傾ける気持ちを忘れずに、益々精進していただきたいものです。
でも、そのような考えは杞憂にすぎないのかもしれませんね。 100年、200年と生き続けてきた樹木たちといつも対話をしているのですから…。