プロフィール

アトリエかわしろ一級建築士事務所

Author:アトリエかわしろ一級建築士事務所
「がま口から建築物まで」
日々の生活につながっている モノづくり・住まいづくりのためのデザイン事務所です。

検索フォーム

09月15日(木)

TEMAS の京黒染めTシャツ

黒髪を備わった者の肌は、黒い衣類に映えるに違いない。
そう信じて疑わない僕は、黒という色彩に強く惹かれ、黒を着こなすことができてはじめて、鮮やかな色彩も自分色に染められるはずなのだ と考えました。

京都に住んでいると、時に職人の奥深い世界の一端に触れることがあります。 その一つが 「京黒染め」 です。
黒だけを頑なに染め続ける という職人技は、少なくとも江戸時代から連綿と受け継がれていて、明治時代には 黒紋付 がフォーマルな和装として定着するに至りました。
このため、もっぱら正絹を対象に染めてきたわけですが、そのような老舗の工房も近年は洋装、それもカジュアルな木綿生地のバッグや衣類を、地元のアパレルメーカーと共同で製品開発をおこなうようになり、京都発のブランド 「TEMAS(ティマス)」 が誕生しました。 確か2002・3年頃だったのではないかと思います。

TEMASの長袖Tシャツ

この長袖Tシャツは、 TEMAS の比較的初期のモデルですが、当時ショップの方が 「世界一美しい黒」 と説明していた言葉の意味が、5年・6年・7年… と着続けるうちに自然と証明されることになるのですが、逆につくり手側としては、自信と誇りを持って、黙々とそれに答えられるだけの仕事をしていたのでしょう。

同じ黒でも 京黒染めの黒 は、普段見慣れている衣類の黒、つまり西洋から渡ってきた染色法とは異なる、何かもっと別の 黒 が存在するのだろうと思うのです。
それは、幾重にも塗り重ねられた黒漆の持つ奥深い色、 「漆黒(しっこく)」 とはちょっと違う…。 そう、子どもの頃持っていた書道セットのなかにあった、あの固形の 墨 の持つ、気の遠くなるような量の 煤(すす) の粒子がぐうっ と凝縮された、中国から朝鮮半島を経由して伝来した東洋の黒に、京都の繊細なエッセンスを練りこんで精錬してはじめて表現できる、やわらかくも床しい 「墨色(すみいろ)」 だったと気付くのです 。

ところで伝統的な黒染めでは、より深い黒を得るために、まず生地を紅や藍で下染めした上で、黒染料に浸す技法 「黒引染め」 を用いるそうなのですが、この長袖Tシャツの左袖から覗く紅の色は、もしやその下染めを意図的にデザインとして残したものなのでしょうか。
そうであるとすれば、それは絞り染めによって染み込んだ、紅色と墨色のほんのりぼかされた境目が、慌ただしい人生を送っているとそう滅多に出会うことはない、夕暮れ時の瞬きする間もないほどの、暗闇までのほんの僅かな時間を永遠に封じ込めた 夕焼け色 なのかもしれません。

TEMASの長袖Tシャツ
 
09月01日(木)

旧明倫小学校

室町通りを四条から少し上がった、かつての京の呉服問屋が建ち並ぶ鉾町に位置する 明倫(めいりん)小学校 をはじめて訪れたのは、10年以上も前の話。 廃校になって間もなくの頃、現在の 京都芸術センター に改修される以前のことでした。
その時は、そのままの学校の姿で、教室を会場に、ある作家さんが映像作品を上映していたのでした。

おもての通りから、石で畳まれた路地を抜けると、そこは校舎に囲まれて、運動場 というよりも 校庭 と呼んだ方がしっくりと感じられるちいさなグラウンド(といっても、きっと、はじめて小学校にあがった新一年生には、とっても大きいに違いない)に一旦視界が開けてから、教室のある校舎に入ります。
確か会場の教室は3階だったのですが、そこまで緩やかな スロープ(斜路) を上って導かれたことが、いまだに強く印象に残っています。

旧明倫小学校のスロープ

上る(のぼる) というよりも 廻る(めぐる) という表現がふさわしい、まるで夢のような アプローチ(導入路) は、それこそ、はじめて登校した新一年生にとって、どれ程素敵な影響を与えた空間だろうかと、ちょっと想像するだけでも目がくらみそうです。

スロープは、単に体が移動するだけではなくて、遥か高いところから 丸やアーチ形の窓 から光が降りてきて、導かれるような不思議な感覚があるのですが、おそらく当時のほとんどの児童が、市街地の京町家のような住まいで経験している、 きわめて日本的な、庭や軒先を介して間接的に届く、斜め下からの儚(はかな)いような光を日常的に体感していたであろうことを想像すると、学校という、はじめて社会につながりを覚える世界が、いかに輝かしく彼らの瞳に映ったことでしょうか。

この小学校の卒業生は毎日、上を向いて育ったのだと想像します。

旧明倫小学校のスロープ

さて、教室に入ると、黒板や教壇がそのまま残っていて、そこから全てのクラスの子どもたち一人一人に先生の目がちゃんと行き届く、親密な、家庭の茶の間がクラスの単位にそのまんま拡張されたような、完全な空間がしつらえてありました。
そして、どこかまもられた雰囲気があるのは、頑丈で大きな柱が、短い間隔をおいて規則正しく並んでいて、それらに囲まれているからなのだ と気付くのです。

これまで 「鉄筋コンクリート造の校舎は固くて冷たい」 といった印象がありましたが、この昭和初期に建てられた校舎には、市街地に建つためには欠かせない耐火性能と、100年、200年びくともしないぞ という、地域の皆さんの心意気(地元の寄付金で建設された公立の小学校なのです)と、手間隙を惜しまない、当時のつくり手たち一人一人の温もりが、どこか あたたかな安心感 を抱かせるのだと思います。

頑丈な柱の間にはめこまれたガラス窓から外を覗くと、先程通ってきた校庭で、すっかり成長した卒業生と思われる皆さんが、テニスに興じておられました。
その間の距離が思いのほか近いと気付いたのは、たぶん僕の思い違いではなくて、校舎のすべても、上を向いて育ってきた地域の人たちも、この地にしっかりとつながっているからに違いないのだ と、素直にそう感じたのです。