04月15日(金)
最後の1パーセント
鴨川の西岸、特に 二条大橋 そばのホテルフジタ(惜しいことに2011年1月で閉館)から北へ 丸太町橋 を少し上がった茅葺き屋根の 山紫水明処(さんしすいめいしょ: 江戸時代後期の儒学者 頼山陽 の書斎兼茶室) あたりの家並みは、建てられた時代や規模こそまちまちなのですが、何となくそれぞれが鴨川のゆったりとした流れや、背後の東山に対して 「恥ずかしくない姿でありたい」 といった謙虚なたたずまいが そこはかとなく にじみ出ているようで、好んで散策する場所なのですが、その家並みの背後にちらちら見え隠れする 「白いコンクリートのかたまり」 が、まわりとは明らかに異質であるはずなのに、不思議に美しいと感じるのは、やはり僕一人なのでしょうか。
僕が美しいと感じた建物は 8階建てのマンション です。 京都御苑も程近い環境では、はっきりいって 高層 ですし、屋上には機械室や階段室に充てられたと思しき、更に2~3層分くらいの高さの 塔屋 が、でこぼこと入り組んでそびえ立っていて、鴨川から遠望できた白いコンクリートのかたまりの正体は、この 「でこぼこの塔屋の部分」 だったというわけです。
この分譲マンションは、建築家 村野藤吾 の設計により、1975年(当時 村野は84歳)に完成したので、既に建てられてから35年以上の月日が流れていることになりますが、決して豪華ではない、むしろ ローコスト といってもよいくらい飾り気のない質素な仕上がりの、窓や壁や手すりの一本一本の線にはどれも 真実 が存在していて、それは一見何もしていないようで、随分簡単なことようのように思われるかもしれないけれど、実はとてもとても困難を伴う仕事で、本当のデザインというものはきっと そういうこと だと思うのです。
結果として 8階建て とは思えないくらいに威圧感がなく、街並みにでしゃばることなく、適度に 気配 を消している。
マンションの管理組合がしっかりしていることもあるのでしょうが、一見単純に積み重ねられただけのような住戸の窓々からは、バルコニーを含めて生活の様子があからさまに表れず、かといって妙に冷たく取り澄ました感じもなく、はたから見ても、住んでいる人たちにとっても、気持ちのよい 「節度」 のようなものがちゃんと出来上がっている。 集合住宅の 理想とする姿 が、そこにはあるような気がするのです。
村野はかつて 「99%が施主の要求を満たすもので、建築家の勝負は最後の1%なのですよ」 と、いっておられたように記憶していますが、おそらく民間のデベロッパー(開発業者)であろう施主からの 「限られた敷地のなかで、少しでも多く住居部分を確保したい」 という要求に従い、ソツなく効率よく、法の許す範囲でそれをかなえたに違いありません。 施主側もさぞ満足していることでしょう。
しかし、それだけでは十分ではないと考えた村野は建築家として、最後の、そして本当の 1%の仕事 として、屋上の塔屋に、彼の持ちうる限りの情熱と才能を捧げたのだと想像するのです。 塔屋は外壁からは数メートルほど セットバック(後退) されているので、実際にはそれなりのヴォリュームがあるはずなのに、マンションの居住者はもとより、近隣の方々さえも気付かないような、施主ですら何ら興味を示さないような、そんな 「ついでのような存在の塔屋」 が、鴨川の対岸から遠望した時だけ、しかも角度を変える度に、様々表情を変えて、はじめてその美しい姿を目の当たりにすることができる。
「最後の1%」 は、鴨川を散策する人々のために捧げられたのでしょうか。 いえ、もしかしたら 鴨川そのもの に捧げられたのかも…。 だから、純粋に美しいと感じたのかもしれないと、そんな風に思うのです。
僕が美しいと感じた建物は 8階建てのマンション です。 京都御苑も程近い環境では、はっきりいって 高層 ですし、屋上には機械室や階段室に充てられたと思しき、更に2~3層分くらいの高さの 塔屋 が、でこぼこと入り組んでそびえ立っていて、鴨川から遠望できた白いコンクリートのかたまりの正体は、この 「でこぼこの塔屋の部分」 だったというわけです。
この分譲マンションは、建築家 村野藤吾 の設計により、1975年(当時 村野は84歳)に完成したので、既に建てられてから35年以上の月日が流れていることになりますが、決して豪華ではない、むしろ ローコスト といってもよいくらい飾り気のない質素な仕上がりの、窓や壁や手すりの一本一本の線にはどれも 真実 が存在していて、それは一見何もしていないようで、随分簡単なことようのように思われるかもしれないけれど、実はとてもとても困難を伴う仕事で、本当のデザインというものはきっと そういうこと だと思うのです。
結果として 8階建て とは思えないくらいに威圧感がなく、街並みにでしゃばることなく、適度に 気配 を消している。
マンションの管理組合がしっかりしていることもあるのでしょうが、一見単純に積み重ねられただけのような住戸の窓々からは、バルコニーを含めて生活の様子があからさまに表れず、かといって妙に冷たく取り澄ました感じもなく、はたから見ても、住んでいる人たちにとっても、気持ちのよい 「節度」 のようなものがちゃんと出来上がっている。 集合住宅の 理想とする姿 が、そこにはあるような気がするのです。
村野はかつて 「99%が施主の要求を満たすもので、建築家の勝負は最後の1%なのですよ」 と、いっておられたように記憶していますが、おそらく民間のデベロッパー(開発業者)であろう施主からの 「限られた敷地のなかで、少しでも多く住居部分を確保したい」 という要求に従い、ソツなく効率よく、法の許す範囲でそれをかなえたに違いありません。 施主側もさぞ満足していることでしょう。
しかし、それだけでは十分ではないと考えた村野は建築家として、最後の、そして本当の 1%の仕事 として、屋上の塔屋に、彼の持ちうる限りの情熱と才能を捧げたのだと想像するのです。 塔屋は外壁からは数メートルほど セットバック(後退) されているので、実際にはそれなりのヴォリュームがあるはずなのに、マンションの居住者はもとより、近隣の方々さえも気付かないような、施主ですら何ら興味を示さないような、そんな 「ついでのような存在の塔屋」 が、鴨川の対岸から遠望した時だけ、しかも角度を変える度に、様々表情を変えて、はじめてその美しい姿を目の当たりにすることができる。
「最後の1%」 は、鴨川を散策する人々のために捧げられたのでしょうか。 いえ、もしかしたら 鴨川そのもの に捧げられたのかも…。 だから、純粋に美しいと感じたのかもしれないと、そんな風に思うのです。