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アトリエかわしろ一級建築士事務所

Author:アトリエかわしろ一級建築士事務所
「がま口から建築物まで」
日々の生活につながっている モノづくり・住まいづくりのためのデザイン事務所です。

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01月15日(土)

トリッカーズ のカントリーブーツ

(生き物から頂いた)レザーでつくられた靴は、修理しながら長く履き続けることが大切。

20代の頃、そう考えた僕は、靴底が交換できる比較的しっかりしたつくりの日本製のレザーブーツを購入し、手入れをしながら使い続けていました。
ゴム製の靴底は、磨り減る度にメーカーに交換してもらっていましたが、一足の靴を何度も修理する人は珍しいとみえて、社内でも僕の靴は話題になっていたと聞きました。 何しろ、3回も4回も同じ靴が修理に届くわけですから。
ところが革自体が古くなり、擦り切れてくるのは仕方ないにしても、パーツ同士を縫い合わせている縫製部分が駄目になってきたので、さすがの僕も このあたりが限界かな と、その後は修理を諦めました。

体に身に付けるモノのなかでも、特に靴の場合は、 最も過酷な使用に耐えられるだけの高い品質と技術が必要なのだ。 ということを知り、たどり着いたのが、英国の伝統あるメーカー 「トリッカーズ(Tricker's)」 でした。

トリッカーズ(Tricker's) のカントリーブーツ

トリッカーズの 「カントリー」 と呼ばれるモデルは、流行に左右されない、編み上げのトラディショナルなスタイルで、非常に頑丈なつくりですが、ブーツらしからぬ上品なメダリオンをあしらった美しい姿をしています。
ちいさく打ち抜かれたドットが優雅な模様を描く メダリオン と呼ばれるパーツは、単なる装飾ではなく、長く使う上で 傷みやすい部分を補強する という、重要な意味を持って各所に配されているのです。
素材は吟味されてあり、しっかりした厚手の硬いレザーを使用しているため、はじめしばらくの間、馴染むまでは違和感があります。 しかし、これが自分の足のカタチに添ってよい意味で革が変形してくると、とても具合良くなります。
このような 履き心地 を得るためには、専門のショップに足を運び、足の形状を測定してもらった上で適切なサイズを選択することが前提となりますので、ネットによる購入はお薦めできませんが…。

このブーツ、頑丈なつくりということもあってか、そこそこ重量はあるのですが、いざ実際に歩いてみると、その重さを上手に体重移動に活かした 「振り子の原理」 ともいえるような、独特の快適な歩行感があります。 足裏の見えないところにも工夫があるのでしょうが、薄くて軽量なスニーカーの履き心地とは対照的な、ブーツならではのしっかり護られた 安心感 を併せ持っているのも魅力です。

ところで先日、地下鉄の車中で、たまたま向かいの席に座った老紳士の姿に強い印象を受けました。
日頃から、日本人のビジネスマンのファッションにはあまり関心しないのですが(特に靴に)、そのスーツ姿の老紳士は、かなり履きこまれたトリッカーズのシューズ(当然ブーツではありません)を身に着けておられました。
普通の感覚では、履き古されたビジネスシューズは、いささか貧相にみえてしまうとも限りませんが、彼の靴は、ピカピカの新品とは明らかに異なる、むしろ、新品が引けを取るくらいに年月を経、使い込まれ、すっかり足に馴染んだモノだけに与えられた 艶(つや) を認めることができたのです。

その時、真摯にモノづくりを続けてきた伝統メーカーの 底力 を垣間見た気がしましたし、同時に 「人もモノも歳を重ねることがこんなにも素敵なことなのか」 と、この先の 在るべき姿 を見い出したようにも感じました。
 
01月01日(土)

霞床席(かすみどこせき)

石畳を歩いていると子どもたちの声。
大徳寺塔頭のひとつ 玉林院(ぎょくりんいん) の門を潜ると、右手にちいさな保育園が。

厳しい感じのお寺かな と思っていただけに、そうなんだ と、納得しつつ奥へとすすみ、竹の格子戸を抜けると、そこには立派な本堂が。
仏様の前を失礼して、脇の濡縁からぐるりと裏手へまわると、少し間を置いて、鄙びた農家のような風情の(といっても洗練された)ちいさな 離れ のような建物が佇んでおりました。
農家のような と表現しましたが、ささやかなお堂を真ん中に、東西二つの茶室を備えているため、どうやら 茶事の形式で法要ができるつくり になっているようです。

庭 と呼ぶほど大層でもない、だから余計 のどか な気分にさせてくれる、南向きのテラスのような趣の、軒下に穿たれた障子戸をすらりと開けると、そこが 「霞床席(かすみどこせき)」 と呼ばれるお茶室なのでした。

霞床席 は 「書院造り」 と呼ばれる、武家屋敷に象徴されるような 格式ばった 構成を基本にしているのですが、 四畳半 というこじんまりとした広さのためか(通常の書院造りはもっと広い)、窮屈さもないかわりに場違いな緊張感もなく、また劇的な光の演出もなく、何だか普通に 居心地よい のです。

では、このお茶席にあるのは一体 何 かと申しますと、 「一帖の床の間」 。 これだけです。

普通の感覚では 四畳半 というちいさな空間に、 一帖の床の間 を入れてしまうとバランスが悪くなり、間延びしてしまうはずなのですが、そうならないのは、通常 床の間 に並べられるはずの 書院 や 棚 を排除することで、 ぐっ と空間を引き締めていること。 そして、あろうことか 「違い棚を床の間の真ん中に据えてしまったこと」 です。

床の間は、来客をもてなすために唯一、画や書を掛けることが許される場所なのですから、 違い棚は床の間から一歩譲って隣に と、こうなるところですが、ここでは軸を掛ける正面の壁から10cmくらい離して棚を浮かせ、背後にちゃんと画や書が掛かるよう、実に高度な 離れ業 が展開されているのでした。
しかし、普通の掛け軸では、折角の作品が違い棚に遮られて 台無し になってしまうため、3倍くらい幅広の軸に富士を描き、掛けたのです。

霞床席

するとどうでしょう。 富士の頂のやや下あたりに霞のように違い棚が漂い、奥行きのある特別な効果となって目の前に現れ、こじんまりとした四畳半の空間ゆえに 「富士がこんなにも雄大に見えるのだ」 と、気付かせてくれるのです。

他に何の必要もない 最高のご馳走 が用意されていたのですね。

それにしても、 このような独創的なアイデアをよくぞカタチにしたものだ と感心しますが、この仕事を成し遂げた大工さんは、誇り高い職人さんであったことは無論ですが、それよりも何よりも 「純粋につくってみたかったのではないか」 と思うのです。
そう思わせるに足るだけの魅力が確かにあった と、そのように思うのです。
でなければ、250年以上もこうして維持し続けけられるはずもありませんし、遥か時代を越えて、当時の純粋な気持ちが伝わり続けるはずもないのですから。

ところで、玉林院さんの保育園の園児たちは、みんな お茶の作法 を体験するのだそうです。 ちいさな瞳があの四畳半で、 霞たなびく富士の姿 をみつけたのかどうかは、僕には分かりませんが。