08月15日(日)
久多の里 (川地蔵さん)
久多(くた) は、京都の市街地から数え切れないくらい、幾つも幾つも山を越えたところにある山里です。
日本のふるさとのような所 といったらよいでしょうか。
久多の里の地形は山あいの谷間に、それほど広くはないけれど、日当たりのよい土地が開けて、しかも具合よく川が流れているので、自ずと川に沿うようにして家が並び、まわりの土地は隈なく、手入れされた田や畑になっています。
もはや、川の上流には人は住んでおらず、動物たちの領域で、それは奥へ奥へと、どこまでも続いてゆくかのようです。
一体、どうして川に沿って住まいがつくられているのでしょう。 きっと、それは 水がすべての命の源 だからではないでしょうか。
生活に必要な水はもともと、川から頂戴し、川へと返されていました。 いえ、今でも水道水に頼らず人家のない上流から水を引いておられる農家もちゃんとあります。
何度か久多に通ううちに僕は、この里にはお盆に 「川地蔵さん」 をつくる風習があることを知ります。
どういう訳か僕は、お地蔵さんが嫌いではないようで(お地蔵さん嫌いという人は聞いたことありませんが)、お地蔵さんのいる風景を好んで描いておりましたので、尚更心を惹きつけられたのでした。
それに、お地蔵さんは 景色のよい所、日当たりのよい心地よい場所 に居られることが多いことを、僕なりに知っていましたから。
毎年8月14日、たいてい里の皆さんは家のそばの川へと出かけます。 川の流れは穏やかで、浅瀬のところなどはちょっとした 中州 のようになっていたりするので、そのあたりを見計らって 六体のお地蔵さん をつくるのです。
驚いたことには、お地蔵さんは周囲にある川の石を見つくろって積み重ねてつくってしまうのですが、それぞれ 背が高かったり低かったり、太っていたり痩せていたり と、ちょこんと並んだ様は、何度目をこすってみても、やっぱりお地蔵さんにしかみえないのが、何だか不思議です。
しかし、よく考えてみると、そこに自然にある石を、そこに暮らす人が、ご先祖様やこの土地に対し、素直な気持ちで偽りなく、創作するのですから、これ以上理に適った方法はないはずですよね。
ずっと先祖代々何十年、いや、何百年と続いているのですから、河原の石がお地蔵さんにみえないはずがありません。
このような川地蔵さんが、川の流れに沿って、ぽつぽつと、全ての家庭ではありませんが、いくつも並んでつくられるのです。
そして翌15日の朝、つめたい川の水に足をくすぐられながら、川地蔵さんのもとへ、お花や果物、お菓子などのお供えをし、そっと手を合わせるのだそうです。
やがて、川地蔵さんは大雨や台風などの水で自然に流されて、知らないうちにもとの石へと帰ってゆかれるのです。

「久多の里 (川地蔵さん)」 ペン、水彩
日本のふるさとのような所 といったらよいでしょうか。
久多の里の地形は山あいの谷間に、それほど広くはないけれど、日当たりのよい土地が開けて、しかも具合よく川が流れているので、自ずと川に沿うようにして家が並び、まわりの土地は隈なく、手入れされた田や畑になっています。
もはや、川の上流には人は住んでおらず、動物たちの領域で、それは奥へ奥へと、どこまでも続いてゆくかのようです。
一体、どうして川に沿って住まいがつくられているのでしょう。 きっと、それは 水がすべての命の源 だからではないでしょうか。
生活に必要な水はもともと、川から頂戴し、川へと返されていました。 いえ、今でも水道水に頼らず人家のない上流から水を引いておられる農家もちゃんとあります。
何度か久多に通ううちに僕は、この里にはお盆に 「川地蔵さん」 をつくる風習があることを知ります。
どういう訳か僕は、お地蔵さんが嫌いではないようで(お地蔵さん嫌いという人は聞いたことありませんが)、お地蔵さんのいる風景を好んで描いておりましたので、尚更心を惹きつけられたのでした。
それに、お地蔵さんは 景色のよい所、日当たりのよい心地よい場所 に居られることが多いことを、僕なりに知っていましたから。
毎年8月14日、たいてい里の皆さんは家のそばの川へと出かけます。 川の流れは穏やかで、浅瀬のところなどはちょっとした 中州 のようになっていたりするので、そのあたりを見計らって 六体のお地蔵さん をつくるのです。
驚いたことには、お地蔵さんは周囲にある川の石を見つくろって積み重ねてつくってしまうのですが、それぞれ 背が高かったり低かったり、太っていたり痩せていたり と、ちょこんと並んだ様は、何度目をこすってみても、やっぱりお地蔵さんにしかみえないのが、何だか不思議です。
しかし、よく考えてみると、そこに自然にある石を、そこに暮らす人が、ご先祖様やこの土地に対し、素直な気持ちで偽りなく、創作するのですから、これ以上理に適った方法はないはずですよね。
ずっと先祖代々何十年、いや、何百年と続いているのですから、河原の石がお地蔵さんにみえないはずがありません。
このような川地蔵さんが、川の流れに沿って、ぽつぽつと、全ての家庭ではありませんが、いくつも並んでつくられるのです。
そして翌15日の朝、つめたい川の水に足をくすぐられながら、川地蔵さんのもとへ、お花や果物、お菓子などのお供えをし、そっと手を合わせるのだそうです。
やがて、川地蔵さんは大雨や台風などの水で自然に流されて、知らないうちにもとの石へと帰ってゆかれるのです。

「久多の里 (川地蔵さん)」 ペン、水彩