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アトリエかわしろ一級建築士事務所

Author:アトリエかわしろ一級建築士事務所
「がま口から建築物まで」
日々の生活につながっている モノづくり・住まいづくりのためのデザイン事務所です。

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02月15日(月)

俵屋の石鹸

京都の御池(おいけ)通から一筋下がった姉小路(あねこうじ)通は、こじんまりとした通りで、喧騒を避け好んで歩くのですが、そのような場所にふさわしく、こじんまりとしたギャラリーショップがあります。

ちょうど小さな町家一軒を建て替えたものと思しき建物は、比較的新しいつくりなのですが、町家が並ぶ通りに似つかわしい気品を兼ね備えているように思われました。
通りと建物の間に猫の額ほどの庭が見事にしつらえてあり、ガラス窓の向こう側は陽のあたる通りよりも、ほんのりと薄暗く、やんわりとあかりが灯っているので、外からはどのような作品(製品)があるのか判然としないのですが、思い切って店内に入ると、日々(にちにち)の生活のための品々が並んでおりました。

店内は、程よい加減に照明が配置されており、明るすぎない心地よさがありますし、ガラス越しに振り返った先程の小さな庭が殊のほか、明るい陽の光に包まれているのでした。
店内の明るさが控えめなのは、訪れる客が居心地よいように、気配りがなされているのだな、との思いに至ります。

店名は 「ギャラリー遊形(ゆうけい)」 といい、すぐ近くにある俵屋旅館の宿泊客のためにつくられた品々を、一般の方に販売するショップだったのです。

インテリアに関心のある方は照明器具やディスプレイのための家具の扱い方をみておく事をおすすめいたします。

正直いいますと、最初にお茶碗や急須などを拝見した時、その形態や絵柄に 「随分と余計なことをしているな」 という印象をいだいていました。しかし、二度三度と訪れるうちに、そこにあるちょっとした 遊びの部分 がいかに旅館に宿泊するお客の心を和ませ、心を潤すことができるかという 「もてなしの心」 故のデザインであることを悟りました。
兎角、つくり手は極限にまで形態を研ぎ澄ませようと意識しがちですが、少し距離をおいて視点をかえてみると、異なる世界があったりするものなのだな、などと考えてしまいます。

ところで、僕は俵屋の品々の中で 石鹸 を浴室用として毎日使っています(写真1)。

俵屋の石鹸
(写真1)


適度な加減にエッジの利いた四角いフォルムは、無意味に丸みの付いた巷の石鹸への嫌悪感から開放されますし、手書きの 「俵屋旅館」 のちいさなロゴにはONからOFFに気持ちが切り替わる効果があるようです。
しかし、この石鹸の最大の魅力は 香り にあります。
ローズ、ジャスミン、ラベンダー等の天然香料に、ムスク等の香り、二百余種をブレンドし、完成させたものとのことで、石鹸ひとつにここまで丹精込めるのか と、気の遠くなるような思いです。

毎晩浴室の扉を開ける度に,ちいさな石鹸ひとつが、生活を豊かにする意味の如何に大きいことか。つくり手の志の高さを感じてしまいます。
 
02月01日(月)

紅茶で染めたランチョンマットとコースター

最近、しばらくの間大切にしまっておいた、ベージュのランチョンマットとコースターを使い始めました。
これは、今から10ヶ月くらい前、福祉施設で取り組んでいた 刺し子のプロダクト の制作の最後の日、余った時間のなかでストックの布地を少しでも活かしたいと、パートナー(施設を利用している方です)にミシンで縫ってもらったモノなのです。
僕はもともと手先が(生き方も)不器用なこともあり、肝心の刺し子を含む手縫いやミシン縫いなど、仕上の作業は彼女たちの役目でした。 おかげで随分上達してくれました。

少し細長いランチョンマットは、限られた布地をめ一杯無駄なく使い切るために得られたカタチです(写真1)。

紅茶で染めたランチョンマットとコースター
(写真1)


刺し子のプロダクトでは基本的に、布地の染色に始まり、あらゆる工程を自分たちの手でおこなっていました。 「モノづくりとは何なのか」 を理屈で伝えるのではなく、姿勢で示したかったからです。
染色は植物染めのため、一連の工程にたっぷり半日を要しますが、これもパートナーたちとの協同作業でした。

普段、茶系の染色の時は、矢車(やしゃ)と呼ばれる木の実を使っていましたが、一度だけ僕が好きだった紅茶(フランス製)で染めたことがありました。 数種のフルーツをブレンドした紅茶は、染料としてぐつぐつ煮込んでいる時も、染色の最中も、僕たちに甘い香りを届けてくれました。

自分にも他人にも厳しい僕は、何らかのハンディをかかえているパートナーたちに対しても、染色のための半日間、常に布地にやさしく手をかけることを要求しました。 「手をかける = 愛情をかける」 です。
制作の際、いつだって皆、自分たちの布地を粗末に扱ったことなど、一度もありませんでした。 何もいわなくても布を触る時の素振りで分かります。

あの日の紅茶は甘い香りを失ったかわりに、美しい色彩を授かりました。 自然からいただいた色彩は何だかやさしく、触れる手にも暖かいのです。

今、目の前にあるランチョンマットとコースターは、あの時、一度だけ染めた想い出の紅茶の布地でつくられたモノです。
しかし、また、自然から得た色彩は、洗い、使われるなかで次第に褪せてゆく運命にあります。 だからでしょうか、使わないでしまっておいたのは。 きっと躊躇していたのでしょう。
やがて古い建物で暮らすようになり、手をかけ、生活を営むなかで、時間の経過とともに徐々に色褪せ、朽ちてゆくことが、決して悲しいことなのではなく、寧ろ美しいことなのだと僕に気付かせてくれたのです。