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アトリエかわしろ一級建築士事務所

Author:アトリエかわしろ一級建築士事務所
「がま口から建築物まで」
日々の生活につながっている モノづくり・住まいづくりのためのデザイン事務所です。

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09月24日(月)

大阪教会

日本でも最古級のプロテスタント教会として知られる大阪教会の、1922(大正11)年に建設されて間もない頃と思しき、周辺の街並みとともにおさまった写真を拝見したことがあります。
明治から大正期にかけて流行したレンガ造の建物としては最後の時代に相当する、ヴォーリズ(William Merrell Vories)設計の建物にしては意外なくらい、ある意味、無骨といえなくもない堂々としたいでたちの会堂は、今でこそつるぴかの高層ビルディングに周囲を取り囲まれ、異彩を放っているようにも見受けらるやもしれませんが、かつての土佐堀界隈は隣接する船場と同様、切妻屋根のがっしりとした骨太の商家のまにまにしっくいで塗りこめられた土蔵がそこかしこにそびえ建つ、いかにも商いの都 「大大阪」 の名に恥じない重厚で落ち着いた街並みに調和するよう配慮された、どっかと大地に腰を下ろしたかのような切妻風のフォルムにすらりとした鐘楼の組み合わせから、この地にふさわしい教会として生を受けたであろう成り立ちが手に取るように伝わってきて、長年の風雪や空襲、震災にも耐え抜いてきた、あのごつごつっとした印象のレンガ壁ですら、いつのまにやら懐かしくも頼もしい存在となって、いつの時代も変わることなく、この街の人々をあたたかな眼差しで見守ってくれているかのようです。

商家の作法に倣ってか、それとも敷地との兼ねあいか、大きな教会にもかかわらず、通りに面して間髪容れず積み上げられた表情ゆたかなレンガ壁の中央にエントランスが設けられ、けれども、その向こうがすぐさま 礼拝堂 というわけではなく、限られた奥行きのなか、一旦左右に振り分けられた、あのヴォーリズ建築に特有の 「いつまでも上り下りしていたい」 と誰もが願わずにはいられない、疲れとは無縁の、幅広のどっしりとした、ひどく手触りのよい手すりのある めくるめく階段 を体感してから、2階レベルの礼拝堂へと導かれる仕組みになっていて、このわずかな 間 をはさむうちに、しばし呼吸を整え、静かに居ずまいを正せば、ややもすと忘れがちだった素直なままの あなた自身 に出会えることでありましょう。

名だたる企業や銀行、文化施設にいたるまで、あり余る財力と上方の威信をかけて、贅の限りを尽くした目もくらむような建築はこの街に星の数ほどあれど、信仰心ある人々の献金によって地道にこつこつと積み上げられた大阪教会には、やはり素朴な レンガ積み こそふさわしいとの信念からか、ちょっとした装飾や化粧材はアプローチとなる階段室まわりと講壇のみにとどめ、驚くほどに質素な礼拝堂の大空間はしかし、空虚さなど微塵も入り込む余地さえないくらいの みずみずしい生気 に満ち満ちているのでした。

日本基督教団大阪教会 礼拝堂

空間を立体的に活用した多層構造ゆえ、礼拝堂を支える床スラブや梁材、基礎等に鉄筋コンクリートを併用してはおりますが、ひとつ、またひとつ… と、西欧の伝統に従い、あたたかな人の手で積み重ねられたおびただしい数のレンガによって教会としての骨格がかたちづくられ、すべての外壁はおろか、室内においても人の目線に近い腰壁や正面の講壇を縁取るプロセニアム・アーチ、側廊との間を程よく分かつ柱どうしをつなぐアーチといった、要所要所にレンガそのものの構造を臆せずあらわにする。

嘘偽りのない正直な表現方法は、どこか日本の柱・梁を隠さず見せる木造の伝統工法に通じる美学すら漂い、この国の土地に根を下ろす限り避けては通れない地震からの恐怖に、古民家も顔負けの図太い木材を、これまた西欧の小屋組みではすっかりお馴染みのキング・ポスト・トラスで分厚いレンガの壁をがっちりとつなぎ止め、 金輪際倒壊させはしないぞ! という、強靭な意志の強さが無言のうちに伝わってくるかのような建物は、つくり手たち、そして会堂に集い祈りを捧げる人たちのぬくもりが感じられる場所 とでも表現すればよろしいでしょうか。 ここには、壁にうがたれたちいさな窓ひとつ挙げても、ひとつひとつがそこに存在する意味がちゃんとあるのです。
永遠に交わるはずのない(と誰しも思っていた)、西欧と東洋の文化や思想がこれっぽっちも矛盾することなく、ただただ純粋な祈りの空間となって同調し、教会という名の建築物として何も変わらず、90余年にわたって存続し続けている事実には驚くほかありません。

かくまでも厳格に、直線と半円を巧みに組み合わせながら、いささかたりとも無駄のない(無駄にできない)、正直で力強い空間を創造し、人が直接からだを触れる礼拝堂の長椅子にのみ、微妙に曲率の異なるゆるやかなカーヴを与えながら、それとなく全体が講壇を包み込むようにひとつになっている。 決して完璧ではなく、どこかに弱さもあり、 「あたたかな血の流れる人間がつくったんだな」 ということが、手づくりの座布団を通して、おしりの下からやんわりじんわりと伝わってきて、きっと、こんな気持ちにさせてくれるのが ヴォーリズ建築 なのかな と。
 
03月26日(月)

ディスカバリー号の遠心室

「長く語り継がれる、優れたSF映画を撮りたい…」 まだ人類が月面に到達する以前、単純で痛快な娯楽作品としての宇宙映画が主流だった時代に、科学的信憑性に裏付けられた未来の姿を追い求めていた人がいました。 映画監督のスタンリー・キューブリック(Stanley Kubrick)です。

今からちょうど半世紀前の1968年に公開された映画 「2001年宇宙の旅(2001: A Spae Odyssey)」 は、SF小説家のアーサー・C・クラーク(Arthur Charles Clark)をはじめ、航空宇宙学に精通する科学者や技術者、デザイナーといった、映画づくりには直接関わりのない、その道のプロフェッショナルたちとの真剣勝負によって生み出された稀有な作品 とでも説明すればよろしいでしょうか。
完璧主義者として知られるキューブリックは、合理性を求めるゆえ、映画づくりそのものが分業化された感のあるハリウッドではなく、ロンドン郊外のスタジオを拠点にじっくりと、すべての工程に徹底して携わる方法を好んでいたようで、監督自身や撮影スタッフのみならず、重要な共同制作者である宇宙の専門家たちも家族ともどもイギリスに移り住み、完成までに3年余りを費やしたのだそうです。
それもそのはず、撮影現場を訪れたNASA関係者をして 「東のNASA」 といわせしめた。 映画ひとつのためにここまでやるのか! と驚嘆するくらいに、宇宙船の模型やセットづくりには妥協を許さず、考え得る限り最新の情報やテクノロジーが惜しみなく投入・検証され、いつ終わるとも知れない、気の遠くなるような地道な作業が日々繰り返されていたのでありましょう。

信じているものがある、表現したい世界がある…。 創作の世界に身を置く限り、夢と創造力を失わない姿勢がどれほど大切か。
公開当時は斬新で新鮮だったはずなのに、時間を経るごとに表面だけのきらびやかなメッキは確実にはがれ、色褪せてゆく宿命を背負った数多あるSF映画のなかで、2001年宇宙の旅 だけは半世紀を経ても一向に色褪せないどころか、むしろ、現実の21世紀以上に未来色に染まっているかのようです。
それは、監督であるキューブリック自身が、天才的ともいえるカメラの構図や非凡と認めざるを得ない音響センス、間合いを含めた比類のない構成力を持ち合わせていたこともありますが、もうひとつ、汲めども汲めども尽きることのない好奇心を持ち合わせていた点に注目しないわけには参りません。 とりわけ、リアリティの追及と美しさの共存に関しては尋常ならざるものを感じてしまいます。

リアリティを求めると、時としてプロの俳優では叶わないこともあるようです。
よく知られるところでは、国際宇宙評議会のフロイド博士が、月に向かう途中に立ち寄った宇宙ステーションから地球で暮らす幼い娘にテレビ電話を使って会話をするシーンに、キューブリックの愛娘が起用されている例が挙げられます。 通常であれば、演技のできる子役を採用すべきところですが、それではリアリティに欠けたのでしょう。
では、なぜ キューブリックの娘なのか というと、宇宙を駆け回るフロイド博士とスタジオに籠りきりのキューブリック監督は、(職種こそ違えど)ともに家族と過ごす時間が少ない多忙な境遇にあるため、撮影の際、カメラのそばに久しく会わない実の父親が立ち会うことで、ちょっとはにかんだ(演技ではない)素のままの親子の会話が成り立った と、想像しています。 ちなみに実際の撮影も、前もって収録した娘の映像に合わせて、フロイド役の俳優が会話を重ねていたとのこと。
もうひとつは(あまり知られていないかもしれませんが)、木星に向かう宇宙船のなかで、宇宙飛行士と交信をするシーンに登場するディスプレイ上の管制官は、実は米軍に所属する 本物の管制官 だったそうです。 これは、俳優の演じる管制官ではリアリティが感じられないため、急きょ幾名かの管制官を呼んでオーディションをおこなったのが理由というのも、ハリウッドの常識では考えられない、興味深いエピソードです。

宇宙でのシーンを描くためにはなくてはならない、宇宙船や宇宙ステーション、月面基地等の構想や製作には、現代では当たり前のデジタル技術など皆無に等しい時代ですから、人間の知恵と手作業だけが唯ひとつ残された手段となります。 むろん、航空宇宙業界では一流の名をほしいままにするプロ集団も、映画の世界に精通しているわけではありません。
キューブリックは近未来のリアリティに加え、スクリーンに映し出された際に説得力のある機能美をも求めるため、有能な彼らをもってしても潜在能力のすべてを出し切らねば要求に応じられない、相当厳しい状況に追い込まれていたものと推察されます。
常に鑑賞者の想像する世界の上を行かなければ、本当の創造力は働くはずもなく、 「なぁんだ、そうか!」 と、すぐに合点してもらっても、眼前の世界がひろがるはずはないのですから。
辛く苦しい、けれども十分に手ごたえのある作業の数々は、創作に携わる者にとって、ある意味、一生に一度あるかないかの至福のひと時であったに違いありません。 その功績を雄弁に物語るかのような、どれもこれも目を見張る映像のなかでも、とりわけ個人的に興味深いのが、宇宙船・ディスカバリー号(Discovery One)の存在です。

地球と宇宙ステーションとを結ぶ流麗なオリオン号。 宇宙ステーションを経て月面基地へと着陸するずんぐりとしたアリエス号。 ぼこでこした月面上空を音もなく(当然空気がないので)滑走する通好みのムーンバス といった、観る者の期待を裏切らない未来の乗り物からバトンを託され、8億km離れた木星を目指すディスカバリー号は、地球という名の惑星に暮らす、ありとあらゆる人々の思い描く宇宙船の概念をいともやすやすと飛び越える、特異な、けれども極めて理にかなった姿をしております。
全長520フィート(約158m ※ 諸説あります)という長大な船体のうち、乗員たちが活動できるのは先っぽにある、直径にしてわずか52フィート(約16m ※ 諸説あります)の球形をした司令船モジュールのみ。 5名の定員のうち、3名は木星探査を任務とするため人工冬眠の状態で乗船し、残る2名の乗員が片道1年間の航行に携わる という設定です。

ディスカバリー号には、6番目のスタッフというべき、人工知能を搭載したコンピュータ・ HAL9000 によって制御された環境下に置かれ、宇宙飛行士として選び抜かれた若く優秀なエリート乗員たちが共生してゆくわけですが、エリートといえど生身の人間ですから、そこは抜かりなく、漆黒の宇宙空間での長期滞在に配慮された居住スペースとして 「遠心室」 なる部屋が用意されております。

ディスカバリー号 遠心室

ドーナツ状をした巨大な宇宙ステーションを、あたかも ぎゅぎゅっ とコンパクトに縮小したかのような遠心室は、その名の示す通り、室そのものが回転することによってもたらされる遠心力を活用し、宇宙船内に人工的な重力空間をつくり出す仕組みです。
回転イメージは、遊園地でいうところのメリーゴーランドではなく観覧車のような縦廻りの状態。 しかも、外周の湾曲したところがぐるり床面で一周出来る エンドレス空間 になっています。

極限の空間が要求される宇宙船という特殊な環境下で、限られた気積のなか、ひろがりのある住空間を確保しようとすると 「成る程、こうなるのだな」 と、妙に納得してしまう革新的な遠心室を映像化するにあたり、キューブリックはなんと、スタジオ内に実物大のセットをつくってしまったのです。
内径約11m、内幅約3m(推定)のリアリティを観客に伝えるため、映画ではハチャトゥリアンのバレエ組曲とともに、気の遠くなるような長大なディスカバリー号の外観をじっくりと見せた後、いきなり無機質な純白の遠心室内をぐるぐるとジョギングする宇宙飛行士の姿を詳細に映し出しています。 このシーンを実現するため、巨大なセットは電気モーターによってまるまる回転し、ジョギング中の俳優が転倒することなく、常に安全なドラムの底面を維持できるよう、慎重にタイミングを見計らった上で撮影がおこなわれたそうです。

2001年宇宙の旅では、個性的な宇宙船の外観デザインもさることながら、それぞれの内部デザインに対し、各々工夫が凝らされているのも、大きな見どころのひとつといえるでしょう。
航空機スタイルのオリオン号の客席は、縦列状で照明もまず一般的であるのに対し、まんまるいアリエス号の客席は中央の円筒エレベータを基点に放射状に配した上、エレベータ周りの床面を明るく、座席はほの暗く落ち着いた照明計画。 宇宙ステーションの室内は床も壁もつるり真っ白とし、低く、かつ、ゆるやかに弧を描く天井全体が発光する建築化照明を採用して、陰翳のない均一な照度を確保しているのに対し、ディスカバリー号の遠心室は、天井が高く(というようりも天井という概念が成立しない)、円盤状の壁の狭間にある逆境を活かしつつ、円盤をスライドさせた隙間にスリット状の間接照明を仕込む… といった具合に、こちらもさり気なく、それとなく、照明の建築化をやってのけています。
そんななか、壁の円盤となかば一体化した各種制御デスクやダイニング・コーナー、睡眠カプセルや洗面台等が、適切な動線計画に基づき配されて、惑星間を航行する乗員たちの暮らしをサポートする環境が過不足なく整えられているようです。

ディスカバリー号は、未来の宇宙船らしく、金属ではなく樹脂やセラミック素材によって完璧なまでにシステム化された真っ白な内装デザインのなかで、ひときわ目を引くのが、所々黒く塗装された制御パネルに組み込まれた色とりどりの操作ボタンとディスプレイではないでしょうか。
今であれば、フラット・パネルにCGを表示させることなど造作もないのでしょうが、背後のあちらこちらで続々と情報を提供する、なんてことないグラフィックスは、すべてが手描きのアニメーション手法による労作で、セットの背後にはひとつひとつプロジェクターを並べて投影させる、単純かもしれないけれど実は奥深い。 クールなのにどこかあたたかい。 血のにじむような努力の積み重ねが、この映画がいつまでも色褪せない秘密なのかもしれません。

すべてのシーンを諳んじるくらい、繰り返し繰り返しこの作品を観つくした方であれば、おそらくは 遠心室の床のパターン について、いささか疑問を抱かれたものと思われます。
床のプラスティックタイル(あるいはゴムタイル)は、よくよく観察すると遠心室の特性上、結構湾曲していることもあって格子状に滑り止めの加工が施されておりますが、なぜか、その中心に 黒く丸い模様のようなもの が規則正しく並んでいます。 これが真っ白い空間の中で程よいアクセントになる上に、床と壁の違いも分かりやすく、視覚的に意味のあるものには違いないけれど、果たしてそれだけなのだろうか?。
そんなことを思いながら、撮影風景を記録したものと思しき写真をぱらぱら眺めていると、遠心室のなかに何やら大きなカメラや照明器具などの撮影機材が置かれてあったりします。 映画ですから当然といえば当然ですが、更に注意してみると、床の一部がぽっかりと黒く抜け落ちている様子が見受けられるのです。
これは、あらかじめパネル状に分割された床板を取り外したところで、どうやら、そこから機材を運び込んだりスタッフや俳優が出入りするらしく(※ 緊急用の脱出口としても機能している)、黒い丸にみえた模様(実は床のちいさなくぼみ)は、床板を開け閉めする際の 指掛かり として用いられていたのでした。

漆黒の宇宙空間のなかで、長期間滞在せねばならないという任務。 しかも、宇宙船の制御は基本的に人工知能を搭載したコンピュータによって支配されているのであれば、楽しみなのはジョギングと食事くらいでしょうか。
そのせいか、映画のなかでは食事のシーンが頻繁に登場しています。 ディスカバリー号も例に漏れず、(NASAより提供された本物の)ペースト状の宇宙食を、ボタン操作により ささっ とメニューから選ぶや否や瞬時に暖め、ガラスの取り出し口が次から次へ すすっ と開閉して速やかに調理が完了する。
無駄のない一連の動作と、隣接するダイニング・コーナーのテーブル上に置かれたタブレット端末で地球から配信されるニュースを観ながら食事をおこなう。 すべてが自動化され、効率化された未来感満載な世界において、400万年前の人類創成期から変わらない、日々のささやかな食事がいかに幸せか。
そして、ダイニング・コーナーの向かいで何かの拍子にちらっと目に映るのが、宇宙船とも木星探査とも唯一、まったく関係のないキーボード(ピアノ鍵盤)なのは、どれだけテクノロジーが進歩しても、どれだけ遠く地球から離れても結局、人間らしい営みは必要なのだというメッセージを、キューブリックはこの映画を通して語っているのかもしれません。
 
01月26日(金)

ジン・ソファ

まだ20代だった オリヴィエ・ムルグ(Olivier Mourgue) が、フランスの家具メーカー エアボーン・インターナショナル(Airborne international)に在籍していた1965年頃にデザインした 「ジン(Djinn)」 と呼ばれる一連の家具があります。

ジン・シリーズ

もし、1968年に公開された映画 「2001年宇宙の旅(2001: A Space Odysseye)」 をご覧になった方であれば、記憶の奥底にしっかと焼きついているかもしれない…。 そう、あのモダンに進化した巨大な観覧車みたいな宇宙ステーションのなかでのシーンです。
床と天井がゆるやかに湾曲する真っ白い、何もかもがつるつるぴかぴかのプラスティックで出来上がった無機質なホテルのロビーに ぽつ ぽつ ぽつ と、大気圏外では人類以外に唯一存在する生き物かと見紛うくらいに有機的なカタチをした、ちっちゃな背もたれ付きの赤いソファ。
宇宙空間で人間が身体をあずける家具はやっぱりこうでなくっちゃ と、宇宙のことなどちっとも分からなくても、誰もがそう納得するだけの不思議な説得力をもって、公開当時は間違いなく近未来だった2001年の更に十数年先に暮らす未来人(のはず)の僕たちにも、十分すぎるくらいに未来を夢見させてくれる、数少ない名作家具のひとつです。

劇場のスクリーンを通して鮮烈な印象で登場した ジン・ソファ も、製造メーカーの操業期間が1963年から76年と、意外に短命に終わったこともあり、実質製造されていたのはせいぜい10年あまりですから、残念ながら今ではめったにお目にかかる機会はありません。
実際、僕が拝見したオレンジ色のアーム付きソファも、当時のコンディションのまま大切に保管されている、いわゆる ミュージアム・ピ-ス でしたので、座ることはおろかこの手で触れることすら許されない。 けれども、実物をひと目見ればそれが単に斬新なだけの代物でなく、真っ当な考え方で存外素直にデザインされていることに気づくはずです。
ジン・シリーズに共通するのは、複雑な曲面を描きながら、いずれもメビウスの輪のごとく ひとつながりのカタチ として完結しており、それを一枚の縫製された(複雑極まりない)布地ですっぽりと袋状に包み込んでしまう 「張りぐるみ」 の手法が用いられていることです。 布というやわらかく肌触りのよい素材のみで、なおかつ極力床に接しないよう、合理的な思考方法を有機的な形態で解決しようとすると、おのずと導かれるように、このような浮遊感あふれるデザインになったのでしょう。

椅子づくりの基本とはすなわち 「身体との近しい関係を、いかに構造的に成り立たせるか」 のひと言に尽きるのではないかと常々考えていて、そのいずれかを放棄したり、あやふやに誤魔化したりしている不誠実なつくり手は決して評価しない方針にしている…。 そんな、厳しい視点から吟味しても、どれ程念入りに石橋をたたいても、このソファからはこれっぽっちの埃すら出ようはずもありません。 そのくらい、包み込むような愛情と、いささかの妥協をも許さないのだという、つくり手たちの真摯な姿勢がひしひしとこちらに伝わってきます。

ジン・ソファ

大切なくつろぎのひと時なのに、うっかりかかとやつま先をぶつけてしまう窮屈さなんて、誰にとっても不愉快な出来事に違いありませんから、たとえゆったりとした座り心地が求められるソファであっても、当然ながら足元には何もないにこしたことはありません。 そう考えると、座は薄くふわりと宙に浮かせ、支えとなる脚もできるだけ軽やかにした上で、邪魔にならないよう端に寄せつつ踏ん張るような形状にしておけば、構造的にも視覚的にも安定します。

人の表情に見立てるなら、さしずめ えくぼ に相当するであろう背や座の微妙なくぼみは、人のおしりや背中にしっくり馴染むために。 にょきっと湾曲しつつ伸びるアームは、自然と肘を下ろしたところで背後からの頼もしい支えとなり、敏感な指先が触れる先端には程よい丸みが与えられている… といった具合に、そもそも人間の身体そのものが有機的なわけですから、それにふさわしいカタチを捜し求めた末にたどり着いたであろう、若きオリヴィエ・ムルグがスペースエイジの時代に夢見た、張りぐるみデザインの最終到達点だったのかもしれません。

タイムマシンに乗って未来に引越しでもしない限り、到底、現代の暮らしに調和しそうにもないなと観念せざるを得ない。 そのくらいに、時空を超越したかのようなデザインのソファ。 何しろつくられたのが1960年代から70年代にかけてですから、コンピュータ制御の高度な工作機械が自動的に生み出したのではない ということくらいは、誰の目にも明らかです。
そこでいろいろと調べてみると、ジン・シリーズは、まずスチールパイプ製のフレームが基本骨格となり、まわりは人間でいうところの筋肉に相当するウレタンフォームによってまんべんなく覆われ、そこに皮膚のようにぴったりと張りつくようにして布地でくるまれる という仕組みになっていて、家具というよりも、むしろ人間の身体を連想させるようなつくりになっているもよう。
複雑に曲がりくねったパイプの加工や、表面にはあらわれないけれど、適度な沈み込みを制御するために欠かせない下地の入念なテープ巻き、なめらかにうねるウレタンフォームの肉付けから、シワひとつなくフィットすることが大前提の布地による仕上げの過程に至るまで、流麗な姿からはとても想像できませんが、どれもこれも決して機械任せにはできない、熟練された手仕事なくしては実現不可能な、地道な作業によって支えられていたのです。

おそらく、同じ時代に制作された映画 「2001年宇宙の旅」 にしても、同じようなものだったのではないでしょうか。
今であれば、高度なコンピュータグラフィックスの技術を駆使して、非現実的な映像作品も比較的容易につくり出すことが可能なはずです。 しかし、便利さにおごって、それまでの過程のなかで端折ったり切り捨てたりしてしまった大切な 何か がいかに多いことか。 そこには膨大な時間や労力だけでなく、つくり手たちのあふれんばかりの想いや情熱、そして夢がつまっていたに違いありません。
彼らが夢見た本当の意味での21世紀は、実はおとずれてはいない。 まだまだ遥か遠い存在として、いまだに未来のままなのでした。