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アトリエかわしろ一級建築士事務所

Author:アトリエかわしろ一級建築士事務所
「がま口から建築物まで」
日々の生活につながっている モノづくり・住まいづくりのためのデザイン事務所です。

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12月01日(木)

ヴィクター&ロルフ のジャケット

京都国立近代美術館の建物は、あらゆる場所が工夫次第で展示スペースとなるように、建築家によってさまざまなきっかけが用意されているのですが、これが企画展示をおこなうキュレーターにとってはなかなかの難問とみえて、冒険心あふれる試みはおろか、積極的な展示自体みかける機会もそんなに多くはないのが実情です。 それでも僕の知る限り、2004年の春に開催された 「COLORS ファッションと色彩 VICTOR & ROLF & KCI」 は、優れた展覧会としていまだに強く印象に残っています。
これは、定期的に開催されている ファッション をテーマとした企画展のひとつで、通常は美術館側のキュレーターが作品の選定や会場構成を手がけるべきところを、オランダを拠点に活動する2人組のファッションデザイナー・ ヴィクター&ロルフ(VICTOR & ROLF) が、ゲスト・キュレーターとして参加しているところに特徴があります。

実際、彼らの提示した会場構成は、それまでさんざん専門家を手こずらせていた一癖も二癖もある展示空間を、通常動線を無視した上で、色彩をテーマとした7つの小部屋を 真珠のネックレス のようにつないだ完成度の高いもので、ちょうどネックレスのカナメの部分にあたる、来館者が最初におとずれ、ぐるり一巡した最後に再び出会うエントランス的な役割を担う楕円形の展示室に、白いマネキンが纏うたった一着の衣装が置かれてあって、それは一室の空間のなかで、確かな存在感を示すに足るだけの魅力を秘めた一着だったのです。

ヴィクター&ロルフのジャケットとパンツ

その衣装とは、ヴィクター&ロルフが2003年の秋冬コレクションとして発表した作品のなかの一つに相当し、通常女性服であれば、どちらかといえばスカートとの組み合わせで、やはり女性特有のまろやかなからだのラインを損なわないものであるべきことろを、もちろん彼らもそのような作品を手がけてはおりますが、少なくとも2003年の 「One Woman Show」 と題されたパリでの秋冬コレクションに関しては、スカートよりも圧倒的にパンツとの組み合わせを重視し、黒や茶といった地味な色彩に、モデルは派手なメイクもなく、一切のアクセサリーはおろか、ひかりモノすらない。 装飾といえる装飾はないけれど、誰もが当たり前に意識しているエリやソデといったお馴染みのパーツを誇張、あるいは重層化することで非日常的な世界観をつくり出してしまうのですから。

女性らしいやわらかいラインは意図的に、しかも注意深く排除され、かっちりとエッジの利いた男性的なラインへと巧みに翻訳された衣装は、すらりとした長身の女性モデルを男性以上に格好よくみせるために用意されたものなのだと気付かされ、ぴったりと後ろに撫で付けられた髪には、こまごまとしたアクセサリーも、過剰なメイクすらも必要ないのだと納得させるだけの力が、確かにそこには存在しているようでした。

男性がみても惚れ惚れするようなショウの一番最後に登場する、女性モデルの纏うジャケットとパンツは漆黒のウール地で、その下に着込んだシャツは男性がごくごく普段身につけているようなカタチなのに、さすがに胸元はだけて8枚も重ねられると、十二単(じゅうにひとえ)を知る日本人ですら異様と感じざるを得ない有様。 肩まで拡張したエリ先のさらに外側にジャケットのエリがはみ出して、そこからウエストまで一気に絞り込んだ上、さらに足元まで細身のパンツで絞りつくしたシルエットは、美しい 「V字型」 になっており、破綻するどころか見事なプロポーションにまとめてありました。
8枚もの層を成す エリの連なり は結局、モデルの耳までの高さを覆い尽くしてしまっていて、こうなってしまうと衣装に人が負けてしまいそうなものなのですが、シャツの前あわせのはだけたラインと、ジャケットのエリのラインが、ちょうど人のからだの真ん中の、おへそのあたりに向かってきれいにV字を描くようになっており、いわゆるスーツ姿の男性の 「Vゾーン」 と呼ばれる、エリ元からネクタイの見え隠れするちいさな逆三角形を、何倍にも巨大化する効果を生み出して、普通であればネクタイの結び目あたりに焦点が揃うべきところを、どうやら モデルの凛々しい顔にぴたりと焦点があう という筋書きになっているらしく、ありきたりのパーツでもって、これほど着る人の存在感を際立たせる衣装はそうそうあるものではありません。

このように、ヴィクター&ロルフの手がける作品は、日々の生活で使用する衣装あるいはパーティー用のドレスから、ファッションの可能性を表現する アートピ-ス としての衣装にいたるまで、広範囲に及んでいることが分かります。
上記のジャケットとパンツは実際に着用はできますが、純粋に作品としての価値が高いこともあり、 KCI(京都服飾文化研究財団) のコレクションになっていて、2004年に企画展のエントランスを華々しく飾った というわけです。
現在はオートクチュ-ル、すなわち注文による(高級)仕立て服のみ展開し、とりわけアートとしての顔を併せ持つレディス・コレクションの影に隠れがちななか、ヴィクター&ロルフが2003年から15年にかけて 「ムッシュ(Monsieur)」 と呼ばれるメンズのプレタポルテ・コレクション(既製服)を手がけていたことをご存知でしょうか。

興味深いことに発表当時、メンズ・コレクションのモデルは、毎回デザイナーである彼ら自身がつとめていて、どの衣装も決して斬新さや華やかさはないけれど、日々の彼らの生活に必要なモノを素直にカタチにしたような、肩肘張らない等身大のヴィクター&ロルフの姿が垣間見れるような気がしてなりません。

ヴィクター&ロルフのジャケット

写真の黒いジャケットは、2004年の秋冬コレクションとして発表されたごく初期のメンズ・ラインです。
この手のかっちりとしたジャケットであれば、普通は光沢が美しいシルク、冬物であればあたたかな肌触りのウール素材あたりを用いそうなものなのに、ここでは 世間に気兼ねなし といった装いの裏地を含めて全て素朴なコットン地で仕立ててあり、どこか我が家にでも帰ってきたような安らぎを感じる、いかにもコットンらしい、厚手のほっこりとした素材感はそのままに、それでも全体のシルエットはエッジが利き、ソデはぎりぎりまで細められ、肩から胸にかけてのラインは、男性特有の筋肉質の厚い胸板が忠実にトレースされている上、 ここだけは絶対に譲れないぞ! といった、つくり手であるデザイナーとテイラー職人の誇りがきちんと込められていて、たかがコットンジャケットと思われるやもしれませんが、かえってこれを着る人は、ソデ通す段階で彼らのお眼鏡にかなうかどうかが試される といっても過言ではないでしょう。
それでも巷の紳士服にありがちな、がちがちの堅物にならないのは、真っ黒いシルエットの内側の、トリミングの施されたエリからスソにかけてのまろやかな曲線と、外付けポケットの丸みのあるカタチが、どこか婦人服の持つやさしさに通じているからなのかもしれません。

こうしてみると、純粋なアートピースとしてのレディス・コレクションも、普段着感覚のメンズ・コレクションも、表現方法は正反対のようでいて、実のところ根っこの部分はさして違わないのではないかとさえ思えてしまいます。
ひょっとしたら、ヴィクターとロルフはこんなふうに考えているのではないでしょうか。 「ファッションとは身に纏うものであり、多くの人々にみられるものだということ。 僕たちは表現したいアイデアをいっぱい持っているけれど、あなたたちの知らない所で職人たちの技術がしっかりと支えているものなのですよ」 と。
 
12月16日(水)

マルコ・タリアフェリのレザーブルゾン

マルコ・タリアフェリ(Marco Tagliaferri) という人は、メンズにしろ、レディスにしろ、決してヤワな服はつくらない、どこか野武士のような雰囲気を持ったデザイナーです。
そんな彼自らの名を冠したブランド 「MARCO TAGLIAFERRI」 は、レザーを得意とするがゆえ、細かな流行に揺さぶられることのない、芯の通ったスタイルを持ち合わせているようです。 そもそもレザーという素材は、一年・二年といった短いスパンで使い捨てられる性格のものではなく、10年・20年といった長いスパンで語られるべきものであって、それに相応しいデザインが過たず与えられていなければなりません。

レザーに対して絶対的な自信を持つマルコ・タリアフェリは、彼の衣類を取り扱っている日本のセレクトショップからのリクエストに応じ、それ程多くはない数の 白いレザーブルゾン を2006年、限定で発表しました。

マルコ・タリアフェリのレザーブルゾン

過酷な使用にも十分に耐えうるよう、 黒や茶 といった堅実な色合いを主に採用してきた彼は、普段手がけなかった 「白」 という色に対し、 汚れが目立ちにくいから と、安易にアイボリー色に流されることなく、 レザーでなければ成し得ない世界を表現する またとない機会 と前向きにとらえ、 純白のレザー(羊革) をあえて選択したのではないでしょうか。
当然、ヤワな服などつくらない野武士ゆえ、表地同様に木綿の裏地も純白。 まるで 「心して着るべし!」 とでもいい出しかねないくらいに。

純白をまとった、ハードとは対極の 清楚 という言葉が如何にも相応しいシルエットは、男性らしく胸板の厚さを損なわないよう、肩から胸へと流れるような曲線を描き、本来ならばウエストにかけて きゅっ と絞り込むべきところを、何てことないように すとん と真っすぐ裾へと落とされています。
裾のかたちは、よくあるシャツのそれに似て、切れ込んだ両脇から前後にまるく垂れ下がるような曲線を描いていて、通常はスリットを入れて直線に処理される ブルゾンやジャケットの感覚 からすると、明らかに異色です。
それでも、よくよく注意してみると裾の下がり具合が 「前側よりも幾らか後ろ側を長めに残してあること」 に気付いたとすれば、間違いなくその方はオートバイに乗られているはず。
オートバイにまたがって前傾姿勢をとると、どうしてもお尻のあたりの裾がずり上がってきてしまうものですから、それを見越してあらかじめ、後ろ側の裾を幾分 長め につくっておくのです。 この際、両脇にスリットを入れておくと、少々丈が長くても風でばたつかず、ぴったり体にフィットする というわけです。
前あわせのファスナー部を、(街着のように露出せず)あえて数センチ かぶせ をつくって二重にしているのも、金属を隠して純白のレザーの印象を損ねないための理由 というだけでなく、オートバイ特有の、 前方からの風圧によって体温が奪われることを防ぐ必然性に由来しているからに違いなく、 だから、デザイナーであるマルコ・タリアフェリ自身、普段からオートバイを愛用し、常に実用性を意識しているのだろうと想像されます。

マルコ・タリアフェリのレザーブルゾン

簡潔で清楚なイメージを、レザーという素材でもって如何に表現しうるか。 ここには、二つの ひみつ が隠されています。
まず一つは、白いレザーの表面の光沢を(意図的に)抑えていること。
通常 白 という色は、表面に光沢があると光線を容易に反射してしまいます。 ところが、表面の光沢を取り去ってしまうとどうなるでしょう。 一転して光を吸収してしまいます。 素材のテクスチャにもよりますが、和紙などはその 最たるもの といえるでしょう。 たとえば、障子は適度に外光を吸収して、程よく ろ過 された、やわらかく心地よい 明り をもたらしてくれるといったように。
この障子にも似た 繊細な光の陰影 を、レザーで実現していることに驚きの気持ちを禁じ得ません。
そして、その効果を巧みにいかして、滑らかなレザーに適度な うねり を持たせています。 これが ひみつ の二つ目。 この うねり を表現するために、衣類として縫製まで仕立てた最後の最後に、どうも 水洗いをしている らしいのです。
ご存知のように、レザーに水洗いは厳禁です。 なぜならば、革という素材は水に濡れることで次第にしなやかさを失い、劣化しやすくなるからです。 それを百も承知の上で、どうしてそのようなことをやっているのか? と問えば、マルコ・タリアフェリはきっとこう答えるのではないでしょうか。
「僕たちは、一度や二度水洗いしたくらいで傷んでしまうような、そんなヤワなレザーは使わないんだよ」 と。

こちらもご存知かもしれませんが、レザーも木綿も、水洗いして乾くと幾分 縮み が生じます。
ちなみに、このレザーブルゾンの特徴的な 裾 は、ちょうど表地のレザーと、裏地の木綿とが ぶつかっている 箇所に相当し、当然ながら、かっちりすっきり と縫製で処理されているべきはずで、ただし、これを意図的に水洗いすると、乾燥したあかつきには、木綿もレザーもそれぞれ収縮率が異なりますから、どちらかが引っ張られる理屈になり、収縮効果によって、裾の木綿の方が余計に引っ張られ、表面のレザーがふんわりと盛り上がる。
この何とも絶妙なラインが、シャツの裾のように湾曲しているがために、独特の立体的なシルエットを浮かび上がらせることになったのです。

イタリア生まれの野武士は、素材を熟知しているだけでなく、類まれな 審美眼 も持ち合わせていたのでした。

マルコ・タリアフェリのレザーブルゾン
 
04月16日(木)

ウォルシュ のレザースニーカー

ずいぶん以前にレザースニーカーを買ったことがあります。 詳しいことはよく分かりませんが、それでも控えめなタブに 「BOLTON ENGLAND」 と記されてあるので、なるほど英国製なのだな、ということくらいは分かりますし、つくり手がどんな想いを託したのかということも、何となく理解できるような気もするのです。
モノのほうから語りかけてくる。 というと、皆さん不思議に思われるかもしれませんが、もちろん モノそのものが声を出す というわけではなくて、人の手でつくられたモノには、つくり手の気持ちがちゃんと込められていることがあって、それが使い手に、こころを通して届くことが稀にあったりするものなのです。 それを、脳が一種の 声 として翻訳する。 言葉では、英語ができないと理解できないけれど、モノであれば言語は必要ありませんから、こんなときは重宝します。

ウォルシュのレザースニーカー

「walsh(ウォルシュ)」 のスニーカーには、他の有名メーカーのように、カリカリととんがったところがありません。 あっと驚くような斬新さも、最先端のテクノロジーもありません。 巷で人気の売れっ子デザイナーを起用しているわけでもありませんし、もしかしたら社内にデザイナーといえる人すら存在せず、職人がデザインから制作までを手がけているのかもしれません。 そのくらい正統派で、頑なに伝統の技を継承し、真摯なモノづくりをしているような におい がする。 とでも説明したらよろしいでしょうか。
素材をきちんと理解し、小手先でちょこまかと余計なことをしないし、おせっかいでない。 これほど地味な面持ちのスニーカーには、今の時代、なかなか出会えないものです。

この、地味なレザースニーカーをつくった職人さんはきっと、すっかり使い込まれ、擦り切れた前掛けを纏い、幾分白髪まじりの髪を無造作に撫でつけて、眼光するどく 「果たして君に、このスニーカーを履きこなすことができるかな?」 とでも、いっているような気がして仕方がありません。 もう、胸を張って自信満々といった様子で。

職人さん自慢の素材は、靴ひもと靴底を除いては、中敷きを含め全てレザーです。 気持ちがよいくらいに迷いなく、しかも厳選されたレザーは、主に、革の裏面を起毛させて、しっとりふんわり仕上げた黒いスエードを採用し、足に直接触れる部分には、更にやわらかく、しっとりしなやかな革(羊、あるいは鹿でしょうか)を茶に染めて、でしゃばらず、限りなく上品なイメージにまとめています。
いずれもレザーは上質で、しかも、普通の革靴で用いられるそれよりも、かなり薄いものが意図的に選ばれています。 スニーカーは、軽くなければ意味がありませんから。
レザーの優れた特性は、見た目の美しさや質感、通気性のほかに、擦り切れにくく耐久性が高い点があげられます。 このスニーカーはよくみると、つま先や、靴ひもを通す穴のまわりは外側から2重に、かかとやくるぶし、甲のあたる部分は裏側から2重に、という具合に入念な補強が施され、外側と内側の切り替え部分をぴったり一致させて、ミシンのステッチがうるさくならないよう、すっきりあっさりと仕上げられています。
このような、さり気なく隙のない高度なデザインは、靴の特性を隅々まで知り尽くした職人でなければ成し得ないはずで、しかもそれが、職人気質といった頑固さをつゆほどもみせず、洗練された表情にまとめてしまうのですから、つくづく大したものです。

だから僕は、靴ひも結ぶときも、アイレット(※ 靴ひもを通す穴のこと。)の一番上まできっちりと編み上げて、きりりと締め上げる。 半分くらいのアイレットで、いい加減に結んでずぼらに脱ぎ履き… 、なんていうことは絶対にしません。 つま先とかかとだけを芯で補強し、あとはぺろんとした革だけで潔く勝負しているスニーカーは、きちんと靴ひも結ぶことで、薄くしなやかな革がしっくりと足に馴染む。 そんな、ブーツのかっちりとしたフィット感とはまた異なる安心感がある、軽やかなレザースニーカーの感覚を、僕は日本の 足袋(たび) に例えてみたいのです。
現在の足袋は、 こはぜ と呼ばれる金具を留めて履くわけですが、それ以前は ひも で足首に結び付けていたようですし、素材に布が用いられるようになったのは、江戸時代からの話で、それよりも以前は、やわらかい鹿革などでつくられていたそうですから、いにしえの日本人の 革の足袋に草鞋(わらじ) という組み合わせを、レザースニーカーの、ゴム底に革の甲を縫い合わせた 編み上げ姿 にだぶらせたとしても、あながち間違いではないと思いませんか。 誇り高い英国の靴職人さんが、そこまで知っていたかどうか、知る由もありませんが。