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アトリエかわしろ一級建築士事務所

Author:アトリエかわしろ一級建築士事務所
「がま口から建築物まで」
日々の生活につながっている モノづくり・住まいづくりのためのデザイン事務所です。

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02月25日(月)

ローズガーデン

神戸の魅力は、港にほど近い平坦な旧居留地からしばらく北上すると、ゆるやかに始まる、おだやかな瀬戸内海を望む南向きの坂道の絶妙な傾き加減にあるようです。 あの ゆるさ加減 がすこぶる住みやすく、日常的に歩いても左程苦にならない。 洋装や、袴+ブーツ姿で颯爽と行き来できる街のスケール感や地理条件からして、そもそも洗練されている。 明治の開港以来、異人館の建ち並ぶハイカラな土地柄も 「さもありなん」 と、納得するほかありません。

坂道の街・神戸を象徴する北野エリアは、そのハイカラさゆえに少々背伸びした大人(理想)のあなた自身に出会える、どこか特別な場所としての魅力も秘めている。 そんな、有数の観光地としての顔はむろん、長らく高級住宅地として愛されてきたこの街に、すっかり溶け込んでしまっている商業施設があります。 安藤忠雄の設計により、1977年に誕生したローズガーデンです。

安藤忠雄ほど純粋に、その場所と建物との関係を大切にする建築家は、他にはいないのではないでしょうか。
創作の出発点はここにある と、確信せざるを得ない。 初期の代表作に数えられるローズガーデンは、神戸という特別な街に対する憧れや愛情を、 街づくり というひろい視点から、じっくりと時間をかけて向き合い、時に悩み、苦しみながら創造されたちいさな宝物。
巷にあふれる建物は、そのほとんどが敷地という境界線のなかだけで完結してしまっているのに対し、ことローズガーデンに関しては、ちまちまとした境界線などきれいさっぱり消滅し、あたかも ひとつの街 として成立したかのような印象を受けてしまいます。

普通、商業施設というのは、人通りが多く、視認性の高い主要な道路に面して入口を設けるのが鉄則といえるでしょう。
ところがローズガーデンの場合、驚くことに、メインの山本通から出入りできる店舗は通りに面した一部だけに限られていて、大半の店舗にアプローチするためには、わざわざ建物の側面に回り込むようにして坂道を下り、あたかも茶室における にじり口 のような、ちいさく目立たない入口を潜り抜け、建物中央にある広場を経由しなければならない仕組みになっているのでした。

ローズガーデン

この 「坂道を使う」 という、神戸の街の北野界隈でなければ到底成立し得ない、至極真っ当な発想が、決して広くはない限られた敷地のなか、上下方向へと空間が展開・拡張してゆく一種の 道しるべ として、1970年代当時の若き建築家を、豊かで奥深い創作世界へと誘うきっかけになったものと推察されます。

さすがに、ここまでは観光地化されてはいまい。 素顔の神戸 といっても差支えのない、勝手知ったる坂道をとことこ下って、商業施設というよりは、むしろ知人の住宅にでも訪問するくらいのさり気なさでもって、商業施設にしては存外知的な面持ちの建物ににじり入れば、ヒューマンスケールな屋外広場を取り囲むようにして、南北に半階ずつレベルを変えながら展開する屋外デッキと、双方をつなぐ二つの階段によってぐるぐる回遊しながら、上へ、上へ、不思議と足取りも軽やかに、するすると苦も無く行き来できてしまうスキップフロアの妙。

写真だけでは分からない。 頼もしい構造体でもある、レンガ仕上げのコンクリート壁がちょっと斜めに振れていたり、あるいは一旦視界が遮られることで、単調なはずの上下移動にめくるめくような体験が伴うだけでなく、壁と壁との間に切り取られた向こう側には、思いがけず 「神戸ならでは」 の風景が垣間見える という、気の利いた演出が用意されていたりします。
ことに、最上階の3階店舗へと至る道のりは、レンガ仕上げの壁と壁との狭間から見上げる視線の先、遮る何物もない、おだやかに晴れ渡った空の下、その先に続く路地状の通路を経てようようたどり着く、とっておきのペントハウス(離れ)になっていたり… という具合に、1階には1階の、2階には2階、地下には地下、最上階には最上階、それぞれの魅力を持ち合わせた、均一ではない、本来あるべき街の姿をひとつの建物として表現し得た、稀有な試みといえるでしょう。

たとえ商業施設といえども、時代のムードに安易に流されることなく、この街のために、相当に時間をかけて、工夫に工夫を重ね、隅々にまで細心の注意を払って設計・施工されたローズガーデンを訪ねた折、一か所だけ、どうにも腑に落ちない箇所がありました。
建物の肝ともいえる広場に面した、屋外階段の下の三角形した隙間に、あるじを失って久しいと思しき、広さにして一畳あまりにすぎない極小の店舗(らしき)空間が、ぽつりとしつらえてあるのですが、一体どのように使われるのか判然としません。
通常であれば、ついでのついで、せいぜい物入か何かに活用する程度の、ひどく使い勝手の悪いスペースではあるものの、ちょうど坂道からアプローチした目線の高さの、しかも真正面に位置しているものですから、実は計り知れない可能性を秘めているのではないかと確信させるだけの、ただならぬ存在感です。

過去の資料によると、雑誌に掲載された竣工時の写真からは既にそれらしき存在が認められるものの、あいにくサイズがちいさすぎるため、やはり、どのような用途に用いられたのかまでは分かりません。 何しろ、人が立って行動できるのはドアのある手前側半分までで、それより奥は頭がぶつかって、まともに機能しないような有り様なのですから。

更に調べるうち、オープンから10年ほど後の1980年代にローズガーデンを撮影した、数枚の写真に出会いました。 そこには、からりとした晴天の下、レンガ貼りの外壁にはところどころツタが絡まり、既に北野の風景の一部になっている街並みの様子と、それから、広場を階段の途中から俯瞰した様子がはっきりと記録されておりました。
あのちいさな店舗のドアはすっかり開け放たれ、赤レンガとコンクリートで出来上がった簡素な広場には一面、色とりどりの花で彩られ、人々がくつろぎ、行き交う光景が…。 そうか、お花屋さんが入っていたのですね。
遅ればせながら、その時、この建物の名付けられた意味にようやく気付いたのでした。
 
12月25日(火)

旧奈良監獄

監獄施設 と聞くと、とかく負の印象がつきまとう。 それはそうに違いありません。 古い建物 と聞くと、尚更、耐震不足を口実にたちまち解体されてしまう。 そんな例も少なくありません。
けれども、100年以上の長きにわたって機能し続け、地域の方々に惜しまれながら近年役割を終え、今なお竣工時の姿を色濃く留める旧奈良監獄は違っていました。 「老朽化したから」 の一言では片づけられない、何か特別な魅力があるようです。

公共建築物の近代化が求められた、19世紀末から20世紀初頭にかけての日本では、西欧ゆずりのレンガ造が積極的に採用されていました。 とりわけ、受刑者による放火のリスクにさらされる監獄施設においては、伝統の木構造では限界があり、頑丈で耐火性能に優れるレンガ造は、理想的な工法であったものと推察されます。
旧奈良監獄の建設には、実に7年もの歳月を要しています。 定員数650人、敷地面積約10万㎡という途方もない規模もあるのでしょうが、そもそもレンガ造というのは、レンガという規格化されたピースによって構成されているわけです。 当時の輸送環境からして、木材よりも遥かに重量のかさむレンガの製造を現地でおこなう という行為は、ごくごく自然な成り行きだったのかもしれません。 しかも、それらが当の受刑者たちによって製造されたというのですから、感銘を受けずにはいられません。

好むと好まざるにかかわらず、たとえ、単純でちっぽけなレンガであったとしても、何かをこの手で生み出す経験は、他の何物にも代え難く、加えて、自身でひとつひとつのレンガを積み上げ、構築する機会にも恵まれたのだとすれば、たとえそれが、不本意ながら監獄という かりそめの居場所 であったとしても、優れた建造物を創造する喜びを共有できたのだとすれば、何とも誇らしい、充実したひと時であったのではないでしょうか。 当然ながら、目に見えないところまで決して手を抜かないし、本質的に前向き思考でつくられているはずです。
それが、設計者である山下啓次郎によるアイデアと知るに到り、彼と数え切れないくらい多くの受刑者たちが、7年かけて築き上げた奈良監獄がどのような空間なのか、興味は尽きません。

旧奈良監獄 全体構成

監獄という施設の特性から、建物の大半は受刑者たちの居室によって構成されることになります。
一見すると複雑きわまりない奈良監獄も、基本は 独居舎 と呼ばれる独立した住まいがあって、その集合体が 収容棟 というひとまとまりの寮となり、第一寮から第五寮まで、全部で五棟の収容棟が管理棟を起点に放射状に配されている。
どれ程規模が大きかろうが、あくまでも基本単位はヒューマンスケールな独居舎であり、片手で持てるちいさなレンガを約束事に従って、こつこつと積み上げることで、確実に、現実の姿となって空間は建ち上がる。 愚直で地道な労働の積み重ねだけは、決して彼らを裏切らないのですから。

国家が近代化を目指し、純粋に、そして真っ当な道を歩む際の試金石でもあった明治五大監獄は、いずれも建物の顔となる表門に、その土地土地にあわせて、そこはかとない個性が与えられており、奈良監獄の場合、どこやらおっとりした、監獄施設らしからぬロマンティックな表情をしています。
しかし、唯一外部に開かれた表門ですら、建物を構成するポイントとなるパーツに自然石を用い、視覚的なアクセントにしているにすぎず、無意味な装飾などどこにもありません。
塀の内側であれば尚更、管理棟には威厳さを、医務所には清浄さを… といった具合に、巨大な施設ゆえくれぐれも単調にならないよう、全体の調和を損なわない範疇で細やかな性格づけはなされているものの、当時の西欧建築の潮流からすれば簡素そのもの、必要な機能を巧みに意匠化している様子がそこここに見受けられます。

旧奈良監獄 独居舎

幾ら理想論を語ったところで、予算にもスペースにも限りがあるのが現実ですから、650人分もの居室を確保し、滞りなく刑期を全うしてもらうためには、まずは基本単位となる独居舎が、無駄なく、合理的でなければいけません。
では、最低限居住できる室面積さえ確保できれば、それでよいのでしょうか。 もちろん、答えは 「No」 です。 監獄が監獄として機能するためには、脱走できないよう、開口部は最小限に抑える必要があり、おのずと壁に囲まれた閉鎖的な環境にならざるを得ない。 構造上も耐火上も理にかなっており、そこは譲れないところです。
そこで、十分な天井高さを確保した上、ゆるやかな曲面を描くヴォールト天井とすることで、窮屈さを和らげるよう工夫されています。 天井のカーヴは、レンガをアーチ状に並べて荷重を分散させる意味があり、ひとつの室として、防火上も構造上も安全性が保障されるだけでなく、ひとつひとつの室が互いに隣り合い、重なり合うことで、更に堅固な構造体となるのです。

時として、制約があればあるほど、設計者が苦しめば苦しむほど、空間は美しくなる。

唯一のアクセントとなる、窓一つ挙げても油断は禁物、決して疎かにはできません。 手掛かりや足掛かりとなる凹凸は厳に慎み、面という面は斜めに振られてあるのはこのためです。
しかし、建築というのはそんなに単純ではなく、ちっぽけな窓ひとつであっても、自然採光を最大限取り込める角度や高さが吟味されなければなりません。 狭くて何もない、ストイックな空間だからこそ、遥か高みから時刻や季節の移ろいを嘘偽りなく届けてくれる、ちいさな窓が、これから歩むべき未来を暗示している といっても、あながち誇張ではありますまい。

ずらずらと二層にわたって独居舎が並び、しかも対になってひとつの住居単位が形づくられる、合理的な収容棟のレイアウトにも弱点はあります。 少なくともふたつ。
ひとつは、独居舎と独居舎によって挟まれた共用空間が、いわゆる 中廊下 の状態になってしまい、ただですら閉鎖的な空間が、ますます閉鎖的になってしまうのです。 しかも、一日中薄暗い。 これでは、受刑者も監守もやりきれません。
この問題を解決するため、中廊下の幅を十分に確保しておいて、2階の中央部をまるまる 吹き抜け状 にしてしまい、更に屋根頂部を部分的に天窓化して、上方から自然採光が降り注ぐよう工夫されています。

旧奈良監獄 収容棟 空間構成

天窓や吹き抜けを設けると、開放感を得られるかわり、今度は、収容棟全体としての強度が不足してしまいます。 それがふたつめの弱点です。
主要構造はご周知の通りレンガ造ですが、屋根の架構は一般的に木造のトラス構造が併用されます。 むろん、奈良監獄の施設全体にも木造トラスが採用されているものと想像されます。 しかし、設計者の山下啓次郎は、余程収容棟の共用空間が重要と考えたのでしょう。 木造トラスによる小屋組みは、天井裏に隠れる範囲に留めておいて、鉄筋材で補強する方法が採用されています。
この設計、明らかに、使う側の気持ちを最優先して判断されたとしか思えません。 他の公共施設と違い、閉じられた塀の中での世界で、見映えや恰好の良さなんて、ちっとも意味を為さないのですから。

最後にもうひとつ。 奈良監獄が奈良刑務所へ、そして戦後、奈良少年刑務所に改称されて後、管理棟の一角に クラブ活動室 なるスペースが設けられたのだそうです。
建築的には特筆すべき点など無いに等しい、もともとは会議室か何かに充てられていたと思しき一室。 それでも広さはむろん、独居舎の比ではありませんし、天井はさらに高く、おまけに窓が何倍も大きい普通の部屋。 そこで、ブラスバンドの練習が許されていた。 これも、学校のクラブ活動の感覚からすれば、ごくごく当たり前のお話です。
それでも、あのストイックな独居舎から自然採光が降り注ぐ光のコリドーを通って、ささやかなクラブ活動室へと至る、ほんの数十メートルの道のりが、素晴らしく満ち足りた瞬間のように思えてなりません。 決してまぶしくはないけれど、そこはかとなく明るい、未来へと続く道のように。