プロフィール

アトリエかわしろ一級建築士事務所

Author:アトリエかわしろ一級建築士事務所
「がま口から建築物まで」
日々の生活につながっている モノづくり・住まいづくりのためのデザイン事務所です。

月別アーカイブ
検索フォーム

07月21日(火)

ロッジア・ハウス

ジュリアス・シュルマン(Julius Shulman) という名の、伝説的な建築写真家がいます。 もともとシュルマンには、建築に関して特別知識があったわけでも、アート・スクールで審美眼を磨いたわけでも、誰かに師事して写真の技術を習得したわけでもありません。
「ちいさなレンズのなかに、コンポジションを構成する才能に恵まれていたのだろう」 と、自身の輝かしい半生を振り返っています。 また、こんなこともいっていたそうです。 「さあ、どこから始めようかと見渡した途端にいい構図がみえる」 と。
そんな写真家の前では、さして意味のない、表面だけのうすっぺらな建物は瞬く間に見破られてしまって、とても通用しないでしょう。 彼の目には建物の構図だけでなく、そこに接する人の気持ちまでもが過たず投影されているのですから。

シュルマンは、1945年から66年にかけて南カリフォルニアを舞台に展開された ケース・スタディ・ハウス(Case Study Houses) と呼ばれる一連の住宅を撮影したことでつとに知られています。 この実験的プログラムは アーツ&アーキテクチュア(Arts & architecture) という雑誌の企画であったことから、誌面を通じてその評判はアメリカ本国のみならず、近代建築発祥の地であるヨーロッパにまで影響を与えるほどだったそうです。
ところが、当時の建築家たちとの親交も深く、ケース・スタディ・ハウスを60年以上にわたってみつめ続けてきたアメリカ・モダン住宅の生き字引ともいえる写真家自らが、このなかば伝説と化したプロジェクトを 「成功しなかった」 と指摘していることは、それほど知られていないのではないでしょうか。

ケース・スタディ・ハウスは、鉄骨や木製の梁と柱で構成されたシンプルな空間にフラット・ルーフ、工場で生産された量産可能なパネル材や床から天井まで届く大きなガラス窓を組み込んだモダンかつ低コストな住宅で、庭につながるテラスがガラスを通してひとつながりになる、これ以上は望み得ない開放性の高さが南カリフォルニアの温暖でさわやかな気候に調和して、水平に抜ける視界の気持ちよさが存分に味わえる新しい生活のスタイルまでを提案してみせました。
このようなアイデアを提唱したのが、アーツ&アーキテクチュア誌の発行人である ジョン・エンテンザ(John Entenza) で、各プログラムを担当する建築家は彼の好みや感性で選ばれるのが慣例のようでした。 ただエンテンザの好む、透明感のある開放的な住まいは、壁に囲まれ、なかば閉ざされた空間にこころの安らぎを感じる多くのアメリカ人の目に、いささか冷たい姿に映ってしっまった現実も忘れてはなりません。

か細い柱のみで屋根の荷重を支え、柱と柱の間に引き違い戸を建て込んで、庭と室内をひとつながりの空間として自在に取り込む日本の伝統的な住まいの考え方と、ケース・スタディ・ハウスに代表されるアメリカ近代住宅の理想像との共通点は、多くの専門家が指摘するところですが、 スチール・パビリオン などと称される鉄骨とガラスによって構成された、有名な幾つかのケース・スタディ・ハウスは 「きれいで開放感に満ちてはいるが、詩的ではない」 と、ジュリアス・シュルマンは告白しています。
更に彼は 「日本の伝統建築は開放的な建物に違いないが、空間を開放できるだけでなく、逆に閉じることも可能という柔軟さも持ち合わせている。 そのひみつをアメリカ人は理解できていなかったのだ」 とも付け加えています。 つまり、ガラス張りの近代建築では、隣地まで数百メートル離れているような広大な敷地でもない限りプライバシーは守れない という決定的な矛盾を常にはらんでいる。
スチール・パビリオンは、才能ある写真家の手で撮影された作品として誌面を飾る という意味では歓迎されても、こころ安らぐあたたかい場所こそが住宅と考える大多数のアメリカ人にとっての住まい という意味では歓迎されない。 ゆえに 「ケース・スタディ・ハウスは成功しなかった」 と、シュルマンは指摘したかったのでしょう。

といっても、すべてのプログラムが必ずしも駄目だといっているわけではありません。 実際、シュルマンはケース・スタディ・ハウスを手がけた建築家の一人として知られる ラファエロ・ソリアーノ(Raphael Soriano) に自邸の設計を依頼していますし(※ シュルマン邸は鉄骨造のスチール・パビリオン。 ガラス張りの典型的なモダン住宅ですが、敷地には十分なゆとりがあり、 丘のてっぺん という立地のため、プライバシーが守られてあり、しかも、建築家とは設計の段階から気兼ねなく要望を伝えることのできる間柄であったそうです)、幾つかのケース・スタディ・ハウスについても高く評価しています。
たとえば、 ジュリアス・ラルフ・デイヴィッドソン(Julius Ralph Davidson) によって設計された #1 です。 この建物はガラスを多用しているものの、建物と周辺の敷地とをどのように統合させるかを理解した上でつくられているため、プライバシーも守られ、住み手が暮らしよい工夫がそこここに散りばめられている、優れた作品であるといえます。
そして、もうひとつが ホイットニー・スミス(Whitney R. smith) によって設計された #5 「ロッジア・ハウス」 です。

全部で36ものプロジェクトがつくられたケース・スタディ・ハウスのなかで、#5(※ 5番目に計画されたプロジェクト)は実現されることはありませんでしたし、これまでついぞ話題にのぼったこともありませんでした。 設計者のホイットニー・スミスも、地元カリフォルニアは別にしても、世界的には無名に近い存在と思われます。
にもかかわらず、かの著名な建築写真家は 「本当は、彼のような建築家の住宅こそ実現されるべきだった」 と発言しているのでした。

ケース・スタディ・ハウス#5 ロッジア・ハウス

大変な忘れ物でもしでかしたような気持ちで#5について調べてみると、1945年にアーツ&アーキテクチュア誌に発表された(であろう)平面図と数枚のイメージスケッチ、それに模型写真が記録されていました。
シュルマンの発言さえなければ、華やかな他の作品の陰で埋もれてしまっても仕方がないくらい、そのくらいしみじみ目立たない計画案は、平面図ひとつみても、どこか他のケース・スタディ・ハウスとは違っているようです。 透明感が感じられないような、むしろ不可思議な違和感 というか、瞬時に見抜くことのできない空間の奥深さが感じられます。
そんな場合はスミスが残したわずかな記録を元に、この手で空間を描いてみるに限ります。 そうすることで、なぜシュルマンが評価したのかがじわじわと伝わってくるような気がするからです。

プランニング(平面計画)の力量は、設計者の才能によるところが大きく、経験や努力だけではどうにもならないものだと常々思っています。 不具合の生じない設計上のテクニックや、上手なおさまりといったことは、才能よりも日々の積み重ねによって成し得るものに違いないけれど、ことプランニングだけはどうにもならないと観念せざるを得ない。 ホイットニー・スミスは、才能を所有する側の建築家であったと断言して差し支えないでしょう。

一見しただけでは分かりにくいかもしれませんが、#5はいわゆる 「入れ子状」 の空間構成になっています。
これは多くのアメリカ人が必要とする居心地のよさ(守られている安心感)と、かの国では近代建築にのみ許されれた水平方向へと視線が抜ける開放感という、相反する要素を融合するためのアイデアで、もし実現していれば、あの余りにも有名な チャールズ・イームズ(Charles Eames) の自邸 #8 と並んで、(スミス流の)最も南カリフォルニアらしいケース・スタディ・ハウスにもなり得たかもしれないのですから。

北から南に、ゆるやかに傾斜する敷地に計画された#5へのアプローチは、ユーカリの木々が影を落とす涼しげなレンガ敷きの通路です。 その先のテラスから階段をとことこ下りると、建物の中心に設けられた ロッジア(loggia) と呼ばれる空間に導かれます(※ この 階段を下りる という行為も大切なポイントです)
ロッジアの存在意味は非常に大きく、リビングも、ダイニングも、寝室も、ゲストルームも、すべての居室が一旦ロッジアを介してからメインの西側庭とつながっています。
家族だけでなく来客も利用するリビングとダイニングは、他のケース・スタディ・ハウスのように大きなガラス窓で直接庭とつながるのではなく、ロッジアに対して開かれているのが最大の特徴です。 ロッジアには軒の深い屋根(フラットルーフ)は架かっているものの、庭との間にガラス窓の類はなく 完全にオープン という、温暖な南カリフォルニアらしい半屋外の共有空間として位置づけられています。
ロッジアは、日本の 縁側 に近い存在ですが、建物の中心にあること、土足のまま居室にも庭にも行き来できること、玄関や廊下の機能も兼ね備えていること、家族の気配が感じられること 等、更に多目的に活用可能な、この建物に欠くことのできない魅力的空間であるといえます。 #5が 「ロッジア・ハウス」 と呼ばれる所以です。

21世紀の今日でも十分にモダンと感じる一連のケース・スタディ・ハウスは、ガラス、金属、合板、プラスティック等の均質な工業建材をふんだんに採用する といった特徴が見受けられます。
一方、#5にはそれらとは正反対ともいえる素朴な建材、 日干しレンガ を多用している点が注目に値します。 木材に恵まれた日本では馴染みがありませんが、日干しレンガは南カリフォルニアでは伝統的な建材なのだそうです。

いかにもビーチ・ボーイズのサウンドがよく似合う、からりと晴れ渡った空からさんさんと降り注ぐ強烈な日差しから身を守る術がこの地の住まいの作法であるなら、遮熱性の高い日干しレンガは実に好都合といえますし、ふんだんに手に入る土が原料とあれば、これはもういうことありません。 けれども、フラットルーフにガラス張りのモダン住宅に日干しレンガという取り合わせは何だか照れくさい…。 そんな時代だったのかもしれません。
ところがホイットニー・スミスときたら、華奢な鉄骨の柱・梁構造に分厚い日干しレンガの壁を事も無げに融合させて、大きなガラス窓も難なく組み入れてしまいます。 ただし、さすがにそれだけでは少々違和感があるため、その中間的な位置づけの建材として、木質のパネル材(おそらく合板)を適所に配して中和してしまう という離れ業を考案したのでありましょう。

#5 ロッジア・ハウスは、その土地の伝統的な素材と工業材料を等しく用い、近代建築の持つ合理性を昇華させたプランニングを駆使すれば、住み手のプライバシーを犠牲にすることなく開放感のある住まいを実現できるはずだ! と、当のスミス自身はそう確信していたに違いありません。
しかし、この計画案が実際に姿を現すことはありませんでした。 プログラムの企画者であり、責任者でもあったジョン・エンテンザの好みに合わなかったのが、その理由なのかもしれません。
ちなみに、ジュリアス・シュルマンはこんなこともいっていました。 「エンテンザ氏が却下したもののなかに 本当のモダン・ハウス があったかもしれない」 と。
 
06月20日(土)

しとしとと、雨降る街の景色を美しいと思うようになったのは、京都に住むようになってからのことです。

幸いにして、東山の麓近くに住みはじめた僕は、そぼ降る雨のある日、美術館でしか見たことがなかった水墨画の世界が、そのまんま目の前にあることを知り、おぼろげにかすむ東山を背景に、古寺の甍が、乾いた薄墨色から、みずみずしい墨色に変化して、まるで一幅の風景画のようにしっくりとおさまっている。 いにしえの人々が描いた山水は、夢物語ではなく、目の前の風景を偽らず、誇張せず、素直に紙の上に写し取っていたのだということに、その時ようやく気づいた次第です。
それなのに、どうも今の人は、感性よりも数値を頼りにしすぎるきらいがあるようで、身近な衣類から生活道具、建物の外壁から屋根材まで、ひたすら耐水、抗菌化しているようにも見受けらて仕方がありません。 空気も人も水分を含んでいるのですから、やっぱり適度に呼吸しているモノたちに囲まれて過ごすほうが、絶対に心地よいのではないか と。

もし、湿度の高い日本の夏に、あなたが家のなかにいて、じめじめとした不快感を覚えるのであれば、それは、木や土といった自然素材を使わなくなったことだけが原因ではなく、家そのものが呼吸できていないからに違いありません。
昔の住まいは、たとえそこが街なかであっても、限られた庭やおもての通りを上手に利用して、部屋同士、きれいに風が流れて、空気がよどまないように考えられていたはず。 しかも、空気の流れは部屋だけでなく、床下までも、隈なく通り抜ける仕組みになっているのでした。
それに比べ最近の住宅は、断熱や気密、あるいは耐震などの性能を高めるためか、床下は外気から遮断されるつくりになっているらしく、こうなると、外部の湿った空気も、まるごと室内に取り込んでしまうことになってしまいます。
ところが、昔の建物は、地面を突き固めた上で、基礎となる自然石を据え、その上に構造の柱がぽつぽつと建てられているだけなので、床下は完璧にスカスカの状態。 だから、湿った空気はすいすいと小気味よくこの床下スペースを通り抜け、比較的乾いた空気のみを室内に導いてくれるという、単純ながら、実に理にかなった、天然の通風・除湿システムに支えられ、蒸し暑い夏場でも結構快適に過ごしていたはずなのですから。

風通しのよい、スカスカの伝統家屋は、軽量なわりに基礎石には固定されていませんから(※上に載っているだけで、今の建物のように金具で固定されていません)、軒の深いおおきな屋根で家全体をすっぽり覆うことで、人々の暮らしを雨や日射から守りつつ、重量と強度のバランスを保っていました。
京町家もそうですが、重たい屋根瓦の下には一面土が被せてあり、瓦は土の上に載っかっているだけだったりします。 それでも、土と瓦はそれなりの重さがありますから、屋根そのものが重石となって、構造上も、精神上も、ちょうど 「あぐらをかいて座るおとうさん」 のように、どっかと家全体を護ってくれているみたいで、そこにいると何だか安心できるのです。
昔の瓦は、最近のツルツル・カチカチなものと比べると、実際精度も強度も劣るのでしょうが、年月を経るにしたがって余計な艶がとれ、渋い薄墨色に落ち着いて、その上、表面は適度に水分を吸ってくれるので、雨が降ると、ぽつぽつと雨の足跡が残ります。
その足跡が埋め尽くされてようやく、しっとりとした瓦本来の艶を取り戻す、その表情が、一枚一枚微妙に違っていて、しかも、土の上に葺かれた瓦は、年月とともに微妙にずれつつ、傾きつつ、何ともやわらかいラインを描き出したりもする。 そのような表情やラインは、性能や数値を追い求めた先には決してみえてこない、不ぞろいで脆い出来の悪さが集まってはじめて、何ともいえない情緒が生まれいずる。
街の美しさとは、そのような 「ちいさな個性の集合体」 といってみても、よいのかもしれません。

ご存知の方も多いやもしれませんが、かれこれ70年近くも前に、この 「ちいさな個性」 の存在に気づいて、それを一枚の絵として表現した人がいました。
日本画家の 福田平八郎 が、1953年に発表した 「雨」 という作品は、そのタイトルとは裏腹に、肝心の雨は描かれず、画布いっぱいに横4列、経7列の瓦屋根のみが描かれています。
その瓦は、ことさら立派とか歴史上重要といった特別なものではなく、そのへんにごく普通に建っている京町家の平瓦にすぎず、この瓦が程よい加減にくたびれ、色あせ、かんかんに焼けて表面にはうっすらヒビすらも入っている。 そんな瓦に、ぽつぽつと雨粒が落ちては消え落ちては消えする様子を、雨粒の染みた跡の濃淡を描くことで、その時の季節感までをも伝えてくれる作品 とでも申しましょうか。
当時、伏見に住んでいた平八郎は、2階の画室からみえる、ごく普通の、誰も見向きもしないような屋根瓦の、四季折々にみせる表情に興味を覚え、暑い夏の午後、待ちわびた夕立のおおきな雨粒が、古びた瓦にぽつりぽつりと描き出す表情に、こころ打たれて、この作品を描き上げたのだと聞いています。

まわりからよく思われたいとか、大それたことなど微塵も感じさせない。 こころに響くささやかな対象にも美を見い出し、その気持ちを偽りなく、素直に表現してみせた一枚の絵。 雨降る京の街の景色は、そのくらい美しい。

雨
 
05月18日(月)

うさぎ幼稚園

少々堅苦しい話になりますが、幼稚園というところは法律上 学校 として扱われるのだそうです。 それでも幼稚園の理想は 「おおきな家」 であってほしいと個人的に願っていますし、実際、そのような建物がこの国にも存在しておりました。 今よりも物質的にはずっとずっと貧しく、のんびりとした時代のお話です。

戦後間もない1950年の春に出版された建築の専門誌のなかで、ほんの3ページきりスペースがあてがわれた、それはそれはちいさな園舎の記事。
「うさぎ幼稚園」 という名がいかにもふさわしい。 愛らしい建物は余程資金繰りが厳しかったと見えて、計画された教室や保母室は未完のまま、遊戯室とトイレ、手洗い所だけしか完成していないにもかかわらず、そして、設計者も当時はまだ無名のはずなのに…。
それでも、何とか誌面をやり繰りしてでもこの建物を世の中に知らしめたいと願った、編集部の気概がひしひしと痛いくらいに伝わってくる、不思議な魅力に満ち満ちているのでした。

都心の閑静な住宅街の一角。 園児たちがのびのびと走り回るに十分な広さの園庭とひとつながりになるようにして、まるで縁側で日向ぼっこする猫(兎?)みたく、まったりとたたずむ園舎は、世知辛い今の時代からすれば信じ難いことに木造平屋建て。
規模もご近所の住宅と変わらない、ほんにささやかなもので、軒高なんて地面から3メートルちょっとです。 しかも、使われている材料ときたら、ごくありふれた規格ものの柱や板材がメイン。 施工も、おそらくは地元で住宅を手掛ける大工さんであったと推察されます。
では、遊戯室はさぞ窮屈で息苦しいだろう と懸念される方もいらっしゃるかもしれませんが、ご心配なく。 ちっとも、そんなことはありません。

うさぎ幼稚園

遊戯室に弧を描く虹のように架かるのは、かまぼこ型したヴォールト屋根。 通常、木造屋根の下には 小屋組み と呼ばれる構造フレームが用いられるのが定石なのに、室内の写真を見る限りすっきり広々としていて、それらしきものはありません。

設計者である清家清の解説によると、仮設の母屋を定規代わりにして松の板材を半ば強引に湾曲させ、斜め45度の方向にくぎ打ちしながら屋根の構造体となる野地板を成形したとのこと。 むろん、すべては現地での施工となり、現場加工で無垢の松板を曲げるわけですから、当然ながら板厚は可能な限り薄くしなければならず、結局、12mm厚の板材を交互に4枚重ねにして、必要最低限の強度を確保しています。
それでも全体の屋根厚さはわずか48mmにすぎませんから、6間(約11m)×4間(約7.3m)の遊戯室からすればひどく薄っぺらで、随分と心許ないものがあります。 従って、ここでは湾曲する屋根板が荷重や復元力で開かないよう、壁の両端部で屋根を受ける役割を担う軒桁を、鉄筋で繋ぎ止める工法が採用されました。

すこぶる軽やか。 そこはかとなく知的でモダンな香りすら漂う園舎には、なぜか木造の建物になくてはならない 軒の出 が見当たりません。 これでは、雨が多く湿度の高い日本の気候で園児たちが快適に過ごせるのか、甚だ疑問です。
かといって、ペラペラなヴォールト屋根の軒を不用意に出してしまうと、見栄えの良い悪い以前に、強風にあおられると簡単に吹き飛ばされてしまうでしょう。 それ故、ちょっとした積雪荷重に耐えられる程度の実用性を想定し、予算を切り詰めたぎりぎりの設計がなされているはずなのですから。
これら種々の問題を解消するため、あえて軒桁のある南北方向の外壁を外側に傾けてしまうことで、壁の上方にたっぷりとした厚みを与え、窓上に小庇の役割を担いつつ、実は薄い屋根材を頑丈に固定する役割も果たしていたのだ と気づかされます。

理屈では分からないかもしれないし、別に分からなくっても構わない。 もとより、そんな気配さえ周囲には微塵も感じさせない。 何もかもまるごと受け入れてくれる、おおらかな園舎。
きっと、園児たちは羽毛のような浮遊感と言いようのない安心感に抱かれながら、かけがえのない豊かな時間を過ごしたのだろう と。 そして、この建物をつくった張本人はそのまんま、飾り気のないあたたかな人柄だったのだろう と確信した次第です。